静かな支え
北浦迎賓館の別館には、今夜も静かな香が漂っていた。
昼間と変わらぬ穏やかな表情で茶を淹れていた黄梅院は、湯呑みを氏治の前へそっと置く。
「お疲れが、お顔に出ております。」
氏治は苦笑した。
「隠しているつもりだったのだが。」
「わたくしには分かります。」
その一言に、氏治は肩の力を抜いた。
戦に勝ち、国を築き、家臣を導いてきた。
誰にも弱音を見せることはなかった。
しかし黄梅院の前では、不思議と飾る必要がなかった。
しばらく静かな時間が流れる。
やがて黄梅院が穏やかな口調で言った。
「殿。」
「一つだけ、お聞き届けいただけますか。」
氏治は頷く。
「申してみよ。」
黄梅院は優しく微笑んだ。
「まずは、正室である早川殿を大切になさってください。」
氏治は少し驚いた表情を見せる。
黄梅院は続けた。
「早川殿は明るく、人を笑顔にするお方です。」
「殿の隣に立つ方として、あのお方ほど相応しい方はございません。」
「わたくしも、そのことを心から嬉しく思っております。」
氏治は静かに耳を傾ける。
「家は、正室が笑っていてこそ安らぎます。」
「わたくしは、そのお支えができれば十分にございます。」
その言葉には、少しの妬みも見栄もなかった。
氏治は改めて黄梅院を見つめる。
美しい人だと思っていた。
知性があり、書を愛し、香を好み、静かな時間を慈しむ麗人。
だが、自分が惹かれていたのは、それだけではなかった。
人を思いやる心。
相手を立てる気遣い。
そばにいるだけで心が安らぐ居心地の良さ。
そのすべてに、いつしか心を寄せていたのだと気づく。
氏治は静かに言った。
「ありがとう。」
「そなたは、いつも人のことばかり考えているな。」
黄梅院は少し照れたように笑う。
「それが、わたくしの幸せでございますから。」
氏治はそっと黄梅院の手を取った。
「今夜は。」
「今夜だけは、私がそなたを大切にしよう。」
黄梅院は静かに頷き、その手を優しく握り返す。
二人は月明かりの差し込む静かな部屋で、言葉を交わしながら、互いへの想いを確かめ合った。
悲しみを乗り越え、支え合うことを知った二人の心の距離は、その夜、これまで以上に近づいていった。
別館の灯は遅くまで静かにともり続け、北浦の夜は穏やかに更けていった。




