帰還の雷
眩い光が、治彦の視界を白く塗り潰した。
雨の匂いが消える。
祝詞も。
旗のはためきも。
成治の凛とした横顔も。
すべてが遠ざかり、世界そのものが静寂へ沈んでいく。
――終わったのか。
そう思った瞬間、身体がふわりと浮いた。
どこまでも落ちるようで、どこまでも昇るような、不思議な感覚。
その隣には、いつものように亡霊氏治が立っていた。
「終わった……のでしょうか。」
治彦が問い掛けると、氏治は静かに笑った。
「いや。」
「ここからが、お主の役目だ。」
「私は歴史を歩み、お主は歴史を残す。」
「それが我らの約束であろう。」
治彦は膝の上の巻物を抱き締めた。
墨は乾いていない。
戦場で書き留めた文字が、そのまま残っている。
「皆は……。」
「朝久公も、成治も。」
氏治は遠くを見つめた。
「生きる者は、生きる時代へ帰る。」
「死した者は、語り継がれる。」
「我らも帰ろう。」
その言葉とともに、再び雷鳴が轟いた。
――轟ッ。
治彦は思わず目を閉じた。
次の瞬間。
「……っ!」
固い床に手をついた。
鼻をくすぐるのは、古い木材と展示ケースの匂い。
蛍光灯の白い光。
どこかで空調が静かに唸っている。
ゆっくりと顔を上げる。
「ここは……。」
見覚えがあった。
何度も訪れた場所。
小田城跡歴史資料館だった。
だが、違う。
入口正面に掲げられた案内板が、以前とはまるで違っていた。
『坂東の雄 小田氏
八田知家より続く名門、その興隆』
治彦は立ち尽くした。
「……こんな展示、あったか。」
亡霊氏治も静かに館内を見渡す。
「変わったな。」
「いや……。」
治彦は展示ケースへ歩み寄る。
そこに並んでいたのは、見覚えのある軍旗だった。
『雷霞一撃』。
説明文にはこう記されている。
『小田朝久が掲げ、その子成治へ受け継がれた軍旗。坂東藤原流結束の象徴とされる。』
治彦の喉が鳴った。
さらに隣には、一振りの太刀。
『俵藤太伝来 蜈蚣切り(複製展示)』
その解説には、
『宇都宮家が後見となった成治継承の儀で授与され、小田家の家宝として伝来したとされる。』
治彦は思わず笑った。
「本当に……。」
「歴史が変わったんだ。」
氏治は展示を見つめたまま、小さく呟く。
「朝久公も。」
「きっと満足しておられよう。」
その時、館内放送が流れる。
「まもなく閉館時間となります。」
現実の声だった。
治彦は胸に抱えた巻物へ目を落とす。
戦国で書いたはずの巻物は、今も確かに手の中にある。
氏治は静かに出口へ歩き始めた。
「参るぞ、治彦。」
「まだ終わってはおらぬ。」
「資料館を見て回ろう。」
「お主が変えた歴史を、その目で確かめるのだ。」
治彦はゆっくりと頷いた。
「……はい。」
二人は静かな展示室の奥へ歩き出す。
過去を知る二人だけが、誰にも気付かれぬまま、新しい歴史の中を歩いていった。




