第43話 逃げた先
刹那にカードキーを渡された美咲は、勢いよく部屋を飛び出した。
背後からは、何も聞こえてこない。
自分の走る足音だけが、廊下に大きく反響する。
それが、どうしようもなく恐ろしく感じた。
振り返りたい。
でも。
足手まとい。
その言葉が、耳の奥で繰り返される。
私が。
私のせいで──
「はあ……はあ……っ」
気づけば美咲は、ロビーまで戻っていた。
隔壁はまだ開いていない。
息も整えず、すぐさま認証端末にカードをかざす。
短い電子音と共に、隔壁が静かに上がっていった。
美咲は扉に手を添えると、来た道を振り返った。
視界の先では、通路が何事もなく続いている。
刹那は来ない。
唇をかみしめ、美咲は建物から出ていった。
建物を出ると、美咲はその場に崩れ落ちた。
もう立ち上がれない。
風が頬を撫でた。
木々がざわめく。
土の匂いがする。
初めてこの世界に来た時、美咲はそれだけで少し笑えた。
今は、その全部が苦しかった。
美咲は拳を握ると俯いた。
メイは助けを求めていた。
刹那は自分を逃がすために、傷を負いながら最後まで残った。
これはゲーム。
これはゲーム。
何度も自分に言い聞かせる。
けれども、メイの手の感触が、刹那の声が、あの化け物の、湿ったような臭いが──
リアルな感覚が、それを否定する。
息が詰まり、美咲は胸元を握りしめた。
「……っ。あ……っ」
言葉にならない声。
私なんかがいるから。
私が狙われていれば。
そう思った時、ポケットの携帯端末が鳴り響く。
その音は執拗に止まない。
美咲は虚ろな目で、端末を取り出すと画面を見た。
【Incoming call from Alice】
美咲が画面に触れると、通話が繋がる。
『やっと繋がったわね。刹那と一緒のはずでしょう。今、どこにいるの?』
端末からは、普段通りの声が聞こえてきた。
美咲の目元に涙が浮かぶ。
でも、何を言えばいいのかわからない。
『……美咲、返事をしなさい』
アリスの声が冷たくなる。
「……っ」
口を動かすが、声が喉元に張り付く。
『……無理に喋らなくていいわ。私の質問にYesなら1度、Noなら2度、端末を指で叩きなさい』
『貴女は今、安全な場所にいる?』
美咲は1度端末を指で叩いた。
『刹那は、そこにいる?』
今度は2度叩こうとした時、通話画面に赤いメッセージが、覆い被さる。
【SETSUNA が死亡しました】
美咲の指が震え、涙で視界がかすむ。
「わ、私が……! 私なんかが……!」
美咲から悲痛な声が漏れる。
『美咲。責任の話は後よ』
聞こえてくる声は変わらない。
いつものアリスの声だった。
『今必要なのは、貴女が見たもの。貴女が持っているもの。貴女がいる場所』
美咲は端末を握りしめた。
どうして。
どうして、そんなに冷静でいられるの。
ゲームだから?
私がおかしいの?
『……お願いよ、美咲』
その時だけ、ほんの少し声が揺れた。
『貴女の現在位置を、私に教えて』
違う。
アリスは、冷静なんかじゃない。
冷静であろうとしている。
その声だけで、美咲にも分かってしまった。
美咲は無言で、現在位置をアリスに送った。
『……確認したわ。その場からなるべく離れずに、安全を確保しなさい』
美咲は、返事をしようとした。
けれど、声は出なかった。
『……ありがとう』
アリスは最後にそう言い残し、通話は切れた。
ありがとう。
その言葉だけが、美咲の中に残った。
責められたわけではない。
許されたわけでもない。
ありがとうなんて──
美咲は震える膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。
振り返った先に、白い建物があった。
「……刹那さん」




