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第30話 偽りの映像破片

 美咲がまともに身体を起こせるようになるまで、少しだけ時間がかかった。


 床に座り込んだまま、何度か呼吸を整える。


 指先には、まだ震えが残っていた。


 隣では、ナナが膝を立てて座っている。


 何も言わない。


 けれどもその表情には、呆れと、疲弊が滲んでいた。


「……ほんと、馬鹿じゃないの」


 ようやく落ちた声に、美咲は俯いた。


「……すみません」


「何をどうすればあの場面で、自分じゃなくて私を優先する判断になるのよ」


 美咲は俯いたまま、思考を巡らせた。


 崩壊寸前のジャミングバグ。


 再び集まる小型。


 ナナの暗転。


 あの時は、一秒でも早く火力の出るナナの復帰が最優先だと思った。


 自分は後でいい。


 そう思った。


 美咲は、視線を上げてナナの横顔を盗み見た。


 不満そうな横顔。


 その横顔を見ていると、自分の判断は間違っていたのかもしれないと思えてくる。


「……すみません」


 結局答えは出ず、美咲はもう一度謝罪をこぼした。


 ナナの視線が美咲に向いた。


 そして、口を開きかけた時、周囲を警戒していたれんが戻ってきた。


「周囲は今のところ問題なしかな」


 ナナが顔を上げ、れんを見た。


「小型は?」


「通路の奥も見に行ったけど、見えないね。どこかで止まってると思う。……たぶん」


 ナナが露骨に口元を歪めた。


「最後の一言で信用ゼロなんだけど」


「仕方ないだろ、確信はないんだから。適当言ったら、それはそれで後で文句言うだろ」


 れんの物言いが気になったのか、ナナが眉を寄せる。


 そして、感情のこもっていない声で言った。


「いいませーん」


「いいや、絶対に言うね」


「言わないってば!」


 ナナが勢いよく立ち上がる。


 向き合う二人の間に、小さな火花が散った。


 あれほどの戦闘の後とは思えない、二人の軽快なやり取り。


 なぜだかそれが心地よく聞こえて、美咲は笑い声を漏らしてしまった。


 美咲の笑い声に、二人の言い合いがぴたりと止まる。


 唐突な静寂。


「え?」


 美咲が視線を上げると、ナナとれんが驚いたように眉を上げて、美咲を見ていた。


 その視線に、美咲は慌てて両手を振って表情を取り繕った。


「いえ! その、違うんです! お二人の言い合いが、面白いとかじゃなくて……えっと……不可抗力なんです!」


 何が不可抗力なのか。


 自分で言っていて、意味が分からなかった。


「元気出たみたいで、良かったです」


 れんが笑った。


「さてと! 捕食個体が来る前に、ドロップ回収して帰りましょっか!」


 そう言って、れんがジャミングバグに向かって歩き始めた。


 その背中に、ナナが不満を漏らす。


「ちょっと、まだ終わってないんだけど?」


「しつこいな!」


 ナナを適当にあしらうと、れんは再び歩き始める。


 ナナが鼻から息を漏らす。


 そして、美咲に顔を向けてから手を差し出した。


「ほら、立てる?」


「はい!」


 美咲がその手をそっと握る。


 電子の世界なのに、温かい手。


 それは、システムによって設定されたぬくもりなのかもしれない。


 それでも、美咲の指先の震えは確かに収まっていた。


 美咲とナナは、すぐにれんの後を追った。


 れんはすでに、倒れたジャミングバグのケーブルをよじ登っていた。


 頂上。


 ジャミングバグの頭部に位置するブラウン管テレビの前まで行くと、れんはこちらを見下ろした。


「こないのかー?」


 れんが頭上から声を上げた。


 来いと言われても。


 美咲は倒れたジャミングバグを見た。


 巨大な赤と青のケーブルが、血管のように絡み合った胴体。


 戦闘の痕跡で、いくつもちぎれている。


 そこから、色に応じた液体が漏れ出していた。


 正直、触りたくない。


「……よくよく見るとキモイわね」


 隣でナナが顔を歪めながら小さく呟く。


 美咲はそれに同意するように、何度も頷いた。


 動かない二人にれんは首を傾げ、ブラウン管テレビに身体を向けた。


「反応は……この辺なんだけど。これか?」


 何か独り言を漏らしながら、れんはブラウン管の中に頭を突っ込んで探り始めた。


 しばらくして、れんがジャミングバグから駆け下りてきた。


「あった?」


「あった、あった」


 れんは握られた拳を、二人の目の前で開いた。


 そこには、二つの記録媒体が握られていた。


 一つは細い板状。


 もう一つは、第三セクターで見たものと似ていた。


 ナナと美咲は、それを見ながら小首をかしげる。


 れんがすぐに、自身の端末を手元の記録媒体にかざす。


 短い電子音とともに、画面に詳細が表示される。


 三人は端末の画面を覗いた。


【偽りの映像破片】


【Cash:二十万】


 その文字を目にした瞬間、三人の顔が固まった。


「……なんていうか、攻めてますね」


「いや、テレビの中から出てくるのがこれって……普通に悪趣味でしょ」


「逆に一貫してて、俺は尊敬する」


 三人は、それぞれの感想を漏らした。


「でも……こっちは見たことないアイテムだよね」


 れんはそう呟くと、端末の表示をじっと見つめた。


 疲れた顔のままなのに、目だけが妙に真剣だった。


「ジャミングバグの上位種って、希少種寄りだよね?」


 確認を求めるように、れんは顔を上げた。


 上位種と希少種の違いすら分からない美咲は、首を横に振った。


 ナナも顎に手を添え、眉を寄せる。


「知り合いに目撃したって子もいないし……たぶん」


「戦った感じも、ファッティじゃなくて、スキルに全振りって感じだったもんね」


「準備したらある程度戦えるけど、そもそも遭遇が稀に設定されてるから、事故るってこと?」


「うん。そんな感じ」


「じゃあ、このアイテムの用途も調べなきゃいけないの?」


「観測証明を漁らないといけないかも……」


 二人が何を言っているのか、まったく分からない。


 どちらかが喋るたび、美咲の視線が行き来する。


 二人はそんな美咲をよそに、話し続けた。


 その時、通路の奥で、金属が床を掻く音がした。


 美咲は肩を跳ねさせ、音の方向へ銃口を向けた。


 倒れたジャミングバグのさらに奥。


 広場に繋がる通路から、先ほどとは違う種類の小型が顔を覗かせた。


 一体ではない。


 二体、三体と隊列を組むように、複数の小型が通路から這い出てくる。


 それは、ゆっくりとジャミングバグに向かって前進していった。


 美咲は目を伏せ、小さく息を吐くと、銃口を下ろした。


 捕食個体だ。


 倒された機械生命体の残骸データを処理する存在。


 プレイヤーから攻撃しない限り、干渉してこない。


 けれど一度でも手を出せば、こちらが死ぬまで追いかけてくる。


 この世界における、自然の摂理。


 守らなければならない、絶対不可侵領域。


 美咲は以前、この捕食個体を攻撃しようとして刹那に厳しく注意をされた。


 それは、ほんの数か月前のことなのに、美咲は懐かしく感じ、心の中で笑った。


 今はもう、そんな危ないことはしない。


 この捕食個体も、ジャミングバグを処理しに来ただけ。


 すぐにジャミングバグに群がり、不快な金属を砕く音が響き始めるはず。


 美咲はそう思いながら視線を上げ、


 小首を傾げた。


 視線の先の小型が、ジャミングバグの残骸へ向かわず、その脇をすり抜けるように動き始めていた。


 回り込んでいるのだろうか。


 そんなことを思いながら観察していると、本来ならジャミングバグの残骸へ群がるはずの小型が、こちらへ向きを変えていた。


 いくつもの細い脚が床を叩く。


 低く、這うように。


 けれど、確実に近づいてくる。


 そこでやっと、美咲は気づいた。


 違う。


 この群れは、捕食個体じゃない。


 美咲は、真っ直ぐこちらに向かってくる敵から視線を逸らさないまま、ナナの服の袖を引いた。


「……ナナさん……あの」


 未だに考察を続けているナナは視線すら向けず、うっとうしそうに手を振った。


「今考えてるから後にして」


「……れんさん……小型が……」


 れんは視線を手元の端末に向けたまま答えた。


「捕食個体ですから、攻撃しないでくださいね」


「ちがっ……こ……こ……」


 焦りで、美咲の喉に言葉が張り付いた。


 壊れたテレビのように、同じ言葉を繰り返す。


「「こ?」」


 様子がおかしいと気づいた二人の顔が、美咲に向いた。


 美咲はジャミングバグの方向を見ながら、ゆっくりと腕を上げて、指をさす。


 二人はその指の先に視線を移した。


「こ、こっちにきてますー!」


 先ほどまで忍び寄るように近づいていた小型が、美咲の叫び声を皮切りに勢いよく脚を鳴らし始めた。


 三人は反射的に身を翻し、転がるように走り始めた。


 向かう先は、この広場から商業区画に上がる階段。


「敵は来ないって言ったじゃん! 嘘つき!」


 美咲の前を走るナナが叫んだ。


「たぶんって言っただろ!」


 負けじとれんも叫ぶ。


「責任取って全部受けなさいよ!」


「死ぬわ!」


 走りながら言い合いを始める二人。


「け、喧嘩は後にして、今は走りましょう!」


 美咲が二人の後ろから仲裁に入る。


 二人は顔だけを同時に美咲へ向けた。


「もっと早く言えー!」


 二人が同時に叫んだ。


 背後からは、いくつもの細い脚が床を叩く音が止めどなく響いてくる。


 疲弊したこの状態で捕まれば、ただじゃ済まない。


 なのに、美咲の表情は、今日一番輝いていた。


 前を行く二人の背中を追いかけながら、美咲はもう一度、地面を蹴った。

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