第54話 似た者同士
刹那は引きずられるようにして、にじいろパウダーへ連行された。
最初こそ抵抗していた刹那も、すれ違う人に笑われ、物珍しそうに見られる頃には、すっかり諦めたように肩を落としていた。
刹那は、にじいろパウダーの椅子に座っていた。
座っていた、というより、座らされた。
目の前には、湯気の立つカップがひとつ。
その向こうで、マリアがにこにこと笑っている。
笑っている。
ただ、それだけなのに、店内の空気は明らかに重かった。
アリスはカウンターのそばに立ったまま、腕を組んでいる。
美咲は少し離れた椅子に座り、気まずそうに膝の上で手を握っていた。
「さて〜」
マリアが、いつもの柔らかい声で言った。
「刹那ちゃん。まず、言うことがあるわよね〜」
刹那は視線を横へ逃がした。
「いや、だから戻ってきたじゃないですか。無事に」
「刹那」
アリスの声が、それを遮った。
大きな声ではなかった。
けれど、その一言で刹那の肩がわずかに止まる。
美咲も、思わず背筋を伸ばした。
刹那はしばらく黙っていた。
それから、観念したように息を吐く。
「……心配かけて、悪かったよ」
その言葉が落ちた瞬間、張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
「はい。よくできました〜」
マリアは微笑んだまま、カップを刹那の前へ押し出す。
「でも、それで終わりじゃないわよ〜」
「だよな」
刹那は嫌そうに、小さく笑った。
アリスはカップには手をつけず、刹那を見ていた。
「私は、貴女が戻ってくると信じていたわ」
「おう」
「けれど、信じていることと、心配しないことは別よ」
刹那の表情から、軽さが少しだけ消えた。
美咲は、その言葉を聞いて、胸の奥が小さく痛んだ。
アリスは昨日、言い切った。
刹那は必ず戻ってくる、と。
けれどそれは、不安がなかったという意味ではなかった。
「……すまん」
今度の声は、さっきよりも少しだけ低かった。
刹那はカップに視線を落とす。
湯気が、刹那の顔の前でゆっくり揺れていた。
「……そういえば」
刹那は、少し強引に話題を変えるように口を開いた。
「Karmesinblitzは、まあ誰か知り合いに頼めば回収できるとして……アイテムとキャッシュ、保存ログが飛んだのは痛いな」
その言葉に、美咲ははっとした。
「あの」
美咲は椅子から立ち上がった。
店の端に置かれていたバッグへ向かう。
戻ってきた刹那に渡すために、そこに置いていたもの。
アリスと一緒に持ち帰ったもの。
美咲はバッグの口を開ける。
中から、刹那の装備を取り出した。
続けて、残っていたアイテム類。
残っていたキャッシュ。
保存ログ。
最後に、タクティカルナイフ。
刹那が先ほど、Karmesinblitzと呼んだもの。
それをテーブルの上に置いた瞬間、刹那の表情が変わった。
「……お前ら」
低い声だった。
刹那は眉をひそめ、アリスと美咲を見る。
「あの後、二人で戻ったのか」
美咲は言葉に詰まった。
怒られる。
そう思った。
けれど、アリスはまばたきひとつしなかった。
「当然でしょ」
その声は、あまりにも平然としていた。
「貴女の装備とログを、あの場所に残す理由がないもの」
「いや、そうじゃなくてな」
刹那は額に手を当てた。
「相手はあれだぞ。私が死んだ相手だぞ。普通、戻るか?」
「普通は、戻らないわね」
「分かってんなら」
「でも、必要だったわ」
アリスは淡々と言った。
「貴女の装備。保存ログ。アイテム。キャッシュ。どれも、あのまま放置するには価値が高すぎた」
刹那がアリスを見る。
アリスの声は、いつも通り冷静だった。
「それに」
アリスは一瞬だけ、視線を落とした。
「貴女のものを、あれに食わせたままにするつもりはなかった」
刹那は何も言わなかった。
沈黙が落ちる。
美咲は、膝の前で手を握りしめた。
「あの、私も」
声が少し震えた。
「私も、戻るって決めました。刹那さんの装備を、取りに戻るって」
刹那の視線が、美咲に向く。
赤い目が、じっと美咲を見る。
怒られると思った。
無茶をするな、と。
何を考えているんだ、と。
けれど刹那は、長く息を吐いただけだった。
「……はぁ」
それから、テーブルに並べられた装備に手を伸ばす。
「全員、似た者同士じゃねーかよ」
呆れたような声だった。
けれど、怒鳴る声ではなかった。
刹那はタクティカルナイフを手に取ると、指先で軽く状態を確かめた。
「……助かった」
小さな声だった。
美咲は顔を上げる。
「こいつだけ戻っても、ログとキャッシュが飛んだら後処理が面倒だからな」
「だから、ありがとな」
刹那はいつものように笑った。
少し乱暴で、軽い笑い方。
美咲の胸が、ぎゅっと詰まる。
「でも、私、逃げただけで」
「逃げきれたから、戻ってこられたんだろ」
刹那は即座に言った。
「それに、お前が逃げたから、私は最後まで戦えた」
美咲は言葉を失った。
刹那はカップに手を伸ばす。
けれど、その直前、手がわずかに止まった。
指先が、一瞬だけ腹部へ向かう。
すぐに戻された。
本当に一瞬だった。
けれど、美咲は見てしまった。
「刹那さん……?」
「なんでもない」
刹那は笑った。
「まあ、あれだ。食われんのは、二度とごめんだな」
冗談のような言葉だった。
でも、誰も笑わなかった。
マリアは静かに目を細める。
アリスは何も言わず、刹那を見ている。
美咲には、その沈黙の意味まではわからない。
けれど、刹那が本当に平気なわけではないことだけは、わかってしまった。
戻ってきた。
刹那は、ちゃんと戻ってきてくれた。
けれど、何もなかったことにはならない。
その事実だけが、湯気の向こうに残っていた。
やがて、アリスが小さく息を吐く。
「……貴女達に、少し話があるわ」
アリスの声はわずかに揺れていた気がした。
美咲がアリスに顔を向けた。
アリスは、普段と変わらない表情でこちらを見ていた。
でも。
これからアリスが話すことは、きっと大切な話。
美咲には、そう感じた。




