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第41話 責任

 刹那と美咲は、目の前に佇む建物から視線を逸らせずにいた。


 遠目に見ればただの廃墟施設だった。


【未登録区域】


 その言葉だけが、刹那の胸の奥に引っかかり、外れない。


 刹那が美咲に手招きをし、二人はゆっくりと建物の外周を移動した。


 ひび割れた外壁。


 割れた窓。


 しばらく歩いていると、視界の先に異物が映り込む。


 刹那はしゃがみ込み、フェンスの切れ目に転がっていたそれを拾い上げた。


 壊れた錠前。


 ただし、壊れ方は古くない。


 金属の一部が弾け飛び、断面に新しい傷が残っている。


 焦げたような臭いも、かすかにあった。


「……撃って開けてるな」


「撃って……?」


 美咲が息を呑む。


「誰かが、ここに入ったんですか?」


「多分な」


 刹那は錠前を足元に戻し、フェンスの奥を見た。


 踏み荒らされた草。


 建物へ続く足跡らしき乱れ。


 入った形跡はある。


 だが、そのプレイヤーが出ていったかどうかまでは分からなかった。


 刹那は端末を取り出し、フレンド欄を開いた。


 アリスは未だにログインしていない。


「……どうするか」


 刹那は小さく呟いた。


 美咲を連れているなら、ここで引くべき。


 未登録区域。


 撃ち壊された錠前。


 赤い油痕。


 どれも、初心者を連れて踏み込む理由にはならない。


 美咲を一度街まで戻す。


 それが一番安全。


 そう判断しかけて、刹那は口を閉じた。


 今ここで美咲を送って戻るまでの時間に、中の誰かがどうなるか分からない。


 深追いはしない。


 入口だけ見る。


 異常を感じたら、即撤退。


 その程度なら、まだ判断の範囲内だ。


「美咲」


「は、はい」


「ロビーだけ確認する。奥へは行かない」


 美咲は刹那を見つめる。


 その目には、恐怖が滲んでいた。


 けれど、それだけではなかった。


「中に、誰かいるかもしれないんですよね」


「可能性はある」


「もし、その人が中で困ってるなら……何とかできませんか?」


 刹那は短く息を吐く。


 そう言うと思った。


「助けるかどうかは、中を見て判断する」


 美咲は一瞬俯き、小さく頷いた。


「それと、私の後ろを3歩以上離れるな。勝手に触るな。私の指示が最優先だ」


「いいな」


「……わかりました」


「よし」


 刹那はフェンスを押し開けた。


 建物の扉には鍵がない。


 錆びた金属の扉は、軽く押しただけで重い音を立てて開いた。


 その先を見て、刹那は目を細める。


 中は、綺麗だった。


 外観とはまるで違う。


 埃ひとつない。


 廃墟ではない。


 少なくとも、中だけは。


 油痕は、通路の奥へと続いている。


 嫌な気配が、輪郭を現す。


「入口だけって言ったな」


 刹那は自分に言い聞かせるように呟いた。


 その瞬間。


 背後で、低い電子音が鳴った。


 白い壁の一部が滑るように動き、入口の内側に厚い隔壁が降りてくる。


 美咲が振り返る。


「え……」


 二人が動く前に、隔壁が完全に閉じた。


 室内が静まり返る。


 認証端末だけが、青白く点灯していた。


【施設セキュリティ:ロック】


【退出には職員用カードキーが必要です】


 美咲がはっとして端末を開いた。


「ログアウトすれば……」


 けれど、その指はすぐに止まった。


【このエリアではログアウトできません】


「刹那さん、ログアウトも……できません」


「仮にできたとしても、解決にはならない」


 刹那は隔壁を見上げたまま、低く言った。


「再ログイン位置はここだ。施設ロックを解除しない限り、外へは出られない」


 そして、短く息を吐く。


「……なるほどな」


 刹那は隔壁へ歩み寄り、指で軽く叩いた。


 美咲が不安そうにこちらを見つめる。


「刹那さん……」


「下がってろ」


「え?」


「どいてろ、美咲」


 刹那は腰のナイフを抜いた。


 黒いグリップ。


 細身の刃。


 背側に刻まれた鋸状の刃。


 見た目だけなら、使い込まれたタクティカルナイフにしか見えない。


 だが、刹那が柄に指をかけた瞬間、刃の縁を赤い光が走った。


 低い駆動音が、白いロビーに滲む。


 美咲が息を止める気配がした。


 刹那はナイフを逆手に構えた。


 こいつなら──


 一歩、踏み込む。


 斬撃が、隔壁に叩き込まれた。


 金属音。


 火花。


 白い壁に、赤い線が走る。


 美咲は反射的に片手で耳を押さえた。


 刃は入った。


 感触もある。


 切れている。


 だが、隔壁は壊れなかった。


 傷は表面に残ったまま、すぐに白く塞がっていく。


 刹那は目を細める。


 もう一度、今度は浅く刃を当てた。


 抵抗はある。


 切断の手応えもある。


 それでも、壊れない。


「硬いってわけじゃないな」


 刹那はナイフを下ろした。


「壊せないものとして処理されてるな」


「それって……」


「物理破壊は無効。システムロックだ」


 刹那は辺りを見渡した。


 奥へ続く通路。


 部屋の扉。


 受付カウンター。


 そして、セキュリティルームで目が止まる。


「……何が出てきてもいいように、常に警戒はしておけ」


 美咲は銃を握り直して頷いた。


 それを確認して、刹那は歩き始める。


 刹那はセキュリティルームの扉を静かに開け、中を覗いた。


 部屋の中には、敵も人影も見当たらない。


「入るぞ」


 刹那はナイフを構えたまま、中に足を踏み入れた。


 部屋に入ると、刹那は中をぐるりと一周した。


 壁際には、小型ロッカーが並んでいた。


 そのうち三つ目だけが、開いたままになっている。


 中には透明なケースがあった。


 ケースには、【非常退出用カードキー】と書かれたラベルが貼ってある。


 ただし、カードはなかった。


「多分、ここにカードキーがあったんだろうな」


「今は……」


「誰かが持ち出してる」


 これで、奥へ進むしか選択肢がなくなった。


 美咲が部屋の外に視線を向けた。


「じゃあ、やっぱり……誰かが」


「生きているとは限らない」


 美咲が振り返り、刹那を見つめる。


 そして、すぐに視線を落とした。


 刹那が短く息を吐く。


「カードキーを探さないと私達も出られないし、ついでにプレイヤーも探す」


 刹那の言葉に、美咲は視線を上げた。


「もう一度、外で私が言ったことを確認する」


 美咲は刹那から視線を逸らさないまま、すぐに口を開いた。


「刹那さんから、3歩以上離れない。勝手に物に触らない。刹那さんの指示が最優先」


「よし」


 二人は部屋を出て、油痕を追った。


 通路の途中にある部屋は、どれも開いていた。


 研究室。


 保管庫。


 休憩室らしき小部屋。


 中は整っている。


 机も、椅子も、棚もある。


 だが、人の気配だけが抜け落ちている。


 まるで、ついさっきまで誰かが使っていた場所から、人間だけを綺麗に取り除いたみたいだった。


「……刹那さん」


「何だ」


「ここ、誰が管理しているんでしょう」


「さあな」


 刹那は周囲を見た。


 壁に傷は少ない。


 床も綺麗だ。


 だが、赤い油痕だけは奥へ続いている。


 この施設が生きているのか。


 それとも、死んだ施設が生きているふりをしているのか。


 どちらにしても、ろくな場所ではない。


 しばらく歩いていると、目の前に大きな白い扉が現れた。


 この通路は、ここで終わっている。


 だが、油痕は扉の先に続いていた。


 刹那が腕を上げて、美咲を静止した。


 耳を澄ます。


 何も聞こえない。


 それが余計に不気味に思えた。


 美咲が息を呑む音が、背後から聞こえてきた。


 刹那は振り返り、美咲に顔を向けた。


「私達の目標はカードキーだ。この先に居るかもしれないプレイヤーは、余裕がなければ助けない」


「わかったな」


 美咲は少し黙った後、ゆっくり口を開いた。


「……わかりました」


 返事はしたが、納得はしていない。


 それだけはわかった。


 刹那は扉に向き直る。


 あいつならこう言うはず。


 まずは生存。


 次に救助。


 合理的に判断しろ、と。


 刹那は顔をしかめた。


「……責任を、擦り付けてんじゃねーよ」


 そう呟く刹那の声は、後ろの美咲にも聞こえないほど小さかった。

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