第25話 止まらない理由
離れていくナナの背中から、美咲は周囲へ視線を移した。
ジャミングバグが視界に入る。
先ほどの光景が脳裏によみがえり、美咲は息をのんだ。
ナナの歪んだ顔。
れんの怒声。
あの時は、それが自分に向いている気がした。
アリスが悪趣味と言った状態異常。
フィアー。
知らなかったわけじゃない。
けれども、目まぐるしく変わる状況に、そのことが抜け落ちていた。
精神安定剤も、フィアーのために用意していた。
なのに、動けなかった。
ナナがいなければ、あのまま。
その事実だけが、美咲の胸に落ちる。
美咲は不安を振り落とすように、首を横に振った。
そして、腕のバイタルデバイスに視線を落とした。
次の付与まで、残り一分。
今やるべきことをやらなければいけない。
「一分前です!」
美咲は震える唇を抑えて叫んだ。
その合図とともに、ナナとれんの動きが変わった。
二人は、安全な距離を取り始める。
その動きには、最初と比べて迷いがなかった。
このまま行けば、よほど運が悪くない限り押し切れるはず。
確実に小型を、ジャミングバグを、削れている。
なら。
「れんさん! 次の付与の後、時間が欲しいです!」
美咲の声を聞いたれんは、走る速度を上げて美咲から距離を取った。
ナナが本体への攻撃をやめて、周りの小型を破壊しながら徐々に歩み寄ってくる。
「三十秒前!」
ナナが美咲と合流する。
れんはまだ離れたまま、その場を動かない。
れんを追いかけていた小型が、れんを囲うように集まってくる。
「十秒前!」
その声と同時に、れんが筒状の物を頭上に高く放り投げた。
れんが駆け出す。
その背後で、甲高い電子音とともにそれが破裂した。
れんを取り囲んでいた小型の群れが、一斉に痙攣するように足を止める。
れんがジャミングバグとすれ違う瞬間、ブラウン管の画面が切り替わった。
暗い食卓。
椅子に座った人影。
目の前の皿は空。
その人影は何もない皿に顔を近づけ、何度も何度も口を動かしている。
食器が擦れる音だけが空しく響く。
最後に、人影の腹部だけが不自然にへこみ、画面が砂嵐に戻った。
美咲はすぐさま、自身のバイタルデバイスを見た。
総合状態に問題はない。
「……なに今の。普通に気持ち悪いんだけど」
隣でナナが、遠くの小型に銃口を向けながら言った。
美咲は駆け寄ってくるれんに視線を向ける。
れんの走る速度が、わずかに落ちている気がした。
けれども、それ以外は問題なさそうに見えた。
「っ……ごめん。遅くなった」
合流したれんの息遣いが不自然に荒い。
美咲がれんのもとに寄ろうとした時、れんの腕がそれを遮った。
「大丈夫。ただの空腹……です」
れんはそう言うと、ポーチから携帯食料を取り出した。
「時間ないから本題に入って」
美咲は小さく頷くと、口を開いた。
「今後の方針についてです。お二人の残弾に余裕があるなら、小型を優先して減らしたいです」
「まだ余裕だけど……」
ナナがれんに視線を向けた。
れんは携帯食料を口に放り込み、指で丸を作った。
「フィアーはどうすんのよ」
「毎回フィアーが来る確率は低いですし、薬もまだ九本あります。今怖いのは、薬切れより解除へ行けないことだと思います。そのためには、一体でも多くの小型を処理したいです」
美咲の視線が一瞬、ジャミングバグに向いた。
その目がわずかに揺らぐ。
「一つ懸念点があるとすれば……確実に、誰かがフィアーを受けてしまいます」
そう付け加えた美咲の声は小さかった。
遠くで金属が床を掻く音が、時間切れを知らせる。
美咲は二人に視線を戻した。
「一番高いリスクを優先して排除するってことですよね。俺は賛成です。フィアーに関しては、来ないことを祈るしかないですね」
れんが言った。
「そんなの、撃たせなきゃいいのよ。幸運の女神、ナナ様がここにいるじゃない」
ナナの軽口に、れんが小さく笑う。
「変なのを引き連れてくる、駄女神の間違いじゃない?」
美咲はこの場の空気が、ほんの数十分前に戻った気がした。
それだけで、美咲の脳裏にこびりついたフィアーのイメージが、少しずつ削り落ちていく。
れんは緩んだ顔を引き締めると、ナナと美咲を交互に見た。
「付与前は今まで通り。それ以外は小型の処理優先。美咲さんも余裕がある時だけでいいんで、一緒にお願いします」
「はい」
美咲が力強く返事をした。
「本体への攻撃タイミングは俺が指示します」
「よろしくお願いします」
れんは頷き、向かってくる小型へ走り出した。
「なんとかなるっしょ」
その後ろを、ナナが追う。
美咲は大きく息を吸った。
そして、その目でジャミングバグを見据える。
大丈夫。
この三人ならうまくやれる。
美咲の視界の中で、ジャミングバグが小さく揺れた。
まだ、フィアーの余韻が頭の奥でノイズのように残っている。
でも。
もう止まる理由にはしない。




