第一試合 玄武の兵法
霞ヶ浦湖畔の馬庭球場は、朝早くから熱気に包まれていた。
今日は兵学館屈指の好カード。
朱雀寮と玄武寮の練習試合である。
正式な大会ではないにもかかわらず、土浦の町人まで詰め掛け、屋台には握り飯や団子、冷えた甘酒が並び、瓦版屋は「兵学館最強玄武見参」「兄弟対決」と書かれた号外を売り歩いていた。
まるで祭りだった。
審判の声が響く。
「両軍、整列!」
まず朱雀寮。
寮長・宇都宮朝綱を先頭に、朱色を基調とした陣羽織をまとった六騎が、一糸乱れぬ隊列で入場する。
その規律正しい姿に観客席から感嘆の声が漏れた。
続いて玄武寮。
寮長・結城朝基を先頭に、黒を基調とした陣羽織をまとった六騎が静かに歩みを進める。
歓声にも表情を変えない。
観客席では玄武寮の学生たちが、小田家の軍旗「雷霞一撃」を大切そうに掲げていた。
朝基は氏治へ一礼し、兄・朝綱へも静かに礼を交わす。
兄弟は互いを見つめる。
だが言葉はない。
法螺貝が鳴り響いた。
今回は朱雀寮のホーム。
玄武寮が鞠を弾き、試合が始まった。
開始直後から氏治は違和感を覚えた。
玄武寮は誰一人として鞠へ群がらない。
朝基が鞠を収めると、残る五騎は絶妙な間隔を保ちながら散開する。
誰かが前へ出れば、周囲の者は味方と朱雀の間へ自然と馬を滑り込ませる。
道を作る。
敵には道を消す。
その見えない動きを誰一人怠らない。
「鞠ではなく、人を動かしている……。」
氏治は思わず呟いた。
玄武は鞠を流れるようにつなぎながら中央を押し上げる。
やがて豪快な一撃。
しかし鞠はわずかに網囲いを外れた。
朱雀の一騎が回収へ向かう。
その瞬間、玄武の二騎が左右から馬体を寄せ、進路を塞ぐ。
木槍は使わない。
馬だけで閉じ込める。
「救援!」
宇都宮朝綱が叫ぶ。
朱雀の二騎が救援へ向かう。
その刹那。
朝基は空いた中央へ滑り込み、味方から渡された鞠を軽く前へ浮かせた。
待ち構えていた前衛が鐙の上へ立ち上がるように跳躍し、木槍を豪快に振り抜く。
乾いた音が湖畔へ響いた。
革鞠は一直線に網囲いへ突き刺さる。
「玄武寮、先制!」
歓声は大地を揺らし、空気さえ沸騰したかのようだった。
だが玄武は誰一人喜ばない。
何事もなかったように自陣へ戻り、静かに隊列を整える。
試合は再開された。
今度は朱雀寮の攻撃。
宇都宮朝綱の指揮の下、美しい隊列で鞠をつなぎながら前進する。
一方の玄武は、一騎だけが鞠を追い、残る五騎は自陣で待つ。
観客には朱雀が押しているように映る。
しかし治彦だけは首を横に振った。
「違います。」
「朱雀は攻めているのではありません。」
「攻めさせられているのです。」
玄武は退いているようで、間合いだけは決して崩さない。
朱雀は知らぬ間に玄武陣の奥深くまで誘い込まれていた。
朝基が短く指笛を鳴らす。
その音だけで玄武六騎が一斉に動いた。
左へ偏った朱雀の隊列へ馬体を滑り込ませる。
一本道だった進路が次々と塞がれる。
味方同士が押し合い、行き場を失う。
その隙に朝基が鞠を奪う。
味方へ。
さらに前へ。
最後は強打ではない。
木槍で軽く押すだけ。
ころり、と鞠は朱雀の網囲いへ転がった。
「玄武寮、二点目!」
観衆は熱狂し、歓声が何度も湖畔を揺らした。
それでも玄武は静かに持ち場へ戻る。
前半も終盤。
時役が木札を掲げた。
『残り五分。』
朝基は一瞥すると、先ほどとは違う指笛を鳴らした。
今度は玄武が前へ出る。
朱雀から鞠を奪うと、それまでの丁寧な連携は影を潜めた。
鞠を強く弾く。
また強く弾く。
左右から次々と攻め立てる。
「雑だ!」
「点を急いでいる!」
観客席がざわつく。
だが白虎寮長・小山義広だけは静かに言った。
「違います。」
「玄武が奪いに来たのは点ではありません。」
「時間です。」
朱雀は自陣を右へ左へと走り回る。
拾っては弾かれ。
追っては弾かれ。
再び追う。
その間にも時計だけは進み続ける。
しかも激しく攻めているのは三騎だけだった。
残る三騎は中央付近に位置取り、鞠を受け、味方へ渡し、間合いを支えるだけ。
必要な時だけ一歩動き、すぐ元の位置へ戻る。
体力をほとんど消耗していない。
対照的に朱雀は六騎全員が全力で走り続けていた。
朝綱の指揮の下、最後まで諦めず鞠を追い続ける。
しかし、それさえも朝基の思惑の内だった。
法螺貝が長く鳴り響く。
前半終了。
朱雀の六騎は肩で大きく息をし、馬も汗に濡れている。
一方、玄武は静かに馬へ水を飲ませ、表情にも余裕を残していた。
氏治はその光景を見つめ、深く息を吐いた。
「朝基は二点だけではない。」
「時間を奪い、体力を奪い、流れまでも奪った。」
玄武二点リード。
しかし兵学館の誰もが感じていた。
この試合は、まだ二点差以上に玄武が支配していることを。




