第36話 名前もない場所
唐突に聞こえた声に、三人の視線が同時にカウンターへ向く。
そこには、頬杖をついてヘラヘラ笑っているレイナの姿があった。
「暇なのかよ、あの人……」
刹那が口元を歪め、小さくぼやく。
「よっと!」
そんな掛け声とともに、カウンターの奥でまったりしていたレイナが、椅子を回転させるようにして立ち上がった。
まるで舞台の幕が上がるかのように、笑顔でカウンターから身を乗り出す。
「刹那はええわ。ちゃんとコミュニケーション取るし、実際そないな感じやもんなー」
それまで空気を読みつつ黙っていたくせに、ずけずけと言いたいことを言うレイナ。
だが、その矛先はすぐに次の標的へと移る。
「せやけど……アリス。あんたはちゃうやろ? 本音、言ってみ?」
口元を楽しそうに吊り上げ、レイナがアリスに問いかける。
だがアリスは紅茶を啜りながら、視線すら返さない。
「なあ〜アリスちゃん〜? お姉さんに、ほ・ん・ね、聞かせてみ〜?」
距離を詰め、肩に手を回そうとしたその瞬間──
アリスは迷いなく、その手をピシャリと払った。
「いったっ!」
レイナが手を振りつつ抗議する。
「なんやねん! ちょっとぐらい、ええやんか〜!」
だがアリスは、なおも紅茶を啜るのみで、レイナの声など聞こえていないかのようだった。
レイナは眉根を寄せると、「まあええわ」と切り替える。
そして、美咲に視線を向けた。
「それで、美咲ちゃんはどうなん? こんな話し始めたってことは、どっかに誘われたん?」
「え、あ……まあ、はい。先程、誘われまして……」
先程の光景が思い浮かぶ。
白い衣装のウルセラという女性。
支援クラン《Ecclesia Alba》。
「で? なんて答えたん?」
「えーっと……断りました」
「あらま。なんでなん?」
「いやぁ……なんか、まだそういうのはいいかなーって……」
美咲の言葉はどこかぼやけていた。
だが、レイナはにっこりと微笑み、同じ言葉を投げかける。
「なんで断ったん?」
沈黙。
美咲は、ぽそりと口を開いた。
「……私は……クランに入るなら、刹那さんや、アリスさん、マリアさんと一緒がいいなって……」
その瞬間、腕を組んで聞いていた刹那が、咄嗟に顔を逸らした。
アリスは──視線も動かさず、紅茶を口に運んだ。
「……なあ! このゲームでこんな子、なかなかおらんで!? なぁ、あんたら! 答えたらんと!」
レイナは嬉しそうに、まるで年末の親戚のおばちゃんのように二人を煽る。
刹那はそんなレイナが面倒くさいと言わんばかりに、眉をひそめた。
そして、小さく息を吐くとぽつりと呟く。
「……まあでも、最近は誰かと一緒にってのも悪くないかな」
そんな言葉に、レイナは穏やかな表情を浮かべた。
「せやろー? ずっとひとりってのも味気ないやん」
その視線は、ほんの少しだけアリスに向いていた。
そして──
「……そうね。分からなくはないわ」
アリスもまた、わずかに視線を落とし、静かに答えた。
その一言が、誰よりも多くのことを語っていた。
「クランハウスとか、いいですよねー」
そう言い出したのは美咲だった。
唐突すぎて誰もついていけなかったが、レイナだけは満面の笑みで乗ってくる。
「ええやん〜! そんときは誘ってな〜?」
「アホほど金かかるぞ……」
「え!?」
刹那が現実的なことを呟き、美咲が驚く。
アリスが紅茶のカップをそっと置いた。
──そんなふうに、未来の話をする姿は、どこまでも楽しげで。
誰かが「夢」と呼ぶような話でも、彼女たちにとっては“現実にできる”気がしていた。
たとえばそれが、まだ名前もないクランの、物語の最初のページだったとしても。




