第48話 ただのデータ
美咲はアリスの指示で、廊下に置かれているバッグと、アリスの武器を取りに戻った。
扉を開けて、部屋の外を確認する。
敵は見えない。
廊下に出ると、バッグとアリスの武器を掴み、すぐに部屋へ戻った。
扉を閉め、部屋を見渡す。
部屋の中は、先程までの出来事が嘘のように静かだった。
黒いものは見当たらない。
残されたのは、四方に飛び散った青黒い液体。
切断されてもう動かない、四本の触手。
そして──
美咲は視線を部屋の中央に向けた。
そこには、刹那の下半身。
その近くで、アリスが拳銃を構えたまま、黒いものが消えていった先を見据えていた。
美咲は口を強く結ぶと、アリスのもとへ走った。
「アリスさん、持ってきました」
「ありがとう」
アリスは一瞬だけ美咲を見てから、片手を差し出した。
美咲は、アリスの長銃を手渡す。
「刹那の保存ログは取得中よ。貴女はアイテムをお願い」
「わかりました」
美咲はしゃがみ込み、刹那の横に転がるポーチに手を伸ばす。
携帯食料。
止血剤。
予備のマガジン。
落ちているナイフと、ハンドガンを拾おうとした時、刹那の下半身が視界の端に入った。
見ないようにしていたのに。
視線は徐々にそれに吸い寄せられていく。
微動だにしない足。
腰から上は、もう残っていない。
欠損した境目だけが、壊れたデータのように乱れていた。
『悪夢から跳ね起きたみたいになる』
刹那から聞いた言葉。
美咲の呼吸は浅くなり、切り裂いた手が痛み始める。
見たくない。
でも。
目が、離せない。
「美咲」
アリスの声に、美咲は弾かれたように顔を上げた。
アリスの冷たい視線が、美咲を刺す。
「それは、ただのデータよ。刹那じゃない」
その言葉に、美咲の胸が苦しくなる。
でも、今一番苦しいのは、自分ではない。
美咲は視線を落とすと、刹那の武器を手に取った。
これで、回収できるものは全て回収した。
あとは、刹那のログを回収するだけ。
その時、静かな部屋に不快な音が響いてきた。
くちゃ。
美咲の身体がこわばる。
アリスは拳銃を収め、受け取った長銃を構えた。
くちゃ。
黒いものの姿は見えないのに、音だけが聞こえてくる。
美咲の脳裏に先程の光景が蘇ってきた。
「アリスさん……」
「カードキーは持ってるわね」
ポーチに手を入れると、指先にカードキーが触れた。
「あります」
武器を構えたまま、アリスが一歩下がる。
「もう少し」
アリスは、変わらず一点を見据えている。
くちゃ。
美咲は銃口を、アリスが見据える先に向けた。
口が乾く。
汗で、銃のグリップが滑りそうになる。
そして、不快な音が──
止んだ。
その瞬間、静けさを破るように短い電子音が鳴った。
【保存ログの取得が完了しました】
アリスが声を上げる。
「走って」
二人が同時に、隔壁へ向かって駆け出した。
部屋を出て、廊下を走る。
開いたままの扉を、次々に通り過ぎていく。
息が上がる。
肺が悲鳴を上げる。
でも、止まるわけにはいかない。
そして、目の前に隔壁が見えてきた。
後方で激しい衝撃音が響く。
振り向けない。
だが、気配でわかる。
わかってしまう。
確実にあれが、追ってきている。
美咲はカードキーを急いで取り出すと、認証端末にカードをかざす。
隔壁がゆっくりと上がっていく。
早く。
そう思えば思うほど、遅く感じてくる。
半分ほど上がった時、アリスが来た道を振り返った。
美咲の体に、嫌な予感が駆け巡った。
「アリスさん!?」
アリスは通路の先に銃口を向けると、スコープを覗いた。
通路の奥で、二つの黒い点が膨らむように近づいてくる。
隔壁が上がりきった。
美咲が勢いよく扉を押し開ける。
「通れます!」
アリスは応えない。
無言で、スコープを覗き続けている。
「アリスさん!」
もう一度美咲が呼びかけたその瞬間、美咲の鼓膜が大きく揺れた。
低い銃声が、続けて三発。
アリスは静かに武器を下ろすと、振り返った。
「八つ当たりよ」
静かな声色。
だが、その声には、ほんのわずかに怒りが滲んでいた。
二人が建物から出ると、扉が音を立てながら閉まった。
もうあの音は聞こえてこない。
そこでやっと、美咲の肺に外の空気が入った。
美咲の足から力が抜けそうになる。
逃げきれた。
でも、安心はできなかった。
アリスは銃を構えたまま、白い建物を見ていた。




