第31話 行きとは、違う風景
背後で、いくつもの細い脚が床を叩く音が響いていた。
三人は振り返らない。
崩れた広場の端にある階段へ飛び込み、ほとんど転がるようにして上へ向かう。
「まだ来てる!?」
「知らない! 見たら足止まる!」
「二人とも、前を見てください!」
美咲は息を切らしながら、前を走る二人の背中を追った。
階段を抜けると、そこは商業区のような地下空間。
壊れた店舗跡。
割れた案内板。
横倒しになったカート。
さっき通ったはずの景色が、今はやけに遠く感じる。
それでも、足は止められない。
れんが先頭で通路を曲がり、ナナがその後に続く。
美咲も遅れないように、重い足を前へ出した。
背後の金属音は、少しずつ遠ざかっていく。
「……追ってきてる?」
ナナが息を切らしながら訊く。
れんは走りながら、肩越しに一瞬だけ後ろを見た。
「今は見えない。けど、止まるのは地上に出てから」
「もーいやー!」
三人は地下商業区を抜け、旧市街外縁部へ続く階段へ飛び込んだ。
最後の階段を駆け上がった瞬間、薄い外光が視界に差し込んだ。
地上。
旧市街外縁部の乾いた空気が、肺に入り込む。
ナナはその場に崩れるように膝をついた。
「……もう無理」
「……同感」
れんも膝に手をつき、肩で息をしている。
美咲は少し遅れて、最後の段を上がった。
足が重い。
呼吸も荒い。
膝がわずかに震えていた。
それでも、地下で感じていた息苦しさは、もうなかった。
「……逃げ切れた、んですよね?」
美咲が息を整えながら問いかけると、れんが階段の下を覗き込み、しばらく耳を澄ませた。
金属の脚が床を叩く音は、もう聞こえない。
「たぶん」
「また、たぶんって言った」
ナナが床に座り込んだまま、半目でれんを見上げる。
「じゃあ、今度は確定で。来てない」
「どうだか」
「ほら、やっぱり文句言うじゃん」
ナナは、決まり悪そうに視線を泳がせた。
「はいはい、ごめんなさいね」
そしてあっさり認め、仰向けに倒れ込んだ。
コンクリートの地面に背中を預け、大きく息を吐く。
「てか……勝ったのに、なんで最後逃げてんのよ」
「帰るまでが任務ってやつだな」
「言い方だけ立派なの、腹立つ」
二人のやり取りに、美咲は思わず小さく笑った。
ナナが横目でそれを見る。
「なに笑ってんのよ」
「いえ……すみません」
「……謝るところじゃないでしょ」
そう言って、ナナは顔を逸らす。
その耳元が、ほんの少しだけ赤く見えた気がした。
数分ほど休んでから、三人は街へ戻った。
帰り道、誰も大きな声では話さなかった。
それでも、行きのような息苦しさは感じなかった。
任務の報告窓口の周囲は、いつも通り賑やかだった。
けれど、端末の処理だけは淡々としていた。
受付用の端末にログを送信すると、すぐに完了表示が浮かび上がる。
【純鉄:必要数確認】
【Jamming Bug:追加討伐確認】
【依頼達成】
【報酬支払い処理中】
そこには、あの暗転も、Fearのカウントも、ナナの叫びも、れんの気遣いも、美咲の震えも残っていない。
ただ、終わらせたという事実だけが記録されていた。
「……こう見ると、普通の任務だったみたいですね」
美咲がぽつりと呟く。
れんは端末の表示を見つめたまま、苦笑した。
「ログって、だいたい薄情ですからね」
「ほんとそれ」
ナナが肩を回しながら言う。
「任務の道中であんな性悪テレビ倒したのに、達成しました、報酬です、以上。もうちょっと労ってほしいんだけど」
「お疲れ様でした」
「あんたじゃなくてシステムに言ってんの」
「あ、すみません」
「だから謝るところじゃないって」
ナナが呆れたように言う。
それでも、その声に最初の頃の刺々しさはなかった。
「セメタリーキャッシュの中身は、後日分配ってことで」
第三セクターの冷凍室で見つけた記録媒体を片手に、れんが言った。
「持ち逃げしないでよ?」
「ナナじゃないんだからしないよ」
「ひっど」
通常の報酬を分配し終えたところで、れんが手を叩いた。
「じゃ、祝勝会でも行きますか」
「行くー!」
ナナの返事は早かった。
「即答だな」
「お腹空いたし、疲れたし、勝ったし。行かない理由あるの?」
「んー、ないな」
れんが笑う。
美咲は二人のやり取りを見ながら、微笑んでいた。
今日一日で、色々なことがあった。
怖かった。
苦しかった。
それでも、不思議と悪い時間ではなかった。
でも、これで解散。
美咲が名残を惜しむように目を細めていると、二人の視線が美咲に向いた。
れんが先に口を開いた。
「美咲さんはどうします?」
「当然来るでしょ?」
ナナも当然のように言った。
「え?」
「一緒に戦ったんだから、一緒にご飯食べるでしょ。普通に」
その言葉に、美咲は少しだけ目を丸くした。
一緒に戦った。
だから、一緒にご飯を食べる。
それは、とても簡単な理屈のようで。
けれど、美咲にとっては、少しだけ胸が温かくなる言葉だった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「よし」
ナナは満足そうに頷くと、先に歩き出した。
れんがその後ろで小さく笑う。
「ナナ、嬉しそうだね」
「は? 別に普通だけど」
「はいはい」
「その言い方やめてくんない?」
三人が向かったのは、報告窓口から少し離れた場所にある、プレイヤーが営む小さな飲食店だった。
派手な装飾も、特別な看板もない。
けれど、温かい料理の匂いと、プレイヤーたちの笑い声が外まで漏れていた。
席に着くと、ナナはすぐに注文用の端末を引き寄せた。
「とりあえず、甘いもの」
「雑だな」
「いいのよ。今日は甘いの。あと、甘いの」
「甘いものだけじゃん」
「疲れた時は甘いものに限るの。あと、ゲームの中なら、いくら食べても太らないし」
ナナが当然のように言い切る。
れんは苦笑しながら、自分の分を追加した。
美咲は少し迷ってから、温かいスープを選んだ。
やがて料理が並び、ようやく三人の間に、本当の意味での息継ぎが訪れた。
ナナはデザートを口に運ぶたび、表情が和らいでいった。
れんはそんなナナを見て、時折からかう。
美咲は二人のやり取りを聞きながら、ゆっくりスープを飲んだ。
温かい。
電子の味。
電子の匂い。
電子のぬくもり。
それでも、今はちゃんと、身体の奥に染み込んでいく気がした。
「で、結局あのアイテムどうするの?」
ナナがデザートを口に運びながら言う。
「偽りの映像破片だっけ」
れんが端末を操作しながら答える。
「いくつか検索してみたんだけど、情報ほぼないね。取引履歴も見当たらない」
「うわ、めんどくさ」
「ただ、上位種ドロップなら、研究系かクラフト系で使う可能性はあるね」
「売ったら高い?」
「それは高いと思う」
「よし、売ろっか」
「早いな」
れんが笑う。
美咲もつられて笑った。
けれど、その笑いは途中で少しだけ薄くなった。
端末の画面。
討伐ログ。
戦闘記録。
そこに残っているはずの、自分の判断。
ナナを優先したこと。
自分のFearを後回しにしたこと。
最後に、動けなくなったこと。
それを見た時、あの人たちはどう思うだろう。
アリスは、きっと全部見る。
刹那も、きっと黙って見逃してはくれない。
責められる、とは思っていない。
けれど、何も言われないとも思えなかった。
「……美咲?」
ナナの声に、美咲は顔を上げた。
気づけば、ナナがこちらを見ていた。
「なに、急に暗い顔して」
「え……」
美咲は慌てて笑おうとした。
けれど、うまく形にならなかった。
「いえ……その」
言いかけて、少しだけ迷う。
れんも、静かにこちらを見ている。
美咲は手元のカップを両手で包み込んだ。
温かいはずなのに、指先だけが少し冷たい。
「今回のログを、知り合いに見せるのが……少し、億劫で」
ナナとれんが、同時に瞬きをした。




