遅参の援軍
那珂湊を発って三日。
氏治は休むことなく西を目指していた。
街道には、戦の爪痕が色濃く残っている。
北条方の兵が負傷者を運び、農民たちは家財を抱えて避難し、荷駄隊は絶え間なく兵糧を前線へ送り続けていた。
狼煙は昼なお空へ立ち昇り、遠くから太鼓の音が風に乗って響いてくる。
戦は、すでに始まっていた。
馬を並べる水戸頼治が静かに言う。
「間に合いますかな。」
氏治は前だけを見つめた。
「間に合わせる。」
「そのために那珂湊を急いで片付けた。」
やがて一行は上野国へ入る。
焼け落ちた村。
踏み荒らされた田畑。
街道には折れた槍や壊れた荷車が転がり、戦の激しさを物語っていた。
さらに西へ進むと、一隊の騎馬武者が近づいてくる。
北条の旗である。
先頭の武者は馬を降り、深く頭を下げた。
「小田殿でございますか。」
「北条家より迎えに参りました。」
氏治も馬上から頷く。
「氏康殿は。」
「ご健在にございます。」
その言葉に一同は安堵した。
「しかし戦況は厳しく、上杉勢はなお各地で攻勢を続けております。」
氏治は小さく息を吐いた。
「案内を頼む。」
北条の使者は一礼すると馬首を返した。
しばらく進むと、巨大な陣が見えてくる。
幾重にも巡らされた柵。
整然と並ぶ陣幕。
無数の北条の旗。
さすがは関東随一の大大名である。
警備の兵が氏治一行を見ると、道を開けた。
「小田勢、ご到着!」
その声は陣中を駆け巡り、やがて本陣まで届く。
氏治は馬を降りる。
陣幕が開き、一人の武将が姿を現した。
北条氏康である。
氏康は氏治を見るなり、大きく笑った。
「来たか、氏治殿。」
その笑顔を見た氏治は深く頭を下げた。
「氏康殿。」
「佐竹を退けるのに時を要しました。」
「援軍が遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。」
陣中は静まり返る。
しかし氏康は首を横に振った。
「遅い?」
そう言うと豪快に笑った。
「いや。」
「常陸を守り切り、佐竹を退けてなお来たのであろう。」
「それで遅いと言うなら、誰も援軍などできぬわ。」
周囲の武将たちからも小さな笑いが漏れた。
氏治もようやく表情を緩める。
氏康は地図の前へ歩く。
「見てくれ。」
上野一帯の地図には赤と黒の駒が入り乱れていた。
赤は北条。
黒は上杉。
黒い駒は日に日に南へ動いている。
氏康が一本の駒を指で弾いた。
「謙信は強い。」
「正面から押しても崩れぬ。」
「かといって退けば、関東諸将が雪崩を打って上杉へ靡く。」
氏治は静かに地図を見つめた。
水戸頼治、宇都宮尚綱も前へ進む。
氏治はゆっくりと上杉軍の配置を確認し、やがて一か所を指差した。
「……ここです。」
氏康が目を細める。
「ほう。」
「ここならば、敵は平野へ出ざるを得ません。」
「銃盾隊が正面を受け、北条軍が支えます。」
氏治はさらに西側へ指を滑らせた。
「そして青鬼が、横腹を食い破る。」
宇都宮尚綱は静かに槍へ手を添えた。
氏康はその様子を見て、満足そうに笑う。
「なるほど。」
「ようやく、役者が揃ったか。」
その時、本陣の外から慌ただしい足音が響く。
「ご注進!」
伝令が飛び込んできた。
「上杉軍、動きます!」
「柿崎景家、本庄実乃を先鋒とし、こちらへ進軍中!」
氏康は兜を手に取る。
氏治も蜈蚣切りを握り締めた。
関東を揺るがす決戦が、ついに始まろうとしていた。




