第39話 血の油
木々のざわめきが聞こえる中、美咲は森の奥を見つめたまま呟いた。
「えっと、ランタンベアー……だったっけ」
ランタンベアー。
初めて聞く名前に、刹那は眉をひそめて視線を下げる。
しばらく考えていると、美咲が首を傾げ、こちらを見つめていた。
「どんな見た目だ?」
美咲は、記憶を辿るように視線を上げる。
「細い胴体に腕と足、顔にランタンみたいな灯りがついてました」
「音もなく、目の前までゆらーり近づいて来て、機械っていうより……おばけみたいでしたね」
「攻撃はされなかったのか?」
「はい。目の前まで来たら、ふって消えちゃいました」
美咲の説明で、刹那の頭はさらに混乱していく。
説明が悪いわけではない。
ただ、そんな敵は見たことも、聞いたこともなかった。
ましてや、こんな調べ尽くされた初心者マップに、自分が知らない敵がいるとは思えない。
違和感が輪郭を変えて、徐々に歪な形になり始める。
刹那が黙っていると、美咲が嬉しそうに顔を向けた。
「もしかして、刹那さんですら知らないレアだったりします?」
そう言いながら笑う美咲の瞳は、お宝を見つけた時のように、輝いていた。
刹那はそんな美咲を一瞥し、小さく笑う。
「私が知らないだけか……。もしかしたら、本当に大発見かもな」
「アリスさんなら、知ってますかね?」
「あー確かに、聞いてみるか」
刹那は端末を取り出し、フレンド欄を確認する。
しかし、アリスの名前は黒く表示されていた。
刹那が小さく息を吐く。
「あいつ、面倒見るって言ったくせに、結局今日も来なかったし」
「用がある時に限って、オフラインだし……」
ぼやく刹那の隣で、美咲は苦笑いを浮かべていたが、ふと視線が地面に止まった。
そして、早足で歩き始める。
「どうした?」
美咲は少し先で立ち止まり、しゃがみ込む。
「刹那さん。これ、ランタンベアーと会った時に同じものを見ました」
刹那も歩み寄り、美咲の視線の先を見た。
そこには、粘着質の赤黒い液体。
それが血溜まりのようになって、地面を濡らしていた。
刹那が顔を上げ、辺りを見渡す。
少し離れたところで、同じ液体が目に入る。
「どうしましょう?」
美咲が顔を向け、首を傾げる。
刹那は口元に指を添え、視線を下げた。
放置してもいいものなのか。
特殊なエネミーなら、初心者の被害者が出るかもしれない。
だが、自分の直感は関わるなと言っている。
「……少しだけ、調べるか」
刹那は、嫌な予感を飲み込むように呟いた。
赤黒い液体は、森の奥へ点々と続いていた。
血のようで、血ではない。
油のようで、油にしては生々しい。
刹那が歩き始め、美咲もその後をついて行く。
背後で、美咲が小さく息を呑む気配がした。
刹那は振り返らないまま、森の奥へ続く赤黒い痕を追った。
やがて、木々の隙間から人工物の輪郭が見えた。
崩れた柵。
古びた外壁。
けれど、そこだけ周囲の廃墟とは質感が違っていた。
壊れているはずなのに、どこか新しい。
忘れられているはずなのに、まだ息をしているような建物だった。
刹那は端末を開き、ミニマップを確認する。
【未登録区域】
そこには、何も表示されていなかった。
「……マップにないな」
刹那の声から、軽さが消えた。
美咲は黙ったまま、建物を見上げる。
赤黒い油は、崩れたフェンスの隙間を抜け、その奥へ続いていた。




