青鬼、一閃
「放て!」
宍戸政繁の号令とともに、那珂湊城の投石機が一斉に唸りを上げた。
巨大な腕木が夜空へ跳ね上がる。
これまでとは違う焙烙玉が、幾筋もの弧を描いて敵陣のはるか上空へ飛んでいく。
佐竹軍は思わず身を伏せた。
「来るぞ!」
「焙烙玉だ!」
しかし、それらは地へ落ちなかった。
夜空の高みに達した瞬間――。
パンッ!
乾いた破裂音とともに陶器が砕け散る。
次の瞬間、白く燃え上がる無数の火が戦場へ降り注いだ。
松脂と油を詰めた照明焙烙玉。
燃えながらゆっくりと落ちる火は、闇を昼のように照らし出した。
兵たちは思わず目を覆う。
「昼だ……。」
「夜なのに……。」
誰かが震える声で呟いた。
その光は敵だけではない。
那珂湊城から前進する銃盾隊も、鹿島衆も、すべてを照らしていた。
炎に照らされた盾の壁は、まるで鉄の城壁そのものだった。
真壁幹久は槍を前へ向ける。
「止まるな。」
笠間幹永が笑う。
「敵の足が止まりました。」
「ならば押し込め。」
「前進!」
銃盾隊が一斉に踏み込む。
盾が押す。
槍が突く。
鉄砲が火を吹く。
佐竹軍は応戦しようとするが、後方ではなお兵糧庫が燃え、本陣では荷駄が逃げ惑い、命令はどこにも届かない。
「本陣を守れ!」
「いや、海だ!」
「城だ!」
叫び声だけが飛び交う。
その混乱の中、氏治は静かに西を見た。
丘の向こう。
黒い影が並んでいる。
氏治は蜈蚣切りを高く掲げた。
「青鬼。」
それだけだった。
西の丘で、一人の武将が槍を天へ突き上げる。
宇都宮尚綱。
「宇都宮勢!」
「続けぇぇぇっ!」
雷鳴のような鬨の声が夜を裂いた。
数百騎の精鋭騎馬隊が、一斉に駆け下りる。
大地が揺れる。
馬蹄が鳴る。
照明焙烙玉の白い光の中を、重装騎馬が一直線に本陣へ突き進んだ。
「騎馬だ!」
「西から!」
「止めろ!」
もう遅かった。
佐竹軍は正面を銃盾隊に押され、後方を鹿島衆に乱され、横から騎馬隊を受ける。
陣形など残っていない。
尚綱は長槍を構えたまま敵陣へ飛び込んだ。
最初の侍大将を馬上から貫く。
返す槍で二人目を薙ぎ払う。
さらに本陣へ。
敵将の旗が次々と倒れていく。
「青鬼だ!」
「青鬼が来たぞ!」
恐怖が連合軍を駆け抜けた。
南東北の諸将は必死に兵をまとめようとする。
しかし、混乱した夜戦では味方を集めることすらできない。
ある者は討ち死に。
ある者は捕らえられ。
ある者は兵を捨てて逃げた。
佐竹義重もまた本陣で刀を振るっていた。
「退くな!」
「持ちこたえろ!」
だが、炎に照らされた戦場を見渡した義重は悟る。
敗れた。
兵糧は焼かれ、本陣は崩れ、南東北の旗は次々と倒れている。
ここで討たれれば佐竹家そのものが滅ぶ。
義重は歯を食いしばった。
「退く!」
「北へ!」
土地勘のある近習だけを従え、義重は久慈川へ通じる細道へ馬首を向ける。
闇と山道を利用し、その姿は夜の彼方へ消えていった。
夜明け。
那珂湊の浜には、無数の旗が横たわっていた。
戦は終わった。
氏治は静かに戦場を見渡す。
勝った。
だが、その表情に驕りはない。
「結城。」
「はっ。」
「大掾。」
「はっ。」
「宍戸。」
「はっ。」
三人が進み出る。
「常陸を任せる。」
「敗兵を収め、城を固めよ。」
三人は深く頭を下げた。
氏治は最後に那須を見た。
「那須。」
「はっ!」
「北へ。」
那須は力強く頷く。
だが氏治は続けた。
「……無理はするな。」
「追い詰められた佐竹ほど危うい敵はない。」
「功を焦れば、今日の勝ちを失う。」
那須は拳を胸に当てた。
「心得ました。」
「敵を押さえ、兵を必ず連れ帰ります。」
氏治は満足そうに頷いた。
「頼んだ。」
その時、西から早馬が駆け込む。
「ご注進!」
「上野にて北条軍苦戦!」
「上杉軍、なお健在!」
氏治は迷わなかった。
「馬を。」
近習が駆け寄る。
氏治は愛馬へ飛び乗ると、西の空を見つめた。
「佐竹は任せる。」
「我らは関東へ向かう。」
雷霞一撃の軍旗が朝日に翻る。
那珂湊で勝利を収めた坂東の軍勢は、休む間もなく西へ馬首を向けた。
その先には、越後の軍神が待っていた。




