夜明けの決意
翌朝。
夜明け前の北浦は、薄い朝靄に包まれていた。
湖面は鏡のように静まり返り、水鳥の鳴き声だけが遠くから聞こえてくる。
迎賓館の者たちもまだ起き出しておらず、館全体が静かな眠りの中にあった。
氏治は一人、露天風呂へ向かった。
湯へ身を沈めると、冷えた朝の空気と温かな湯が心地よく身体を包み込む。
湯気の向こうには、整備された北浦の町並みが見えていた。
水牛街道。
牧草地。
牛舎。
温泉。
港。
倉庫。
その先には、朝日を待つ静かな湖。
氏治はゆっくりと息を吐いた。
「ここまで来たか……。」
思い返せば、この数年は立ち止まる暇もなかった。
土浦を自由都市として整え、兵学館を築き、北浦を開発し、水戸を手に入れ、同盟を結び、坂東の基盤を一つずつ積み上げてきた。
五カ年計画も、おおむね思い描いた形へ近づいている。
もちろん、課題はまだ山ほど残っている。
それでも坂東は、確かに未来へ歩み始めていた。
氏治は湯をすくい、静かに顔へ流す。
(では、次は何をする。)
自然と答えは浮かんでいた。
家臣たちは、もう十分すぎるほど育っている。
真壁兄弟は国を任せられる。
宍戸は築城と治水を。
鹿島は交易と海を。
宇都宮や結城も、それぞれ一国を預けられるほどの力を備え始めている。
皆が、自ら考え、自ら動くようになってきた。
だからこそ。
「足りないのは……私か。」
その言葉は、朝靄の中へ静かに消えていった。
家臣へ任せるためには、主が判断を誤ってはならない。
戦場では誰よりも冷静に。
評定では誰よりも遠くを見通し。
皆が安心して力を尽くせるだけの器にならなければならない。
そして何より。
武芸。
氏治は苦笑した。
真壁や宇都宮、結城、小山。
皆、自分より遥かに強い。
護られてばかりでは、家臣は本当の意味で自由には戦えない。
「もっと強くならなければ。」
「武も、知も。」
「未来を見通す力も。」
氏治はゆっくりと空を見上げた。
東の空が少しずつ明るくなり始める。
新しい一日が始まろうとしていた。
氏治は静かに目を閉じる。
(土浦へ戻ったら、兵学館へ行こう。)
教えるためではない。
学ぶために。
武芸も。
兵法も。
歴史も。
異国の知も。
自ら学生となるつもりで、もう一度学び直そう。
主君が学ぶことをやめた時、国もまた歩みを止める。
それだけは、決してあってはならない。
氏治は湯から立ち上がった。
朝日が北浦の湖面を黄金色に染め始める。
その光をまっすぐ見つめながら、氏治は新たな決意を胸に刻んだ。
この五年で国を築いた。
ならば次の五年は、自分自身を築こう。
その歩みが、さらに遠い未来の坂東へと続いていくことを信じて。




