約束
婚儀から数日後。
鎌倉の北条館は、祝いの賑わいも落ち着きを取り戻していた。
氏治は庭を眺めながら、静かに口を開いた。
「早川殿。」
「少し、お話ししたいことがあります。」
早川殿は頷き、氏治の向かいへ座る。
氏治はしばらく言葉を選び、やがて深く頭を下げた。
「まだ早い話です。」
「ですが、隠したくありません。」
その真剣な様子に、早川殿も自然と姿勢を正した。
「武田晴信公との約定があります。」
「そのご息女、黄梅院様を、将来、側室としてお迎えしたいと考えています。」
部屋は静まり返った。
氏治は顔を上げないまま続ける。
「甲斐での戦の折、晴信公と約束しました。」
「武田家を滅ぼすのではなく、未来へ残してほしい、と。」
「その願いを受け、私は武田家の家臣団をまとめて引き受けました。」
「その一つが、黄梅院様との婚姻です。」
氏治はようやく顔を上げた。
「早川殿には、きちんと私の口からお伝えしたかったのです。」
早川殿は少し驚いた表情を浮かべたまま、静かに聞いていた。
やがて、小さく息を吐く。
「父上から聞いております。」
氏治は目を丸くした。
「聞いて……いましたか。」
早川殿はこくりと頷く。
「三国同盟戦役では、氏治様が砥石城を落とされ、武田晴信公の本陣をわずか数日で壊滅させ、大将をはじめ多くの家臣を捕らえられたこと。」
「その戦功が第一であったこと。」
「けれど、その後は武田の家臣方を皆お守りになり、戦を早く終わらせたこと。」
「父上は、『氏治殿のおかげで、北条も上杉も、そして武田も、流れる血が少なく済んだ』と申しておりました。」
氏治は照れくさそうに笑う。
「私は……。」
「できるだけ、多くの人に生きていてほしかっただけです。」
早川殿も微笑んだ。
「父上は、その後の氏治様の振る舞いを、何度も褒めておりました。」
「功を誇らず、領地も望まず、武田家を受け入れたことを。」
「ですから……。」
早川殿は氏治をまっすぐ見つめる。
「戦国の姫としては、少し早い試練なのでしょう。」
「でも。」
「こうして正直に話してくださったのです。」
「それだけで十分です。」
氏治は安堵したように肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。」
早川殿は少し考えると、悪戯っぽく笑った。
「その代わり。」
「お願いが一つあります。」
「何でしょう。」
「春になったら。」
「兵学館へ連れて行ってください。」
氏治は一瞬きょとんとした。
「兵学館ですか?」
「はい。」
早川殿は嬉しそうに頷く。
「父上も上杉様も、皆『面白い場所だ』と話しております。」
「発明の神様もいるのでしょう?」
氏治は思わず吹き出した。
「ええ。」
「本人は、その呼び名をとても嫌がっていますけど。」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
その笑い声は、まだ幼い二人が少しだけ心を通わせた証のように、静かな庭へ優しく響いていた。




