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三河・遠江沿岸襲撃――結城朝基、徳川を海へ引き戻す

三河・遠江沿岸襲撃――結城朝基、徳川を海へ引き戻す


結城朝基は、大掾幹康から沿岸攪乱の許可を得ると、すぐに兵を増やし始めた。


ただし小田原の兵には、なるべく手をつけなかった。


箱根には箱根の戦がある。


伊豆にも守備兵を残さなければならない。


そこで結城が援軍を求めたのが、鹿島と相馬だった。


「海から運べる者を寄越してほしい」


求めたのは大軍ではない。


船から素早く降り、沿岸を動き、敵が集まる前に再び船へ戻れる兵である。


鹿島から兵が来た。


相馬からも応じる者が来た。


これらを自らの結城勢、伊豆へ集めていた残兵と組み合わせ、結城は上陸部隊を編成した。


大掾幹康はその様子を見ながら尋ねた。


「どこから始める」


結城はほとんど迷わなかった。


「岡崎と浜松」


大掾が顔を上げた。


どちらも徳川にとって軽い土地ではない。


岡崎は三河における徳川の根幹。


浜松は遠江支配と東方軍事行動の中心となる場所である。


「城を攻めるのか」


「攻めませぬ」


結城は笑った。


「城を攻めずとも、徳川が最も嫌がるところで騒げばよいのです」


岡崎そのものを落とす必要などない。


浜松城へ攻城戦を仕掛ける必要もない。


むしろ、それをしてしまえば結城勢が陸上に拘束される。


狙うのは、その周辺だった。


軍用の蔵。


兵糧の集積地。


軍勢のために準備された施設。


街道沿いの軍事拠点。


徳川軍が戻ってこなければ困る場所を選んで、しつこく荒らす。


そして結城は、さらに妙なことを言った。


「今度は、すぐには帰りませぬ」


「以前と言っていることが違うぞ」


「敵が来るまでは、です」


大掾はしばらく結城を見て、それから意味を悟った。


結城は物を壊したいだけではない。


徳川軍を呼び戻したいのである。


---


坂東艦隊がまず接近したのは三河沿岸だった。


すでに徳川方の水軍は、坂東フリガッタとの戦闘を経て湾や港の防備を固めている。


だから結城は、敵水軍の集まっている場所へ正面から入らなかった。


別の沿岸へ兵を降ろした。


結城勢。


鹿島勢。


相馬勢。


彼らは上陸すると、海岸に陣城を築くこともなく内陸へ散った。


目的地は岡崎方面。


しかし岡崎城そのものには向かわない。


周辺の軍事施設を探し、軍需に関係する場所だけを狙った。


ところが結城が予想していた以上に、徳川方の反応は鈍かった。


「……来ぬな」


一日が過ぎた。


斥候を飛ばす。


まとまった敵影なし。


二日目。


なお来ない。


三日目になっても、大軍が現れる様子はない。


理由は単純だった。


徳川の主力が、あまりにも東へ出払っていた。


駿河。


そして箱根方面。


追撃戦の勢いに乗って兵を送り出した結果、三河や遠江に残っているのは城や重要地点を守る守備兵が中心になっていた。


しかも彼らも、最初は結城勢の目的を測りかねた。


本格的な侵攻なのか。


ただの略奪なのか。


陽動なのか。


坂東艦隊による大規模上陸の前触れなのか。


各城が手持ちの兵を不用意に動かせば、その城が次の標的になるかもしれない。


結果として対応に時間がかかった。


結城にとっては好都合だった。


「ならば、もう少しやるか」


上陸部隊は場所を変えた。


一つ荒らしては移動する。


斥候を広く出す。


だが城下町そのものへ突入することは避けた。


民家を焼き払うようなこともしない。


あくまで軍のために使われている場所を探した。


徳川方から見れば、それがかえって厄介だった。


敵は土地を奪おうとしない。


城も囲まない。


どこかに腰を据える気配もない。


なのに帰らない。


海岸近くには坂東艦隊がいる。


陸には結城の斥候が散っている。


こちらが兵を出せば、いつでも逃げられる。


それでも放置するわけにはいかなかった。


やがて城々から連絡が飛び交い、守備兵が集められ始めた。


結城のもとへ斥候が駆け込んだ。


「敵勢、確認!」


結城は振り向いた。


「数は」


「なお増えております。こちらへ向かっております!」


結城は少しも慌てなかった。


むしろ笑った。


「ようやく来たか」


鹿島勢の将が尋ねる。


「迎え撃ちますか」


「いや」


「では伏せますか」


「それもいらぬ」


結城は即答した。


「帰るぞ」


周囲が一瞬、静かになった。


何日も待った敵である。


ようやく戦える距離まで徳川方の兵が集まり始めた。


普通なら、ここからが戦である。


だが結城朝基にとっては違った。


敵が来た時点で、戦は終わっていた。


「我らの目的は徳川兵を討ち取ることではない」


結城は言った。


「箱根へ行ける兵を、こちらへ向かせることだ」


撤収の合図が出された。


散開していた部隊が次々と海岸へ戻る。


負傷者を先に船へ乗せる。


斥候が最後まで敵との距離を測る。


鹿島勢、相馬勢、結城勢が順次乗船していった。


徳川方がようやく本格的に接近したころ――


海岸には、ほとんど何も残っていなかった。


沖には坂東艦隊の船影がある。


だが追うことはできない。


三河水軍はすでに坂東フリガッタとの海戦を経て湾内防備を優先している。


不用意に湾外へ出れば、再び沖で捕捉される。


結城は船上から海岸を眺めた。


敵兵が到着している。


こちらを見ている。


しかし手が届かない。


「よし」


結城は満足そうに頷いた。


「次は遠江だ」


---


今度は浜松周辺だった。


やることは同じである。


艦隊が沿岸へ接近する。


斥候を降ろす。


守備の薄い地点を探す。


兵を上陸させる。


軍需施設を襲う。


そして――待つ。


徳川方が兵を集めるまで、場所を変えながら攪乱を続ける。


敵が本格的に集まったことを確認すると、戦わない。


海へ戻る。


三河へ兵を集めれば遠江へ。


遠江を固めれば、別の沿岸へ。


徳川方が追えば追うほど、守らなければならない海岸線が伸びていく。


しかも坂東艦隊は海上封鎖を解いていない。


結城の上陸部隊を運びながら、なお海そのものを押さえている。


大掾幹康は報告を聞いて、ようやく結城朝基が考えていたことを完全に理解した。


これは略奪ではない。


占領でもない。


大規模な会戦を求めているわけですらない。


徳川に「三河と遠江は安全ではない」と思わせ続ける戦だった。


箱根へ兵を送りたいなら送ればよい。


その間に岡崎の周辺へ現れる。


浜松を手薄にすれば、今度は遠江へ現れる。


兵を戻して戦おうとすれば――


結城は船に乗って消えてしまう。


徳川にとって最も腹立たしいのは、そこだった。


戦えば勝てるかもしれない。


だが、その戦う相手が待ってくれない。


結城朝基は敵兵が近づくたび、さっさと海へ逃げた。


そして沖へ出ると、また次の上陸地点を探した。


箱根では織田・徳川軍が攻撃準備を進めていた。


だが、そのはるか後方では少しずつ別の不安が広がっていた。


三河は大丈夫か。


遠江は大丈夫か。


岡崎を守る兵は足りるか。


浜松へ戻すべきではないか。


そして結城朝基が狙っていたのは、最初からその疑念だった。


城を落とす必要はない。


徳川に、自分の城を心配させればよかった。

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