↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
87/198

第28話 Call Signal

 サイレンが、広場全体を塗り潰した。


 高く、鋭く、耳の奥を引っ掻くような音。


 ジャミングバグの胴体からせり上がった三つの拡声器が、こちらへ向いたまま震えている。


 美咲は反射的に耳を塞ぎかけた。


 けれど、手は途中で止まる。


 塞いでいる暇はない。


 次に何が来るのか、分からない。


 美咲が顔を上げるのとほとんど同時に、ブラウン管の砂嵐が乱れた。


 映像が切り替わる。


 水の底に沈むような映像。


 青黒い画面の中で、人影がもがいている。


 泡が上がる。


 手が伸びる。


 掴むものは、何もない。


「っ……!」


 美咲の呼吸が、一瞬だけ詰まった。


 けれど、苦しそうに胸を押さえたのは、れんだった。


 同時に、ナナの足がわずかに止まる。


「ナナさん、れんさん!」


 美咲は先にれんのもとに駆け寄っていく。


 喉の奥が乾くのを感じながら、即座に解除薬を打ち込んだ。


 れんの言葉も待たずに、ナナのもとへ向かう。


 膝を沈めかけたナナの腕を取り、続けて解除薬を打ち込む。


 動きに迷いはなかった。


 小型は少ない。


 それが、今の三人を支えていた。


 もし先ほどまでの数が残っていれば、これだけで崩壊していたかもしれない。


 けれど今は、違う。


 れんが端に寄せていた小型は、広場の一角に固まっている。


 ナナは動きが戻った瞬間、その群れの足元へ撃ち込んだ。


 弾丸が床を跳ね、金属の脚を崩す。


 れんは呼吸を整えながら、残った小型をショットガンで押し返した。


「対象は二人です!」


 美咲が叫ぶ。


「間隔は?」


 れんの声が飛ぶ。


「……分かりません!」


 美咲はバイタルデバイスを見る。


 正確には、読めない。


 今までのような二分周期ではない。


 そんな気がしてならない。


 ジャミングバグのノイズが、脈打つように強弱を繰り返している。


 カウントが、使えない。


「やけくそかよ、あのテレビ!」


 ナナが吐き捨てながら撃つ。


「でも、小型は少ないです。今なら耐えられます!」


 美咲は自分に言い聞かせるように叫んだ。


 それは、事実だった。


 消耗と引き換えに、小型は削った。


 精神安定剤も、回復弾も、弾薬も、余裕も削った。


 それでも、その選択は間違っていなかった。


 この第三フェーズが最初から来ていたら、三人は耐えられなかった。


 けれど今は、耐えられる。


 耐えなければいけない。


 ジャミングバグの画面に、再びノイズが走った。


 次は、二分も経っていなかった。


 映像は、割れた鏡の前に立つ人影だった。


 映った顔が、ひとつずつ違う方向へ歪んでいく。


 美咲は自分のデバイスを見る。


 異常なし。


「ナナさん!」


「私、視界ノイズ!」


「れんさんは?」


「腕、痺れてます!」


 麻痺。


 視界ノイズ。


 また二人。


 美咲は迷わず、近い方から処理した。


 ナナの視界ノイズを解除。


 れんの麻痺を薬で抑える。


 その間にも、ジャミングバグ本体へ撃ち込まれた弾丸が、ケーブルを裂いていく。


 ブラウン管のひびは増えていた。


 画面の端が欠け、砂嵐の音が濁る。


 壊れている。


 確実に、壊れてきている。


 だからこそ、間隔が乱れている。


 そう思えた。


「押せる!」


 ナナが叫ぶ。


「あと少し!」


 れんも小型を押し込みながら、声を張った。


 あと少し。


 その言葉が、今度は焦りではなく、前へ進むための音になった。


 ナナが本体へ弾を叩き込む。


 れんは小型を端へ押し込み、足元に残った二体をまとめて吹き飛ばした。


 美咲も本体へ撃つ。


 短く、刻むように。


 サブマシンガンの反動が腕に重い。


 喉は乾いている。


 足も重い。


 思考も、少しずつ遅れている。


 それでも、撃つ。


 画面のひびが、さらに広がった。


 ジャミングバグの胴体から、火花が散る。


 赤いケーブルが一本、青いケーブルが二本、床に落ちた。


「れん、本体!」


 ナナが叫ぶ。


 れんは残った小型を見た。


 迷いは一瞬だけに見えた。


 れんは小型を端へ引きつけたまま、大きく円を描くように走った。


 小型がその後を追う。


 れんは壁際まで引きつけると、床に残っていた障害物を蹴り倒した。


 小型の進路が、わずかに詰まる。


 その隙に、れんが反転した。


 ショットガンを片手で構えたまま、本体へ向かって走る。


 合流。


 三人の射線が、ようやくジャミングバグへ重なった。


 ナナのアサルトライフル。


 れんのショットガン。


 美咲のサブマシンガン。


 銃声が、砂嵐を押し潰していく。


 ジャミングバグの画面に、大きなひびが入った。


 中央から、蜘蛛の巣のように亀裂が広がる。


 もう少し。


 あと少し。


 美咲がそう思った瞬間だった。


 映像が、また切り替わる。


 早すぎる。


 数えていなかったナナとれんですら、そう思ったはずだった。


 黒く染まったモニター。


 そして浮かび上がる、ありふれた風景。


 家の中。


 食卓。


 母親と、子ども。


 だが、それは普通では終わらなかった。


 母親の顔が、ゆっくりと崩れていく。


 食卓が歪む。


 壁が溶ける。


 子どもの輪郭が、黒い染みのように滲んでいく。


 そして。


 おかえり。


 モザイクのように潰れた口元が、こちらへ向かってそう呟いた。


 次の瞬間、画面全体が黒く沈んだ。


 美咲の中で、何かが落ちた。


 足元が消える。


 音が遠のく。


 心臓だけが、嫌なほど大きく鳴っている。


 自分の呼吸が分からない。


 ここがどこなのかも、分からない。


 けれど、デバイスの表示だけは見えた。


【Fear:00:44】


 数字が、静かに動き始める。


 同時に、ナナの声が聞こえた。


「くそ……っ!」


 暗転。


 ナナの視界が落ちている。


 その直後、ジャミングバグから甲高い音が鳴り響いた。


 サイレンとは違う。


 もっと細く、耳の奥を貫くような音。


 美咲は、その音の種類に覚えがあった。


 Call Signal。


 敵を呼び寄せるための信号。


 遠くで、金属が床を掻く音がした。


 一つではない。


 二つでもない。


 周囲の通路の奥から、いくつもの脚音がこちらへ近づいてくる。


 ジャミングバグが、小型を集めている。


 もう一度、あの数を相手にする余裕はない。


 れんも、ナナも、自分も。


 ここで終わらせなければならない。


 美咲は、自分のポーチに手を伸ばしかけた。


 精神安定剤。


 自分に打てば、戻れる。


 分かっている。


 分かっているのに。


 ナナの手が、宙を掴むように震えていた。


 銃口が下がっている。


 あのままでは撃てない。


 美咲は奥歯を噛んだ。


 指先が震える。


 視界が歪む。


 頭の奥で、さっきの声がまだ繰り返している。


 おかえり。


 おかえり。


 おかえり。


 それでも、美咲の手はナナへ伸びた。


 解除薬を掴む。


 ナナの腕を取る。


「ナナさん……」


 声が、掠れた。


「動かないでください」


「美咲、あんた……」


 ナナの言葉が終わる前に、美咲は薬を打ち込んだ。


 ナナの瞳に、焦点が戻る。


 ナナはすぐに周囲を確認し、それから美咲の腕を見た。


 デバイスに表示された数字。


【Fear:00:38】


 ナナの顔が変わった。


「バカじゃないの!」


 ナナが美咲のポーチへ手を伸ばす。


 精神安定剤を取ろうとする。


 美咲は、その手を掴んだ。


 力は入らない。


 それでも、止めた。


「……本体を」


「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」


「お願いします」


 美咲は、ナナを見た。


 見えているのか、自分でも分からない。


 それでも、ナナの方を向いた。


「今なら……間に合います」


 ナナの唇が震える。


 怒りなのか、恐怖なのか、判断できない。


 れんの声が飛んだ。


「ナナ!」


 れんはすでに本体へ銃口を向けていた。


 小型が一体、横から飛びかかる。


 れんはそれを肩で受け、踏みとどまる。


「行け!」


 ナナは一瞬だけ、美咲を見た。


 それから、歯を食いしばる。


「……終わったら、絶対殴るから」


 ナナが走った。


 れんも続く。


 美咲は、その背中を見送ろうとした。


 視界が黒く滲む。


 足の力が抜ける。


 膝が床に落ちた。


【Fear:00:34】


 死を告げるその数字が、薄れゆく視界の端で滲み、ただ静かに美咲を飲み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。