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第34話 白い誘い

 アリスの講義から、数日が経った。


 あの日、講義の後半は意識が遠のいていた。


 覚えていることは、アリスの口から発せられるなぞの呪文。


 刹那のため息。


 マリアの困ったように笑う顔。


 そして、アリスの「貴女が教わりたいと言ったのでしょ? 時間は有限よ」という言葉。


 それでも美咲は、依頼掲示板に立つたびに、少しだけ足を止めるようになった。


 エリア名。

 推奨人数。

 周辺の危険度。

 過去に残されたバトルログ。


 以前なら流し見していた文字列が、今はただの情報には見えない。


 誰かを守るための証拠。


 誰かを追い詰める刃。


 そして、自分が生きて帰るための手がかり。


 美咲は端末を閉じると、バッグの中身を取り出し確認した。


 回復アイテム。

 スモーク。

 フラッシュバン。

 簡易食料。

 予備の弾薬。


 前に出て戦うためではない。


 誰かが逃げる時間を作るためのものばかりだった。


 アリスに言われた言葉が、胸の奥に残っている。


 支援寄りに動いた方がいい。


 その言葉は、少しだけ嬉しくて。


 少しだけ、怖かった。


 支援。


 誰かのために動くこと。


 けれど、それは本当に、自分にできることなのだろうか。


 その疑問だけは、まだ消えない。


 その時、近くの空気がほんの少し変わった。


 大きなざわめきではない。


 けれど、周囲の視線が、広場の端へ集まっていく。


 美咲もつられて顔を上げた。


 そこに立っていたのは、白を基調にした衣装の女性だった。


 柔らかく細められた目元。


 すれ違うプレイヤーすべてに、会釈をしていた。


 白い外套の胸元には、見慣れない紋章が刻まれている。


 その姿を見た近くのプレイヤーたちが、小さく声を交わした。


「EAじゃん。珍しいな」


「支援専門のクランだっけ」


「救助要請への対応、早いんだよな、あそこ」


「でも、寄せ集めクランだろ?」


「まあ、ひとりで戦えない奴にはありがたいんじゃね」


 ひとりで戦えない奴。


 その言葉だけが、美咲の胸に引っかかった。


 目の前の女性もまた、ほんの少しだけ眉を下げていた気がした。


 次に美咲が見た時には、彼女はもう柔らかく笑っていた。


 その女性が、美咲の方へ視線を向ける。


「支援寄りの構成なんですね」


 ふいに声をかけられ、美咲は反射的に肩を跳ねさせた。


「は、はいっ……!」


 返事は出た。


 けれど、手は無意識に端末へ伸びていた。


 知らない相手。


 知らない声。


 数日前なら、何も考えずに笑って返事をしていたかもしれない。


 その動きに気づいたのか、女性はすぐに足を止めた。


 そして、申し訳なさそうに微笑む。


「ごめんなさい。驚かせてしまいましたね」


「あ、いえ……」


 女性は胸元の紋章に軽く手を添える。


「私はウルセラといいます。クラン《Ecclesia(エクレシア) Alba(アルバ)》を運営しています」


「えく……?」


 聞き慣れない名前に、美咲は首を傾げた。


「ひとりでは戦いにくい支援職や、支援寄りに動きたい方たちを集めて、救助や補給、回復を中心に活動しているクランです」


 ウルセラは、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。


「もし支援寄りの動きに興味があるなら、一度お話だけでもどうでしょうか」


 美咲の思考が一瞬停止する。


 初心者の自分が、この女性に勧誘されている。


 それだけは、理解できた。


 けれども美咲は、すぐに返事ができなかった。


 ウルセラは、何も答えない美咲を見つめている。


 やがて、自分の言葉が警戒させてしまったのだと気づいたように、慌てて手を振った。


「ご、ごめんなさい! 急にそんなことを言われても信用できませんよね!」


 ウルセラはそう言うと、自分の端末を開いた。


「必要でしたら、私の公開経歴を確認してください。赤ネーム履歴や、街中での問題行動があれば、ここに残りますから」


 淡いホログラムが開きかける。


 美咲は慌てて首を横に振った。


「あ、いえっ。そこまで疑っているわけじゃなくて……!」


 ウルセラは少しだけ目を丸くした。


 それから、困ったように笑う。


「そうですか。ありがとうございます」


 悪い人には見えない。


 むしろ、とても優しそうな人。


 支援職のためのクラン。


 ひとりでは戦いにくい人たちの場所。


 その言葉は、少しだけ今の自分に近い気がした。


 けれど。


 美咲の指先が、端末の縁に触れる。


 その時、短い通知音が鳴った。


【SETSUNA:レイナさんとこ行くけど、来るか?】


 表示された一文を見た瞬間、美咲の胸が、ふっと軽くなった。


 そして、ウルセラに視線を戻すと、美咲は深く頭を下げた。


「声をかけていただいて、ありがとうございます」


「でも、今はまだ……すみません」


 ウルセラは、ゆっくりと微笑む。


「そうですか」


 その声は穏やかだった。


「それなら、無理にとは言いません。気が変わりましたら、《Ecclesia Alba》の拠点を訪ねてきてください。歓迎いたします」


「はい。ありがとうございます」


 美咲はもう一度頭を下げると、刹那から届いた通知を握りしめるように端末を閉じた。


 数歩進んだところで、ふと振り返る。


 ウルセラは、まだその場に立っていた。


 白い装備の裾を揺らしながら、少しだけ残念そうに目を伏せている。


 けれど、すぐに何事もなかったように背を向けた。


 その瞬間。


「きゃっ」


 小さな声とともに、ウルセラの体が前へ傾いた。


 何もない石畳につまずいたように、彼女は見事に転んだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


 美咲が慌てて戻ろうとする。


 けれど、その前に周囲のプレイヤーが数人、すぐに手を差し伸べていた。


「ウルセラさん、大丈夫ですか?」


「手、貸しますよ」


 ウルセラは少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 そう言って、差し出された手を取らずに、自分の力でゆっくりと立ち上がる。


 白い外套についた埃を払い、何事もなかったように小さく会釈する。


「お騒がせしました」


 そして彼女は、少しだけ早足で広場の向こうへ歩いていった。


 美咲はその背中を、しばらく見つめていた。


 優しそうで、少し抜けていて。


 けれど、差し伸べられた手は取らない人。


 その不思議な印象だけが、美咲の胸に残った。

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