残された縁
氏治の足は、迷うことなく展示室の奥へ向かっていた。
「まずは私だな。」
その声に、治彦は苦笑する。
「やっぱり気になりますか。」
「当たり前だ。」
「自分がどう書かれておるかほど、気になるものはない。」
二人は「小田氏治」の展示室へ入った。
治彦は思わず足を止める。
「……あれ。」
以前なら正面に大きく掲げられていた、
『何度落城しても再起した戦国大名』
という見出しは、そのままだった。
説明文も大きくは変わっていない。
『佐竹氏や北条氏に挟まれ、幾度も小田城を失ったが、そのたびに奪還を試みた。』
『その生涯から「不屈の武将」とも評される。』
治彦は思わず肩を落とした。
「やっぱり修正力か……。」
亡霊氏治は苦笑しながら腕を組む。
「そう簡単には名君にはしてくれぬらしい。」
「まあ、それも私らしいか。」
しかし、展示を見進めるうちに、治彦は違和感を覚えた。
「……氏治さん。」
「うむ。」
「これ、前にはありませんでしたよね。」
展示室の隅に、新しく一枚の解説板が設けられていた。
『近年の研究で見直される小田氏治の外交』
治彦は読み始める。
『近年発見された古文書や寺社縁起から、小田氏治は従来考えられていた以上に周辺諸勢力との交流を重視していた可能性が指摘されている。』
その下には、一枚の関東地図。
小田を中心に、いくつもの線が伸びている。
宇都宮。
結城。
小山。
真壁。
大掾。
鹿島。
それぞれに小さな解説が添えられていた。
『宇都宮氏との協力関係』
『結城・小山両氏との共同軍事行動』
『真壁氏との連携強化』
『鹿島社勢力との情報網』
『大掾氏との共同統治』
どれも断定ではない。
「可能性がある。」
「新史料によれば。」
「近年の研究では。」
そんな慎重な言葉ばかりだった。
治彦は笑った。
「全部じゃない。」
「でも……。」
「ちゃんと残ってる。」
氏治も静かに展示板を眺める。
「朝久公が築いた縁か。」
「ええ。」
治彦はさらに先へ歩く。
そこには新しい年表が加えられていた。
『小田氏は関東諸家との連携を模索し、その外交姿勢は後年再評価されつつある。』
その一文だけだった。
それでも治彦には十分だった。
亡霊氏治はぽつりと呟く。
「歴史とは面白いものだ。」
「英雄一人の働きよりも。」
「誰と歩いたかの方が、後の世では重く見ることもある。」
治彦は静かに頷いた。
「だから朝久公の時代は、こういう形で残ったんですね。」
氏治はゆっくりと展示室を見渡した。
「……いや。」
「まだ足りぬ。」
「小田だけを見ても分からぬぞ。」
治彦が顔を上げる。
「どういうことです。」
氏治は関東地図の宇都宮を指差した。
「朝久公は制度を作ったわけではない。」
「人を結び。」
「家を結び。」
「国を結んだ。」
「ならば、その証は小田だけには残るまい。」
治彦ははっとした。
「宇都宮……。」
「そうだ。」
「宇都宮には宇都宮の歴史がある。」
「結城には結城の。」
「真壁には真壁の。」
「それぞれの家が見た朝久公がある。」
治彦はスマートフォンを取り出し、地図を開いた。
「宇都宮まで……二時間少しか。」
氏治は微笑む。
「行こう。」
「今度は小田ではない。」
「朝久公が結んだ縁を訪ねる旅だ。」
治彦は力強く頷いた。
「はい。」
夕暮れの小田城跡歴史資料館を後にする二人の背中を、西日が長く照らしていた。
その旅は、歴史を変えた証を探す旅であり、朝久という一人の武将が遺した『人の縁』を辿る旅の始まりでもあった。




