馬庭球と四寮の誇り
時計台の最上階。
氏治は治彦、モンケとともに土浦の町を見渡していた。
その時、造成待ちの広場から大きな歓声が響く。
「おおっ!」
氏治が目を向けると、六人ほどずつに分かれた学生たちが馬を駆り、豚の膀胱に革を張った鞠を教練用の木槍で叩き合っていた。
味方へ鞠をつなぎ、相手陣の網囲いへ打ち込めば一点。
学生たちは砂煙を巻き上げながら必死に駆け回っている。
町人や商人まで集まり、大きな歓声を送っていた。
氏治はしばらく眺めると、小さく笑った。
「面白い。」
治彦が頭を下げる。
「休み時間に学生たちが勝手に始めた遊びです。」
「名はあるのか。」
「まだありません。」
氏治は広場を見渡し、静かに言った。
「ならば、馬庭球と名付けよう。」
学生たちから歓声が上がる。
氏治はさらに続けた。
「これは遊びではない。」
広場が静まり返る。
「兵学館の学技とする。」
モンケが嬉しそうに頷いた。
「休日ごとに四寮対抗戦を行え。」
「一年間の勝敗を記録し、年末に最も勝ち星の多い寮へ賞金を与える。」
学生たちは顔を見合わせ、歓喜の声を上げた。
「ただし。」
氏治は笑う。
「これは礼節を学ぶ競技だ。」
「試合では泥にまみれ、貴族が蛮族のように振る舞って構わぬ。」
広場から笑いが起こる。
「だが試合が終われば互いを称え、礼を尽くせ。」
「それが馬庭球だ。」
さらに氏治は造成予定地を見渡した。
「この広場の造成はやめる。」
治彦は驚く。
「校舎を建てる予定でしたが。」
「校舎は他にも建つ。」
氏治は首を振った。
「この場所は競技場とする。」
「周囲へ観覧席を築け。」
「兵学館だけではない。」
「土浦の者すべてが集う競技場だ。」
その日、造成待ちだった空き地は兵学館最大の競技場となることが決まった。
夕暮れ。
治彦の計らいで、兵学館の全学生が朱雀寮へ集められた。
長机には握り飯、豚汁、焼き魚、漬物が並び、最後には甘酒まで振る舞われる。
市場から青龍寮の学生が戻り、白虎寮の学生は煤だらけの顔のまま席へ着き、玄武寮の学生は馬の手入れを終えて駆け込んできた。
「殿、お越しです!」
学生たちは一斉に立ち上がる。
氏治は笑って手を振った。
「楽にしてくれ。」
夕餉が始まると広間は笑い声に包まれた。
青龍は瓦版の売れ行きを自慢し、
白虎は新しい火縄銃の改良点を語り、
玄武は馬庭球の新戦術を熱く議論している。
朱雀は皆へ料理を配りながら広間全体へ目を配っていた。
甘酒が進むにつれ、普段真面目な学生たちも肩を組んで歌い始める。
氏治はその光景を見て笑った。
「これほど賑やかな兵学館も悪くない。」
やがて一般の学生が帰ると、広間には氏治、治彦、モンケ、そして四人の寮長だけが残った。
朝綱が静かに頭を下げる。
「殿。」
「本来、寮の場所は寮生以外には明かしません。」
「ですが。」
幹康が続ける。
「殿だけは特別です。」
義広も一礼した。
「いずれ兵学館へお越しになる日もありましょう。」
朝基は笑う。
「一日だけで構いません。」
氏治は首をかしげる。
「一日でよいのか。」
朝綱は頷いた。
「殿は政務も戦支度もございます。」
「長くは無理でしょう。」
「ですが、一日だけでも私どもと共に学び、共に飯を食べていただければ。」
義広も深く頭を下げた。
「それだけで本望にございます。」
氏治は四人を見渡し、穏やかに笑った。
「その日が来たら、一日だけ学生になろう。」
四人の顔がほころんだ。
まず案内されたのは青龍寮だった。
土浦城の東、湖畔へ係留された数隻の船。
そこが青龍寮である。
「冒険と富を求めよ。」
幹康は胸を張る。
休日に働き、賄いを売ることから始まった青龍寮は、今では瓦版屋を共同経営し、服屋や食堂まで営んでいた。
次は白虎寮。
火器演習場近くの櫓を改造し、その地下へ工房と住まいを築いていた。
「試行錯誤と観測を怠るな。」
義広は試作品の火縄銃を手にする。
作っては撃ち、壊しては直し、その結果をすべて帳面へ書き残す。
白虎寮では失敗こそ財産だった。
最後は玄武寮。
朝基は時計台へ向かう途中、城壁の一角で立ち止まった。
壁にしか見えない場所の木戸を開く。
「こちらです。」
中には部屋があった。
「……いつ造った。」
「築城実習で少しずつ。」
壁の厚みを利用して作られた部屋は、まるで最初から存在したかのように城へ溶け込んでいる。
治彦は苦笑した。
「ある日、『教室が増えました』と言われて見に来たら、本当に増えていました。」
モンケも笑う。
「築城を教えた結果がこれです。」
部屋の壁一面には馬庭球の作戦図。
木槍。
革張りの鞠。
馬の飼育記録。
「玄武は馬好きなのか。」
氏治が尋ねると、治彦は首を振った。
「馬好きというより、馬庭球好きです。」
朝基も笑う。
「試合が終われば反省会。」
「作戦を考えて。」
「翌日また試します。」
治彦は続けた。
「朝基は、分からないことがあると答えが出るまで寝食を忘れて没頭します。」
「読み書きの授業では、誰にも読めない字を書いていました。」
「後で分かれば、タガログ語でした。」
「講義では難しい質問で授業を止め、終われば教官を追い回す。」
氏治は笑う。
「問題児だな。」
治彦も笑った。
「最初はそう思いました。」
「ですが違いました。」
「知識への渇望が常人離れしているのです。」
「今ではルソン人教官と現地語で会話できる唯一の学生となり、来季から補佐教官になります。」
「だから玄武寮には、一つのことを極めようとする者や、少し変わった者ばかり集まるのです。」
氏治は四人の寮長を見渡した。
「朝綱は正道。」
「幹康は挑戦。」
「義広は観測。」
「朝基は常識を疑う。」
「皆違う。」
氏治は穏やかに笑った。
「だから兵学館は面白い。」
四人の寮長は静かに頭を下げた。
夏の夜、朱雀寮の灯は遅くまで消えることなく、若き学生たちの笑い声が自由都市土浦に響き続けていた。




