軍靴の音
新年。
小田城には坂東各地の重臣が集まり、新年最初の評定が開かれた。
秋から冬にかけて氏治は兵学館へ力を注いでいたため、本格的に政務へ戻るのは久しぶりであった。
上座へ着くと、氏治は家臣たちを見回す。
「兵学館は治彦に任せた。」
「今日からは坂東全体の政と戦を考える。」
一同は深く頭を下げた。
まずは各地の報告が続く。
土浦は自由都市としてさらに人を集め、交易は盛んになっていた。
兵学館も四寮がそれぞれの学風を確立し、自ら育つ学び舎となっている。
那珂湊城も完成間近であり、周辺の支城群も整備が進んでいた。
宍戸が那珂川流域の絵図を広げる。
「敵が那珂湊城を避け、上流から回り込むことを防ぐため、那珂川上流方向へ支城を連ねました。」
「各支城には下野北部衆を交代で詰めさせ、狼煙と早馬による連絡網を整えております。」
宇都宮も頷く。
「那須勢を中心に北部衆を配置し、西方からの侵攻に備えます。」
氏治は満足そうに地図を見つめた。
「城は一つでは守れぬ。」
「支城があってこその防衛線だ。」
続いて真壁が軍備の報告を行う。
「昨年夏より増産を命じられた坂東楯ですが、牛革の供給も安定し、生産は軌道へ乗りました。」
「まだ全軍へ配備する数はありませんので、まずは真壁勢と笠間勢の精鋭へ優先配備しております。」
宍戸が補足する。
「鉄砲隊や槍隊との連携を実戦形式で試験しております。」
「ここで運用法を完成させ、順次各家へ広げる予定です。」
氏治は楯を手に取り、静かに言った。
「今年は精鋭が坂東楯を育てる年だ。」
「来年には坂東の壁となれ。」
評定の空気は、ここから一変する。
水戸頼治が関東一円の地図を広げた。
「北より、戦の報せです。」
一同の表情が引き締まる。
「佐竹義昭公は健在ですが、家督は嫡子・義重殿へ譲られました。」
「父が後見として支え、若き当主を前面へ立てる体制となっております。」
さらに頼治は続けた。
「昨年の冷夏と不作により、佐竹領から奥州南部では人心が乱れております。」
「しかし、その不満を内政へ向けるのではなく、外へ向けようという動きが家中で強まっております。」
「相馬など近隣勢力との結び付きも深まり、北では上杉方との連携を探る使者も確認しております。」
鹿島も報告を引き継ぐ。
「見聞方によれば、上州では上杉方と長尾景虎殿が急速に接近しております。」
「北条家を討つため、景虎殿を先頭に鶴岡八幡宮を目指す南下構想が秘密裏に進められているとのことです。」
宇都宮が地図を見つめる。
「西では北条と上杉。」
「北では佐竹。」
「関東全体が戦支度を始めたな。」
水戸頼治はさらに一枚の密書を取り出した。
「そして、もう一つ厄介なのは風聞です。」
「佐竹領や奥州では、小田を憎む噂が意図的に広められております。」
『冷夏でも小田だけが栄えている。』
『小田が関東や越後の米を買い占めた。』
『佐竹領では生活物資まで買い占められた。』
『坂東だけが豊かなのは周囲を犠牲にしたからだ。』
評定の間が静まり返る。
鹿島は苦笑する。
「全くの嘘ではありません。」
「我らは昨年、関東と越後から大量の米を買い付けました。」
「さらに交渉方と商販方は、佐竹領内でも米だけでなく塩、布、鉄、油、紙などの生活物資を優先して確保しております。」
真壁が続ける。
「戦に備えるための備蓄だ。」
「だが、不作の年にはそれだけで恨みを買う。」
頼治は頷いた。
「事実へ誇張を重ねた噂だからこそ、人々は信じ始めています。」
さらに鹿島は国境情勢を報告する。
「水戸との国境では小競り合いが急増しております。」
「交渉方の出動も例年を大きく上回りました。」
「最近では武装集団との交渉や、奪われた荷の奪還まで任されるようになっております。」
氏治は苦笑する。
「ずいぶん手荒な交渉になったものだ。」
鹿島も笑って答えた。
「ですが最後は必ず話し合いで終わらせております。」
「交渉方が動いているうちは、まだ全面戦争ではありません。」
氏治は静かに立ち上がり、関東一円の地図を見渡した。
「敵は兵を集め、噂を流し、人心を動かし始めた。」
「戦はもう始まっている。」
「だが、我らも備えは整えた。」
「兵学館は人を育て、城は国を守り、民は国を支える。」
「今年は坂東の真価が問われる一年となる。」
評定の間にいた全員が力強く頭を下げる。
小田城の外では、冬の風が静かに吹いていた。
その風に混じるように、まだ見ぬ戦場から――軍靴の音が、確かに近づいていた。




