青龍寮、夜の航海
夕食を終えると、炊事方が手際よく食器を片付け、大広間には机と行灯が並べられた。
宝篋は静かな夜の霞ヶ浦を、土浦へ向けてゆっくりと進んでいる。
見張り方と操舵方だけが持ち場に残り、その他の寮生たちは自然と机を囲んだ。
朱雀寮では、一人ひとりが静かに机へ向かい、自らを律して学ぶ。
だが、青龍寮は違う。
二、三人ずつ輪を作り、帳簿を囲みながら算術を教え合う者。
漢籍を読み合わせる者。
航海日誌を書き写す者。
地図を広げ、港の位置を確認する者。
「そこは桁が違うよ。」
「あ、本当だ。」
「ありがとう。」
「じゃあ今度はこっちを教えて。」
教えられた者は、今度は別の仲間へ教える。
そんな輪が船内のあちこちで生まれていた。
氏治はその様子を見て微笑む。
「朱雀とはずいぶん違うな。」
大掾政景も頷いた。
「商いも航海も、一人ではできません。」
「ですから勉強も、一人で抱え込まず仲間と学びます。」
治彦も笑った。
「青龍は冒険心と自立心を掲げる寮なのに、ずいぶん仲間意識が強いですね。」
「ええ。」
大掾は穏やかに答えた。
「船で暮らしていると、一人では何もできません。」
「利益は皆で働いたものですから、皆で分けます。」
「怪我人が出れば、皆で金を出し合って医者へ診せます。」
「今日は助ける側でも、明日は助けられる側になるかもしれません。」
「それが航海です。」
夜学が一段落すると、一人の寮生が大きな海図を広げた。
「来年の夏は、ここ。」
指先は三浦を示す。
「初めて江戸湾を越える航海になります。」
「港を見て、商いを学んで、異国船も見てみたいな。」
一年生たちは目を輝かせた。
「楽しみだ!」
すると上級生が海図のさらに西を指差す。
「三年生になれば必修も終わる。」
「その頃には堺へ行きたい。」
「俺は博多だ。」
「西国の港をこの目で見てみたい。」
夢は海図の上を西へ西へと広がっていく。
大掾は静かに笑った。
「夢を見るのは大いに結構。」
「だが、その夢は今日の読み書き、算術、航海術、商い、その積み重ねがあってこそ叶う。」
皆が大きく頷く。
「まずは来年、三浦!」
「再来年は堺!」
「博多も行こう!」
その時、一年生が遠慮がちに尋ねた。
「では……五年生になったら、卒業の記念にもっと遠くへ行けますか。」
船内が静まり返る。
大掾は海図をさらに南へなぞった。
「五年間、誰一人欠けることなく学び抜いたなら。」
「卒業航海として、琉球。」
さらにその先を指す。
「あるいは、ルソン。」
歓声が一斉に上がる。
「本当ですか!」
「ルソンだ!」
「絶対卒業する!」
「異国を見てみたい!」
その熱気が落ち着くのを待って、氏治はふと尋ねた。
「政景。」
「青龍寮にも掟はあるのか。」
大掾はゆっくりと頷いた。
「あります。」
「ただ一つだけです。」
寮生たちも自然と姿勢を正した。
大掾は一人ひとりの顔を見渡し、静かに告げる。
「仲間の失敗は、みんなで支えること。」
船内が静まり返る。
「挑戦すれば、失敗は必ずあります。」
「商いで損をすることもある。」
「航路を誤ることもある。」
「ですが、一人に責任を押し付ければ、誰も挑戦しなくなります。」
「だから利益は皆で分ける。」
「怪我人は皆で助ける。」
「失敗した者を責めるのではなく、次はどうすればよいかを皆で考える。」
「それが青龍です。」
氏治は静かに頷いた。
「よい掟だ。」
「それなら安心して新しい海へ漕ぎ出せる。」
大掾は穏やかに笑う。
「冒険心も、自立心も。」
「仲間がいてこそ、本当の力になりますから。」
宝篋は月明かりを受けながら静かに霞ヶ浦を進む。
まだ彼らの航海は湖の上に過ぎない。
しかし、若者たちの夢はすでに三浦を越え、堺を越え、琉球、そしてルソンの海へと帆を広げていた。
青龍寮の船は、人を港へ運ぶ船ではない。
仲間とともに未来へ漕ぎ出す心を育てる、湖上の学び舎なのであった。




