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第35話 見学者

「今回の任務ログを確認しましょう」


 アリスがそう言って、机の上の携帯端末に指を伸ばした。


 その時だった。


「待て待て」


 ソファー側から、刹那が声を挟んだ。


 アリスの指が、端末に触れる直前で止まる。


「何かしら」


「その前に、自己紹介じゃないか?」


 アリスの顔がわずかに傾いた。


「必要かしら」


「必要だろ。初対面だぞ」


 刹那は当然のように言った。


 アリスは少しだけ沈黙したあと、ナナとれんへ視線を向ける。


「アリス。ARCADIAのクランマスターよ」


 短い自己紹介。


 それだけ言うと、アリスは端末へ視線を戻さず、刹那を見た。


 刹那と目が合う。


「……何だよ」


「言い出したのは貴女でしょう」


「私は見学の見学だろ」


「貴女も初対面よ」


 アリスは静かに言った。


 美咲も、ナナも、れんも、自然と刹那へ視線を向ける。


 刹那は一瞬だけ顔をしかめた。


「……分かったよ」


 観念したように息を吐くと、ソファーの背に片腕を預けたまま口を開く。


「刹那。前衛。以上」


「雑ね」


「お前のも大して変わらんだろ」


 刹那は悪びれもせずに肩をすくめた。


 それを見ていたナナの顔が、ほんの少しだけ引き締まったように見えた。


 そして、すぐに背筋を伸ばした。


「ナナ。火力、です」


 最後の一言だけが、少し遅れてついた。


 美咲は思わずナナを見る。


 れんもナナを見て首を傾げ、それから軽く頭を下げた。


「れんです。タンク寄りでやってます。今日は美咲さんに同行しました」


「確認したわ」


 アリスは淡々と頷く。


 ナナの眉が、ぴくりと動いた。


「……そういうところ」


「何か?」


「なんでもない」


 刹那が口元を緩めた。


 ナナはそれに気づいたのか、気づいていないのか、視線をアリスから逸らした。


「では、始めましょう」


 アリスが端末に触れる。


 机の中央に、淡い光が立ち上がった。


 任務開始時刻。


 交戦地点。


 敵性反応。


 被弾箇所。


 回復弾の使用履歴。


 状態異常の記録。


 それらが細い線と数字になって、空中に並んでいく。


 ナナとれんは、椅子に座ったままその光景を見つめていた。


 美咲はいつものように背筋を伸ばす。


 アリスの視線が、ログの上を静かに流れていく。


「まず、第二セクターの防衛戦から確認するわ」


「よろしくお願いします」


「開始直後の反応。敵性反応を視認してから、照準を動かすまでが早いわ」


 アリスが端末を操作すると、防衛地点の広場が立体的に表示された。


 赤い点が敵。


 青い点が味方。


 美咲の位置から、れん、ナナ、リクト、それぞれへ細い線が伸びていく。


「シェルキャリア、ノイズリーチ、カッターハウンド。種類、数、位置の把握もできている」


 アリスはそこで一度、美咲へ視線を向けた。


「この時、味方への共有は?」


「はい、伝えました」


「なら、そこは問題ないわ。見えた情報を自分の中だけで処理せず、共有できている」


「ありがとうございます」


 美咲は少しだけ肩の力を抜いた。


 けれど、アリスの指はすぐに次の記録へ動く。


「ただし、途中から処理する情報が増えすぎている」


 美咲の背筋が、また伸びた。


「敵の種類、味方の位置、制御端末、被弾状況、射線。見るべきものが多いのは確かよ。けれど、全部を同じ重さで持とうとすると判断が遅れる」


「……はい」


「特にここ」


 アリスが一つの場面を止める。


 リクトがれんの斜め前へ踏み込み、ナナの射線を半分塞いだ場面だった。


「この時、貴女の照準が一度止まっている。ノイズリーチとカッターハウンド、どちらを止めるかで判断が遅れたように見えるわ」


 美咲は小さく頷いた。


「……はい。迷いました」


「結果として、カッターハウンドを止めた判断自体は間違いではないわ。制御端末へ抜ける可能性があった。けれど、決定までの間が長い」


 淡々とした声。


 責めているわけではない。


 けれど、一つ一つ逃がさず拾われていく。


 美咲は膝の上で、そっと指先を握った。


 その少し離れた場所で、ナナとれんは黙って二人を見ていた。


 アリスがまた別のログを展開する。


 美咲の回復弾が、れんに向けて撃たれた場面。


 その直後、美咲の視線がリクトへ向き、動きがわずかに止まっている。


「この時の優先順位は正しいわ。前線を維持していたれんを先に回復した。支援職として見るなら、合理的な判断よ」


 その言葉に、ナナがわずかに目を細めた。


 れんは静かに頷いている。


 美咲は二人の反応に気づきながらも、アリスから視線を外せなかった。


「ただし、その後の反応が遅れている」


「……はい」


「この直後、何があったの?」


 美咲の指先が、膝の上で小さく強張った。


 口を開こうとして、声が出る前に、隣からナナの声が落ちた。


「……少し、言われたのよ」


 アリスの視線が、ナナへ向く。


「何を?」


「回復の優先順位について。もっと周りを見ろ、みたいなこと」


 その言い方は、妙にぼかされていた。


 本当は、もっと刺さる言葉だった。


 それでもナナは、そこをそのまま口にしなかった。


 美咲は思わずナナを見る。


 ナナは美咲を見ずに、腕を組んだままログを睨んでいた。


「そう」


 アリスは短く返し、もう一度ログへ視線を戻した。


「その発言の直後、貴女の視線と動作が一拍止まっている。言葉を受けるなとは言わないわ。でも、戦闘中に飲み込む必要はない」


「……はい」


「後で処理しなさい。戦闘中に必要なのは、今の状況と次の行動よ」


 アリスの声は静かだった。


 ロビーには、ログの光と紅茶の香りだけが漂っている。


 その静けさの中で、刹那がふとナナとれんへ顔を向けた。


「どうよ。実際に見てみた感想は?」


 美咲の肩が、ほんの少しだけ跳ねる。


 そして、刹那を横目で見ながら、声に耳を傾けた。


 刹那は楽しそうに二人を見ている。


 ナナとれんは、急に話を振られて顔を見合わせた。


「えっと……」


 れんが困ったように笑う。


 ナナは腕を組み直し、ログとアリスを交互に見た。


「わりと……普通、です」


「普通?」


 刹那が面白そうに聞き返す。


「ログの見方も正確だと思いますし、言ってることも間違ってない……と、思います」


 そこでナナは、一度アリスを見た。


 アリスは端末に視線を落としたまま、次の確認へ移ろうとしている。


「でも、淡々としてて……取り調べみたい、です」


 言った瞬間、れんが小さく息をのんだ。


「いや、でも分かる。ログの読み取りはすごく正確だし、指摘も筋が通ってると思う。ただ……これを毎回やってるって、美咲さんすごいよね」


 れんはフォローのつもりで言ったのだろう。


 美咲には、それが分かった。


 分かったけれど、アリスの指が端末の上で止まったのも見えた。


 刹那が声を殺して笑う。


「まあな。もう少し可愛げがあればいいんだけどなぁ」


 その瞬間。


 止まっていたアリスの指が、ゆっくりと端末から離れた。


 次のログへ移ろうとしていた動きが消え、ロビーに不自然な沈黙が落ちる。


 ナナとれんの表情が、同時に固まった。


 美咲は目を伏せる。


 だから、余計なことは言わないでくださいって言ったのに。


 アリスが、ゆっくりと顔を上げた。


 碧い瞳が、刹那を見た。


 次に、ナナ。


 そして、れん。


「そこの三人も、会話に入りたそうね」


「え?」


 ナナとれんの声が、綺麗に重なった。


 刹那はすぐに片手を上げる。


「いやー。私は遠慮しておく。これから予定あるし」


 そう言いながら、刹那はソファーから立ち上がった。


 そのままロビーの扉へ向かう。


 美咲は、嫌な予感を覚えた。


 刹那が扉の前に立ち、認証に触れる。


 扉は開かなかった。


「……おい」


「マスター権限。無駄よ」


 アリスは端末を片手に、当然のように言った。


 刹那の顔が引きつる。


「まじで予定あるんだって」


「今日は一日暇だと、さっきぼやいていたじゃない」


「それは言葉のあやというか」


「なら、問題ないわね」


 ナナとれんは、扉の前で固まる刹那を見ていた。


 さっきまで気安く笑っていた刹那が、なぜかアリスの一言で逃げ道を失っている。


 あの刹那が。


 ナナの目が、少しだけ見開かれた。


 れんも、状況を理解しきれない顔をしている。


「……もしかして」


 ナナが小さく呟いた。


「これ、まずい……です?」


 最後の敬語だけが、やっぱり少し遅れた。


 美咲は三人を見比べた。


 逃げようとしている刹那。


 巻き込まれたことに気づき始めたナナとれん。


 そして、静かに端末を操作しているアリス。


 美咲は困ったように眉を下げる。


 それでも、少しだけ口元が緩んでしまった。


 いつもの反省会ではない。


 けれど。


 どうやら今日は、いつもより賑やかな反省会になりそうだった。


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