静と動の果て(後編)
玄武の先制点が認められても、競技場のざわめきはしばらく収まらなかった。
「敵の馬に乗り換えるとは……。」
「そんなことを考える者がいるのか。」
「いや、考えても実際にできる者がおらん。」
御前席でも諸将が顔を見合わせる。
氏治は苦笑しながら治彦へ小さく呟いた。
「兵学館は、毎回私の想像を越えてくるな。」
治彦も肩をすくめるしかなかった。
「私も初めて見ました。」
一方、白虎はすぐに切り替える。
落馬した二人が退き、新たな二人が馬を進めた。
これで後半だけで三人目の交代となる。
白虎はもはや体力を惜しまない。
交代したばかりの騎手たちは最初から全力で駆け出した。
試合は再開される。
玄武は再び鞠を高く打ち上げる。
空へ。
競り合い。
落ちる。
また空へ。
しかし今度は白虎も対応していた。
落下地点への寄せは早くなり、押し合いでも簡単には崩れない。
「慣れてきたぞ!」
白虎の主将が叫ぶ。
「空中戦でも負けるな!」
両軍の馬が入り乱れ、槍が交差する。
激しい押し合いの末、鞠が地へ転がった。
その瞬間だった。
朝基が強く手綱を引く。
愛馬が高々と前脚を上げ、その場で立ち上がる。
急停止。
勢い余った白虎の騎手が横を駆け抜ける。
朝基は味方の馬を壁代わりにすると、死角から一気に跳び出した。
「抜けた!」
観客席から歓声が上がる。
ほんの一瞬だけ。
朝基の前には誰もいない。
槍を大きく引き、全身をしならせる。
そして渾身の力で振り抜いた。
槍先が鞠を正確に捉える。
乾いた音が競技場へ響き渡った。
鞠は一直線に門へ向かって飛ぶ。
誰も追いつけない。
そう思われた。
「まだ終わっていない!」
白虎最後尾の騎手が叫ぶ。
手にした槍をためらうことなく投げ放つ。
槍は風を裂き、門前へ飛ぶ鞠へ一直線に吸い込まれていく。
次の瞬間。
甲高い音が鳴り響いた。
槍が鞠をかすめ、軌道をわずかに変える。
鞠は門柱の外をかすめ、そのまま地面へ転がった。
「防いだぁっ!」
競技場が静まり返る。
誰も声を出せない。
朝基は苦笑し、投槍した白虎の騎手も荒い息をつきながら槍を拾いに向かう。
互いに相手を見つめ、静かにうなずいた。
そして――。
「うおおおおおおっ!」
地鳴りのような歓声が競技場を揺らした。
玄武席も白虎席も関係ない。
誰もが立ち上がり、今の攻防へ惜しみない拍手を送る。
教官の一人が思わず呟く。
「技だけではない。」
「互いに互いを極限まで高め合っている。」
その後も白虎は猛攻を続けた。
玄武は決して慌てない。
無理に追加点を狙わず、鞠を回し、時間を使い、全員で守る。
白虎も幾度となく門前へ迫るが、玄武は最後まで集中を切らさなかった。
やがて審判が天を見上げる。
そして大きく旗を振った。
「そこまで!」
終了の太鼓が競技場へ鳴り響く。
両軍の馬が静かに止まった。
玄武 一―〇 白虎。
わずか一点。
しかし、その一点は知略と胆力、そして技術が積み重なって生まれた重い一点だった。
朝基が馬を降りる。
白虎の主将も歩み寄る。
二人は互いに深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
「見事な戦いだった。」
言葉は短い。
それでも十分だった。
続いて両軍全員が整列する。
御前席には氏治をはじめ、治彦、宇都宮、真壁、宍戸、鹿島、兵学館の教官たちが並んでいた。
選手全員が槍を胸に抱き、深々と礼をする。
「本日は、ご観戦いただき、ありがとうございました!」
競技場いっぱいに若者たちの声が響いた。
氏治はゆっくりと立ち上がる。
まだ十一歳の若き当主である。
しかし、その場は自然と静まり返った。
「皆、顔を上げよ。」
選手たちが顔を上げる。
氏治はまず玄武へ視線を向けた。
「玄武。勝利、おめでとう。」
朝基たちが頭を下げる。
「知恵を尽くし、仲間を信じ、最後まで落ち着いて戦った。その静かな強さは見事であった。」
続いて白虎へ向き直る。
「白虎。」
主将が一歩前へ出る。
「敗れはしたが、諦めずに対応し続けたこと、最後まで攻め抜いたこと、そしてあの投槍で得点を防いだ執念は、勝者に劣らぬ見事さであった。」
白虎の選手たちの表情が少し和らぐ。
氏治は競技場全体を見渡した。
「勝った者は、さらに励め。」
「負けた者は、さらに学べ。」
「兵学館とは、勝敗だけを競う場所ではない。」
「互いを高め合い、昨日の自分を越えるための学び舎である。」
その言葉に、兵学館の全員が静かにうなずいた。
最後に氏治は蜈蚣切りを掲げる。
「本日の勝者は玄武。」
一拍置き、穏やかに笑った。
「――されど、兵学館の誇りは、この場にいる全員である。」
その瞬間、競技場は万雷の拍手に包まれた。
玄武も白虎も。
青龍も朱雀も。
教官も諸将も。
誰もが互いを称え合いながら拍手を送り続ける。
夕日に照らされた競技場には、勝者と敗者の隔てはもうなかった。
新たな歴史を刻んだ第一回御前試合は、こうして静かに幕を閉じた。




