第34話 初対面
飲食店を出ると、リヴェラの街はまだ人の気配に満ちていた。
通りにはプレイヤーたちの声が行き交い、店先には灯りが並んでいる。
武器屋の前では、何人かが装備を見比べていた。
その中を、ナナは迷いのない足取りで進んでいく。
「ナナさん、歩くの早いです……!」
「気が変わらないうちに行くの」
「誰の気が?」
「私の」
当然のように言い切るナナに、美咲は返す言葉を失った。
その後ろで、れんが苦笑しながら歩調を合わせている。
「まあ、行くって決めたなら早い方がいいかもしれませんね」
「れんさんまで……」
美咲は小さく肩を落としながらも、二人の後を追った。
やがて三人は、リヴェラの正門前まで戻ってくる。
今まで、仮拠点の場所を知っているかのように歩いていたナナが、ふと立ち止まった。
「で? どこにいるのよ」
ナナから飛び出してきた言葉に、れんが首を傾げた。
「知ってて歩いてたんじゃないの?」
「なんで私が知ってるのよ」
れんは呆れ気味に肩を落とし、美咲に視線を向けた。
「えっと……こっちですね」
歩き出した美咲は、街の中へ引き返すのではなく、正門を抜けて外に向かう。
その後ろで、ナナとれんがお互いの顔を見合わせ、美咲の後を追った。
巨大な門をくぐると、街の明かりが背後へ遠ざかる。
視界の先には、リヴェラの外縁フィールドが広がっていた。
けれど、美咲はまっすぐ正面の道へは進まなかった。
正門を抜けてすぐ、脇に伸びる細い道へ足を向ける。
石畳の道が途切れ、足元がやわらかな土に変わった。
頭上では木々の葉が揺れ、街の喧騒が少しずつ遠ざかっていった。
「……そっち?」
ナナが眉を寄せた。
「はい。仮拠点はこの先です」
「普通にフィールド出たけど」
「はい」
美咲はそのまま正門脇の細い道へ入っていった。
最初こそ街道の気配が残っていたが、歩くほどに人の声は遠ざかり、代わりに木々のざわめきが耳に届くようになる。
「……結構歩くね」
ナナが、森林の道を見回しながら言った。
「あ、はい。もう少しです」
「普通、拠点って街中に作らない?」
「まあ、利便性を考えたらそうなるね」
れんが苦笑しながら頷く。
「外から人を入れたくないクランとか、工房系のクランだと、こういう場所を選ぶこともあるらしいけど」
「つまり、変なクランってこと?」
「ナナさん……」
美咲が困ったように名前を呼ぶと、ナナは肩をすくめた。
「別に悪いとは言ってないでしょ。変わってるって言っただけ」
「言い方がだいぶ悪いんだよなぁ」
れんが小さく笑う。
そのやり取りを聞きながら、美咲は前を向いた。
何度も通った道のはずなのに、今日は少しだけ違って見える。
いつもは一人で戻る道。
あるいは、アリスや刹那の背中を追って歩く道。
そこに今は、ナナとれんがいる。
今日出会ったばかりの二人。
けれど、今日の戦闘で何度も声をかけて、何度も助けられて、最後にはこうして一緒に歩いている二人。
不思議な感じだった。
自分の外でできた縁を、自分の帰る場所へ連れていく。
それが少し嬉しくて、少しだけ怖い。
「美咲」
「はい?」
ナナの声に、美咲は振り返った。
「その、アリスって人。さっきみたいな感じでずっと喋るの?」
「えっと……さっきみたいな感じ、というのは」
「人を面接にかけるみたいなやつ」
美咲は答えに詰まった。
否定したい。
けれど、否定しきれない。
「……必要なことは、ちゃんと確認する方です」
「それを面接って言うのよ」
「でも、悪い人ではないですよ。厳しいですけど、本当に優しい方です」
「美咲、それさっきも言ってた」
「何度でも言います」
美咲が思わずそう返すと、ナナが一瞬だけ目を丸くした。
それから、ふいと顔を逸らす。
「……ふーん」
その横で、れんが小さく息を吐いた。
「美咲さんがそこまで言うなら、大丈夫なんでしょうね」
「はい。大丈夫です」
そう言い切ってから、美咲は胸の奥が少しだけ騒ぐのを感じた。
大丈夫。
そう思いたい。
アリスはきっと、ナナとれんを無意味に突き放したりはしない。
刹那はたぶん、面白がる。
どちらかと言うと、それが一番不安だった。
やがて、木々の間が開ける。
視界の先に、草原が広がった。
澄んだ水をたたえた大きめの池。
その隣に、苔に覆われた古びた平屋の建物がぽつんと建っている。
外から見れば、手入れの行き届いていない廃屋にしか見えない。
けれど、美咲にとってはもう見慣れた場所だった。
「ここです」
美咲が足を止める。
ナナとれんも、同じように建物を見上げた。
「……本当にここ?」
「はい」
「廃屋じゃなくて?」
「中はちゃんとしてます」
「中は、って言ったね」
ナナの目が細くなる。
れんは建物の周囲を見回しながら、少し感心したように息を漏らした。
「隠れ家感、すごいですね」
「そうなんですよ! 私は、秘密基地みたいで好きです」
美咲がそう言うと、ナナがちらりとこちらを見た。
「美咲って、そういうの好きなんだ」
美咲はわずかに顔を赤らめ、その顔を隠すように俯いた。
「す、少しだけ……」
「ふーん」
ナナはそれ以上は言わなかった。
美咲は気を取り直し、建物の扉の前に立った。
認証端末へ手を伸ばす。
ID認証。
顔認証。
暗証番号。
いつも通りの手順を終えると、端末に小さな表示が浮かんだ。
【ゲスト認証:有効】
美咲は一瞬だけ目を瞬かせる。
すでに、アリスが許可を通してくれていたらしい。
「……どうかした?」
「いえ。大丈夫です」
扉のロックが解除される。
電子音とともに、重い扉が開いた。
美咲は一度だけ振り返る。
「どうぞ」
ナナは腕を組んだまま、少しだけ顎を上げた。
「言われなくても」
そのわりに、足取りは慎重だった。
れんは軽く会釈してから、ナナの後に続く。
美咲は最後に中へ入り、扉が閉まる音を背中で聞いた。
廊下を進む。
外見とは違い、内部は清潔に整えられている。
無駄な装飾はない。
必要なものだけが、必要な位置に置かれている。
「……外と中で雰囲気違いすぎない?」
ナナが小声で言った。
「ですよね」
「いや、そこで同意するの?」
「私も最初は驚いたので」
そんな会話をしながら、三人はメインロビー前の扉まで進む。
美咲が近づくと、扉のロックが外れた。
自動扉が開く。
暖かな光が、廊下へこぼれた。
中央には白い丸机。
人数分の椅子。
奥には黒いソファー。
そして、紅茶の香り。
いつものロビーだった。
ただ、今日はそこに、いつも通りではない二人がいる。
机のそばに立つ銀髪の少女。
静かな碧眼が、入ってきた三人をまっすぐに見ていた。
その少し後ろ、黒いソファーの背もたれに片腕を預けている女性が、面白そうに口元を緩める。
「いらっしゃい」
アリスの声は、端末越しに聞いた時と変わらないほど静かだった。
ナナの肩が、ほんの少しだけ強張る。
美咲は慌てて一歩前に出た。
「アリスさん、刹那さん。ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
アリスは短く返す。
刹那はソファーから身を起こし、ナナとれんを順に見た。
「よう。噂の同行者様か」
「刹那さん」
美咲が小さくたしなめる。
けれど、刹那はまったく悪びれた様子もなく笑っていた。
ナナは一瞬、眉を吊り上げかけた。
しかし、刹那の顔を見た途端、その動きが止まる。
「……刹那さん?」
ナナの視線が、ほんの一瞬だけ泳いだ。
「お、私のこと知ってるのか」
「え、あ、まあ……知ってます」
反射のように返した声は、いつものナナより少しだけ硬かった。
れんも隣で小さく息を飲む。
「……本当に、あの刹那さんなんですね」
「どの刹那かは知らないけど、たぶんその刹那だな」
刹那が軽く手を振る。
その気安さに、れんはかえって困ったような顔をした。
ナナは咳払いをひとつして、視線をアリスへ移す。
「……さっきはどうも」
「ええ。こちらこそ」
アリスは表情を変えずに返した。
短い沈黙。
美咲は、その場の空気がほんの少しだけ張り詰めるのを感じた。
ナナは腕を組み、アリスを正面から見つめる。
アリスは、静かにその視線を受け止めていた。
どちらも退かない。
けれど、どちらもまだ踏み込まない。
美咲の胃のあたりが、きゅっと縮んだ。
れんが、横からそっと声を落とす。
「……美咲さん」
「はい」
「俺、すでに場違いな気がしてるんですけど」
「私も、少しだけそう思っています」
「美咲?」
ナナの声が低くなる。
「い、いえ。何でもないです」
美咲は慌てて首を横に振った。
刹那がそれを見て、声を殺して笑う。
アリスは小さく息を吐くと、丸机の椅子を示した。
「立ち話を続けるつもりはないわ。座って」
その一言で、張り詰めかけていた空気が少しだけ動いた。
ナナはまだ何か言いたげだったが、結局は黙って椅子へ向かう。
れんも軽く頭を下げ、席についた。
美咲もいつもの席へ向かおうとして、ふと足を止めた。
それから、少しだけ刹那の方へ歩み寄る。
「刹那さん」
「ん?」
美咲は周囲に聞こえないよう、声を落とした。
「余計なこと、言わないでくださいね」
刹那は一瞬だけ目を丸くしたあと、楽しそうに口元を緩める。
「信用なさすぎだろ」
「今のところ、あまりありません」
「大丈夫だって、お利口にしてるから。ほら、席に着けよ。アリスにどやされるぞ」
刹那はそう言いながら、顎で席を指した。
美咲は一瞬半眼で刹那を見つめ、小さく息を吐いてから自分の席に向かった。
席について、周囲を見渡す。
自分の隣には、ナナが腕を組んだまま座っている。
その横に、れん。
向かいにはアリス。
少し離れたところに刹那。
いつもの反省会ではない。
でも、ここは確かに、いつもの場所だった。
美咲は小さく息を吸う。
アリスが、机の上に携帯端末を置いた。
「それでは」
静かな声。
その場の全員の視線が、自然とアリスへ集まる。
「今回の任務ログを確認しましょう」
美咲の背筋が、自然と伸びた。
隣で、ナナがわずかに前のめりになる。
刹那は、そんな二人を見て楽しそうに笑った。
れんは姿勢を正し、静かに息を吐く。
反省会が、始まろうとしていた。




