第32話 口喧嘩なら負けない
ナナとれんは、しばらく美咲を見つめたまま動かなかった。
ナナはスプーンを持ったまま、首を傾げた。
「……ログを、見せる?」
隣でれんも、似たような顔をしている。
「誰に?」
続けて、れんも不思議そうに問いかける。
美咲は手元のカップを机の上にそっと置くと、言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。
「今日、自己紹介をした時にお話しした友人です」
二人の表情が、同じタイミングで変わった。
始めて数か月の初心者。
友人に教えてもらいながら、支援職の立ち回りを勉強している。
自己紹介で口にした言葉が、ようやく二人の中でつながったらしい。
二人が視線を上げたまま、「あー」と同時に声を漏らした。
「なんか言ってたわね。あの時のこと、イライラしすぎて記憶から消してたわ」
ナナが口元を歪め、肩をすくめた。
「その友人にログを見てもらいながら、教えてもらってるんですか?」
「はい。ここはこうするべきだったとか、ここはよかったとか、その都度教えてもらってます」
「毎回?」
「そうですね。毎回です」
「うへ……だるそー」
ナナがスプーンを咥えながら、嫌そうに眉をひそめる。
その反応がどこか刹那と似ていて、美咲は小さく苦笑いを浮かべた。
れんは、何かが合致したのか、ひとりでに頷いた。
「だから美咲さん、あんなに動き良かったのか」
「どゆこと?」
「いや、思い返すとさ。美咲さんの動き、始めて数か月とは思えないほど良かったなって思ってさ。毎回その友人にフィードバックもらってるなら、そりゃ上手いわけだ」
「あー確かに、言われてみればそうかも」
ナナも納得したのか、頷く。
思いもしなかった二人の言葉に、美咲は目を丸くして、両手を勢いよく振った。
「いやいや! 全然、そんなことないです!」
れんが首を横に振る。
「いや、そんなことありますよ」
「いやいや!」
「いやいやいや」
恥ずかしそうに両手を振る美咲。
その正面で、れんが首を振る。
両者一歩も譲らない。
意味のない押し問答が、何度か繰り返された。
「……そろそろ話、戻してくれない?」
ナナの呆れ声に、美咲がはっと顔を向けた。
ナナはデザートを口に運びながら、半目で二人を見つめていた。
れんが恥ずかしそうに笑う。
美咲は緩んだ表情をあらためて引き締めると、咳払いをした。
「で? その友人に今回のログを見せるのが、なんで嫌なのよ?」
ナナが面倒ごとを省くように聞いてきた。
「えっと……戦闘を思い返しても、指摘される箇所がいっぱいあったなって思いまして」
「別に倒せたんだし、よくない?」
ナナが毅然とした態度で言った。
美咲は唇を引き結び、考え込むように目を伏せた。
結果だけ見れば、ナナの言う通りなのかもしれない。
でも、アリスはきっとそうじゃない。
フィアーが自分で解除できなかったこと。
途中で集中力が切れ、カウントを疎かにしたこと。
自分でも、これだけ改善点が出てくる。
「んー……どうなんでしょう?」
美咲は困ったように笑った。
「怖い人なんですか?」
「怖い、というか……厳しい人、です」
机に頬杖をついているナナが、口に咥えたスプーンを上下に動かした。
「ふーん……この後行くの?」
「はい。解散したら行こうかなと思ってます」
アリスは何もなければ同じ時間にログアウトする。
まるで、定時退社する会社員のように。
正確な時間に。
でも、その時間まで、まだ猶予はあった。
だから、もう少しだけ。
美咲が話題を変えようと思った時、ナナが咥えていたスプーンを手に取った。
「よし。じゃあ、私も行く」
「え?」
突然のことに、美咲は素っ頓狂な声を出した。
「三人が今ここにいるのは、美咲のおかげなんだから。必要以上に言ってきたら、私が言い返してあげる」
美咲はその風景を思い描いた。
噛みつくナナ。
無表情で言い返すアリス。
それを、面白がって後ろで笑う刹那。
いくらなんでも、耐えられるわけがない。
美咲は勢いよく首を横に振った。
「い、いえ! そんな、ナナさんにそこまでしてもらうわけには!」
「安心しなさい」
ナナが口角を吊り上げ、不敵に笑った。
「私、口喧嘩強いから」
ナナはれんに顔を向けた。
「れんも来るでしょ?」
れんは、自信に満ちあふれたナナの表情をしばらく見つめ、苦笑いを浮かべた。
「口喧嘩になるかはさておき、フォローぐらいはしようかな」
ナナは指を鳴らすと、満足げに頷く。
「はい、決定!」
美咲を置いて、話が好き勝手に進んでいく。
けれども、二人の言葉の端々には、美咲を案じる熱が滲んでいた。
「えっと……とりあえず連絡していいですか?」
美咲が携帯端末を取り出すと、二人は「どうぞどうぞ」と、両手を差し出した。
フレンド欄を開いて、アリスの名前に指で触れる。
出てきた通信ボタンに触れようとした時、美咲の指が止まった。
なんて説明をすればいいんだろう。
端末を持つ美咲の視界の端では、ナナとれんが何か話している。
今日出会った二人を、仮拠点に招待したい。
急すぎる。
今日のパーティーで反省会をしたい。
無難といえば無難。
でも、そのために仮拠点に行く必要はない。
この場でやればいい。
悩んだ挙句、正直に話すことにした。
どう言いつくろっても、アリスにばれる気しかしなかった。
小さく息を吸って、美咲は通信ボタンに触れた。
呼び出し音が鳴る。
一回、二回と鳴るが、アリスは通信に出なかった。
取り込み中かもしれない。
そう思い、急いで切ろうとした時、無慈悲に通信が繋がった。
『どうかしたかしら?』
静かな声。
幾度となく聞いてきた声なのに、美咲の心臓が跳ね上がった。
「え、あっ……えっと……こんばんは……?」
正直に話して許可してもらおうと思っていたのに、出た言葉は意味不明になった。
しかも疑問形。
『こんばんは』
端末の向こうのアリスは、気にした様子もなく挨拶を返した。
美咲の言葉を待っているのか、アリスはそれ以上は何も言わなかった。
美咲は意を決して、口を開いた。
「アリスさん、この後お時間ありますか? 今日、野良の方と任務に行ってみて……お時間があったら、またログを見てもらえたらと思って」
『……ええ。時間さえ指定してくれれば、私は構わないわ』
「ありがとうございます!」
『それを聞くためだけに、わざわざ通信をしたの?』
「え?」
『他に、何かあるんじゃないかしら』
恐ろしいほど察しがいい。
「えーっと……その時一緒だった方も同行したいって……」
『理由は?』
今回のログを見せるのが億劫だったから。
とは、やっぱり言いづらかった。
美咲が口ごもっていると、耳に当てている端末が、手元からするりと持ち上がった。
美咲から端末を取り上げたナナが、呆れたように言う。
「代わる。こういうのは、はっきり言った方が早いのよ」
ナナは席から離れると、美咲の端末を耳に当てた。
「もしもし」
最初の声は、いつものナナだった。
「美咲から聞いたでしょ。美咲とそっちに行く人よ」
数秒の沈黙。
「いや、だから! 同行者だってば!」
ナナの眉が、ぴくりと動いた。
「……聞いてんの?」
次の瞬間、ナナの表情がさらに険しくなる。
「は? どういう意味よ」
美咲とれんは顔を見合わせた。
「ナナ、めっちゃヒートアップしてるけど、友人さん大丈夫ですか?」
美咲は、いまだに強い口調で言葉を発するナナを見た。
アリスの声は聞こえてこない。
けれども、美咲にはアリスがどんな口調で、何て言っているのか、何となく察してしまう。
美咲は眉を下げて、困ったように笑った。
「心配ないと思います……たぶん」
「ならいいんですけど」
れんは横目でナナを見た。
「ちなみに、友人さんってどんな方なんですか?」
れんの問いかけに、美咲は優しく微笑んだ。
「銀髪の綺麗な女の子ですよ。普段は厳しいですけど、根はとっても優しい方です。顔の表情筋が鈍いのが、ちょっと心配ですけど……」
美咲の説明に、れんは眉を寄せて視線を下げた。
そして、しばらく何かを考え、美咲に視線を戻す。
「もしかして、その友人さんの名前って……アリスさんですか?」
「そうです! ご存じなんですね!」
まさか、今日出会ったばかりのれんから、アリスの名前が出るとは思っていなかった。
それが何故だか誇らしくて、美咲の口元が自然と緩まった。
そして、なぜかれんは額に手を当て、天井を見上げていた。
「……っ。しっつこいな! 今度はなに!?」
ナナの叫び声に、二人の肩が同時に跳ねる。
二人がナナに顔を向けた。
ナナの額には青筋が浮いている。
それが、ナナの限界を表しているようだった。
「そろそろ、止めた方がいいかも」
れんが立ち上がり、ナナに歩み寄った時、ナナがもう一度叫んだ。
「美咲が心配だからよ!」
今日出会った時のナナから出たとは思えない、裏表のない真っ直ぐな言葉。
美咲は俯き、顔を赤く染めた。
そして、盗み見るように周囲に視線を送った。
店の中のプレイヤーが、物珍しそうに三人を見ている。
美咲はその視線から逃げるように、肩を縮こませた。
そう言ってもらえるのは、うれしい。
でも、他のプレイヤーもいるこの場所で言わないでほしい。
しかも、大声で。
美咲は、そう心の中で呟いた。
「そうよ、悪い? このゲームで初心者相手に好き好んで世話を焼く奴は、裏があるか、よっぽどのお人よしなの。あんたがどっちなのか、私が見定めに行くから」
アリスが何か言ったのか、ナナの耳がわずかに赤くなる。
「わ、私は違うから! ったく、首を洗って待ってなさいよ」
通話を終えたナナは、勢いよく端末を美咲に返した。
「行くわよ」
ナナは自分の端末で会計を済ませて、入口に向かって歩き始める。
美咲は慌てて立ち上がった。
「えっ……あの、許可は?」
「断られてないからいいでしょ」
「それは許可じゃないと思うんだけど」
れんが苦笑する。
その瞬間、美咲の端末が短く震えた。
【Alice:同行者を許可。次からは、相手の返答を聞いてから通信を切りなさい】
美咲の顔が硬直した。
「それと、美咲には悪いんだけど」
美咲が視線を上げる。
ナナは足を止めて振り返ると、少し言いよどんでから、小さく息を吐いた。
「たぶん、私あいつ苦手」
「えぇ……」
美咲の口から、当惑した力のない声が漏れた。
その隣で、れんが肩をすくめる。
そんな二人をよそに、ナナは早足で入口に向かっていった。
美咲はナナの後ろ姿を眺めながら、これからの反省会が穏便に済むようにと、心の中で小さく祈った。




