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第37話 戦う前に

 美咲はひとり《にじいろパウダー》へ向かっていた。


 いつものように、お茶を飲みに行くわけではない。


 マリアに話を聞いてもらいたいわけでもない。


 それでも足は、自然とその店へ向かっていた。


 商店街の喧騒を抜け、見慣れた木製の扉の前で、美咲は一度だけ息を整える。


 腰のポーチには、いつもより少し多めの回復アイテム。


 そして手元の端末には、開きっぱなしの記事が表示されていた。


【初心者でも即戦力! 支援職の立ち回り100】


 著者欄には、《Ecclesia Alba》所属の名前が記されている。


 美咲は画面を見つめ、ぎゅっと端末を握りしめた。


「……よし」


 小さく呟いてから、扉を開ける。


 店内には、いつものように火薬と薬草と紅茶の匂いが混ざっていた。


 カウンターの奥ではマリアが作業台に小瓶を並べている。


 そして、その隣には見慣れた和装の女性がいた。


 黒髪を静かに揺らしながら、楓が乾燥させた薬草を手に取っている。


「これは煮出すより、料理に使った方が香りが残りそうですね」


「そうねぇ。楓ちゃんに見てもらって正解だったわ〜」


 そんな穏やかな会話の中、美咲が一歩足を踏み入れた。


 マリアがすぐに顔を上げた。


「あら〜、みさきちゃん。いらっしゃい」


「こんばんは、マリアさん。楓さんも、こんばんは」


 美咲が頭を下げると、楓もやわらかく会釈を返す。


「こんばんは、美咲さん」


 マリアは美咲をじっと見つめると、少しだけ目を細めた。


「今日は、お茶を飲みに来たお顔じゃないわねぇ」


 その言葉に、美咲はどきりとした。


 自分では普通にしているつもりだった。


 けれど、やっぱり顔に出やすいらしい。


 美咲は少し迷ったあと、端末を差し出した。


「これを読んでいて……」


 マリアが画面を覗き込む。


 楓も隣から静かに視線を向けた。


「初心者でも即戦力……支援職の立ち回り100……」


 マリアがゆっくりと読み上げる。


 その声には少しだけ驚きが混じっていた。


「まあ。みさきちゃん、勉強熱心ねぇ」


「いえ、そんな……」


 美咲は慌てて首を振る。


 けれど、端末を持つ手には少しばかり力が入っていた。


「アリスさんに、支援寄りに動いた方がいいって言われて。それで、私にもできることがあるなら、少しでも早く覚えたいなって」


 言葉にしてから、美咲は少しだけ視線を落とす。


「私、いつも助けてもらってばかりなので」


 マリアの手が止まる。


 楓もまた、薬草を置いて美咲を見つめた。


「少しでも早く、役に立てるようになりたいんです」


 その声は大きくなかった。


 でも、まっすぐだった。


 マリアはしばらく美咲を見つめてから、ふわりと微笑む。


「そう」


 それだけ言うと、カウンターの向こうから椅子を引いた。


「じゃあ、座って。お茶を出すわね〜」


「え、でも私、勉強を……」


「お茶を飲みながらでも、勉強はできるわよ〜」


 いつもの調子でそう言われ、美咲は小さく笑った。


 椅子に座ると、美咲は楓に視線を向けた。


「あの、楓さんは戦闘とかって……」


 美咲の言葉に、楓は困ったように眉を下げて、笑った。


「私は戦闘が苦手ですので、戦闘については、あまりお役に立てることは言えません」


「でも、支援というのは、戦場で誰かを助けることだけではないと思います」


 美咲は顔を上げる。


 楓は、手元の薬草を小瓶へ戻しながら続けた。


「戦う前に整えること。帰ってきた人を迎えること。無理をしないように見ていること。それも、支援だと思います」


「戦う前に……」


「はい。料理も、回復薬も、補給も、誰かが動ける状態を作るためのものですから」


 その言葉は静かだった。


 けれど、美咲の中にすっと入ってくる。


 マリアが紅茶を置きながら、うんうんと頷いた。


「そうねぇ。支援って、誰かを助けることだけど、焦ると逆に崩れちゃうものなのよ〜」


「焦ると……」


「助けたい、役に立ちたいって気持ちは大事。でも、その気持ちだけで前に出ると、助ける側が先に倒れちゃうの」


 美咲は端末の画面に視線を落とす。


 記事には、いくつもの項目が並んでいた。


 味方の位置を見ること。


 射線を切ること。


 退路を確保すること。


 状態異常を確認すること。


 自分の残弾とアイテムを把握すること。


 危険だと思ったら、戦うより先に知らせること。


 どれも、難しいことには見えない。


 けれど、実際に戦場でできるかと聞かれたら、自信はなかった。


「……覚えること、いっぱいですね」


 美咲がぽつりと呟く。


 マリアは小さく笑った。


「一度に全部できなくていいのよ〜」


 楓も頷く。


「まずは、ひとつずつでいいと思います」


「ひとつずつ……」


 美咲は端末を見つめながら、ゆっくり頷いた。


 その時だった。


 扉のベルが鳴る。


「あー、いたいた」


 聞き慣れた声に、美咲が振り返る。


 店に入ってきたのは刹那だった。


 黒髪を揺らし、いつもの軽い足取りでカウンターへ近づいてくる。


「何してんだ?」


「支援職の勉強です」


 美咲は少しだけ胸を張って答えた。


 刹那は端末を覗き込み、画面に並んだ題名を見た。


【初心者でも即戦力! 支援職の立ち回り100】


 数秒、黙った。


「……なんだそれ」


「えっ」


「いや、題名が胡散臭すぎるだろ」


 美咲は慌てて端末を胸元へ引き寄せる。


「そ、そんなことないです! 中身はしっかりしてます!」


 刹那はもう一度画面を覗き込み、ざっと項目に目を通した。


「……まあ、中身は普通だな」


「ですよね!」


「でも、実践の方が早くないか?」


 刹那の言葉に、棚が小さく軋んだ。

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