衣は人を縛るか、人を生かすか
若き当主たちへ新たな掟を示した評定の後も、諸将は席を立たずにいた。
氏治は静かに自らの袖を見つめる。
和服の広い袖。
幾重にも重なる衣。
帯で固く締めた腰。
歩くには困らぬ。
礼を尽くすにも美しい。
だが――。
「戦には、どうだ。」
その一言に評定の空気が静まった。
氏治は立ち上がる。
「兵は走る。」
「馬に乗る。」
「築城では土を運び、木を担ぎ、石を積む。」
「平時もまた、絶えず働く。」
氏治は袖を軽く振った。
「この衣は、美しい。」
「だが、動くための衣ではない。」
誰も反論できなかった。
武士とは、この姿である。
それが当たり前だったからである。
治彦も黙って聞いていた。
氏治は続ける。
「先ほどから軍服を考えておるが、ふと思った。」
「もっと良い麻はないのか、と。」
鹿島が尋ねる。
「殿。それは布の話でございますか。」
氏治は首を横に振った。
「違う。」
「初めは布のことだと思った。」
「だが、本当に欲しかったのは違う。」
評定の全員が氏治を見る。
「戦でも。」
「平時でも。」
「もっと動きやすい衣が欲しかったのだ。」
その言葉に治彦は、はっとした。
(そうか……。)
(布じゃない。)
(服そのものを変えればいいんだ。)
氏治は机に置かれた漢服の写本、南蛮人の衣装図、そして和服を順に見渡した。
「和服だから着る。」
「漢服だから着る。」
「南蛮服だから着る。」
「その考えを、やめよう。」
家臣たちは思わず息をのむ。
「良いものなら学ぶ。」
「坂東の武士が最も動きやすい形なら、それを採ればよい。」
「名前など、どうでもよい。」
陳猛哲が思わず笑った。
「殿らしいお考えです。」
鹿島も笑う。
「和でも漢でも南蛮でもなく、坂東でございますな。」
氏治は大きく頷いた。
「衣は人が合わせるものではない。」
「人に合わせて衣を作るのだ。」
その一言に、評定の空気が変わった。
治彦は筆を取り、何枚もの紙を並べ始める。
和服の襟。
漢服の袖。
南蛮服の前開き。
騎馬に適した丈。
革帯。
外套。
靴。
下着。
一つ一つを分けて描き、組み合わせ、試し、新たな姿を探していく。
もはや誰も、「和服とはこういうものだ」とは言わなかった。
その日の評定で議論されたのは一着の服ではない。
衣服という概念そのものであった。
そしてこの議論は、より良い麻や綿、羊毛を求める交易へとつながり、やがて坂東の軍服だけでなく、人々の日常の装いまでも大きく変えていくことになるのであった。




