木剣の少年
眩い光が治彦の視界を覆った。
足元の感覚が消え、身体が宙へ放り出されたような浮遊感に包まれる。
風が頬を打つ。
土の匂い。
鳥のさえずり。
ゆっくりと目を開くと、そこは見知らぬ庭だった。
春の日差しを浴びた広い武家屋敷。
庭では一人の幼子が木剣を握り、懸命に素振りを繰り返している。
「……ここは。」
幼子が動きを止め、ゆっくりと振り返った。
五、六歳ほどの少年。
しかし、その瞳だけは見覚えがあった。
少年は木剣を肩へ担ぎ、小さく笑う。
「ようやく来たか、治彦。」
その声。
その話し方。
その穏やかな笑み。
「……氏治公!」
治彦は思わず駆け寄る。
「やっぱり、あの時!」
少年は肩をすくめる。
「わしにも何が起こったのか分からぬ。」
「宇都宮城で突然光に包まれたと思えば、この童の中におった。」
「気付けば、幼き頃のわしと同じ景色を見ておる。」
治彦は少年をまじまじと見つめた。
「つまり……。」
「歴史上の氏治公の中に?」
「ああ。」
少年は苦笑した。
「妙なものじゃ。」
「わしが、わしを見ておる。」
その時だった。
廊下の向こうから足音が聞こえる。
「若様ー!」
女中らしき声が近付いてくる。
少年は一瞬だけ目を細めた。
「来たな。」
次の瞬間。
ふっと表情が変わる。
穏やかな大人の笑みは消え、あどけない子供の顔になる。
「えいっ!」
木剣を振り回しながら、無邪気に声を上げる。
まるで先ほどまでの会話が嘘だったかのようだった。
女中は安心したように微笑む。
「若様、こちらにいらっしゃいましたか。」
「今日は新しい学問と礼法の先生がお見えですよ。」
治彦は思わず辺りを見回した。
「先生?」
女中は不思議そうな顔で治彦を見る。
「何をおっしゃるのです。」
「あなた様が、本日より若様の教育指南役としてお仕えになるお方ではありませんか。」
「……え?」
治彦は思わず自分を指差した。
「私が?」
「はい。」
「若様の読み書き、兵法、礼法をお教えいただくよう、ご当主様より申し付かっております。」
治彦は言葉を失う。
歴史が変わったのではない。
自分の立場そのものが、この時代に用意されていた。
その時、木剣を握る幼い氏治が、誰にも気付かれぬよう一瞬だけこちらを見る。
そして、口元だけで小さく笑った。
「面倒を掛けるぞ、治彦。」
亡霊氏治の口調だった。
しかし次の瞬間には、
「先生! 早くお稽古しましょう!」
と無邪気に駆け寄る幼子へ戻っていた。
治彦はようやく理解した。
この子の中には、歴史上の幼い氏治と、四百五十年の時を越えてきた亡霊氏治が共にいる。
そして、その事実を知るのは――
この世界で、自分一人だけだった。




