第32話 ログに残らないもの
「準備をしてくるわ。少し待っていなさい」
アリスはそれだけ言うと、カウンター奥にある作業用端末へ向かった。
《にじいろパウダー》の店内には、火薬と紅茶の匂いが静かに漂っている。
美咲は椅子に座ったまま、膝の上で両手を握りしめていた。
戦い方を教えてもらえる。
さっきまでは、そう思って少しだけ胸が弾んでいた。
けれど、アリスの最後の一言。
やるからには、徹底的にやるわよ。
その言葉が、今になって妙に重く響いてくる。
美咲はそっと隣を見る。
椅子に腰かけた刹那は、どこか遠い目をしていた。
「あの……刹那さん」
「ん?」
「アリスさんって、どんな感じで教えてくれるんですか?」
刹那は一瞬だけ黙った。
そして、視線を逸らす。
「あー……普通だよ。普段通り」
普段通り、その言葉がここまで不安に聞こえたのは初めてだった。
美咲は乾いた笑みを浮かべた。
「私、耐えられますかね……」
「大丈夫だろ。たぶん」
「今、たぶんって言いましたよね」
「言葉の綾だよ」
刹那は軽く手を振った。
その態度はいつも通りだったが、どこか逃げ腰にも見えた。
「不安だ……」
美咲が小さく呟いた時、奥から足音が戻ってきた。
アリスは板状の端末を手に、椅子に座った。
その表情はいつも通り静かで、感情の揺れは見えない。
けれど、美咲には分かってしまった。
今から始まるのは、きっと軽い話ではない。
刹那が立ち上がる。
「じゃ、私はこの辺で退散するわ」
「えっ」
美咲が思わず顔を上げる。
不安げな視線が、刹那に突き刺さった。
アリスは端末を机に置きながら、視線をあげた。
「刹那。復習だと思って、貴女も聞いていきなさい」
「いや、私は遠慮しておく」
「必要ないと?」
「いや、必要とかそういう話じゃなくてな」
刹那は言い訳を探すように視線を泳がせた。
その横で、美咲はじっと刹那を見つめる。
その目の前で、アリスも刹那を見つめた。
しばらく見つめる。
二人は、何も言わずに。
刹那は小さく舌打ちをした。
「……はぁ。聞くだけだからな」
「ありがとうございます、刹那さん」
刹那は美咲の頭を雑に撫で、美咲がわけもわからず目を丸くする。
マリアがカウンターの奥で、くすくすと笑った。
「刹那ちゃんも、お茶飲んでいくでしょう?」
「……逃げ道、なくなったな」
刹那は諦めたように椅子へ戻る。
アリスはその様子を気にすることなく、端末を机の中央へ滑らせた。
淡いホログラムが立ち上がる。
そこに表示されたのは、今日の美咲の行動ログだった。
美咲の背筋が、自然と伸びる。
「まず、戦い方を教える前に」
アリスは静かに口を開いた。
「貴女には、ログの読み方を覚えてもらうわ」
「ログ……ですか?」
「ええ」
アリスはホログラムを操作する。
画面に、文字列が並んでいく。
「今回、貴女を守ったのは私の銃だけではないわ。貴女自身のログよ」
美咲は意味が分からず、首を傾げた。
アリスは説明を続けず、まずログを表示した。
──
[Area 9.2 / Combat Log]
20:32 Mei 視認
20:32 Ben 視認
20:35 Mei 武器展開
20:35 装備:テーザーガン
20:35 Mei → Misaki. 胴体部命中
状態異常:麻痺
行動制限:発生
20:40 Mei Misaki.の所持キャッシュへアクセス
キャッシュ:減少
20:41 Ben 周囲警戒
20:42 Mei / Ben エリア離脱
──
ログを見た瞬間、美咲の指先が少しだけ強張った。
撃たれた時の痛み。
体が動かなくなった感覚。
地面に倒れた時の冷たさ。
そのすべてが、短い文字列になって並んでいる。
「これが、貴女の端末に残っていたログよ」
アリスがログに指をさす。
「ここには、相手の名前が残っている。武器も、行動も、結果も残っている」
「……はい」
「なぜか分かるかしら」
美咲は画面を見つめたまま、少し考えた。
「私が……見ていたから、ですか?」
「正解よ」
アリスは小さく頷いた。
「貴女は相手を視認していた。相手は目の前にいて、武器を展開し、貴女を撃った。だからログに残る」
美咲は黙って頷く。
刹那は腕を組んだまま、静かに画面を見ていた。
アリスは次の画面へ切り替える。
そこには、先ほどよりもずっと短いログが表示された。
──
[Area 9.2 / Damage Log]
20:50 被弾
左腕部 損傷
行動制限:発生
攻撃元:未観測
攻撃者:不明
武器種:不明
距離:不明
──
美咲は目を瞬かせた。
「これは……」
「彼ら側に残ったとしても、おそらくこの程度でしょうね」
アリスは淡々と答える。
「実物を預かったわけではないわ。けれど、彼らが正門前でログを見せられなかった理由は、これで説明できるわね」
「攻撃者が……不明」
美咲は小さく呟いた。
「アリスさんが撃ったんですよね?」
「ええ」
「でも、名前が残らないんですか?」
「彼らは私を観測していなかったもの」
アリスは表情を変えない。
「見えない位置から撃たれた場合、ログには結果しか残らないことがある。誰に撃たれたのか。どの武器で撃たれたのか。どの距離から撃たれたのか。観測できなければ、記録は欠ける」
「……だから、証拠がなかった」
美咲の声が、わずかに震えた。
正門前で、あの二人が何も言えなくなった理由。
アリスがなぜ、あんなにも冷静に詰められたのか。
その理由が、ようやく形になっていく。
「そうよ」
アリスはログを閉じずに続けた。
「彼らは、私に撃たれたと主張した。でも、それを証明する証拠は出せなかった」
次に、美咲のログを指し示す。
「一方で、貴女のログには、彼らが何をしたのかが残っていた」
「彼らに、私を責めるためのログはなかった」
「あったのは、おそらく自分たちの行動を示すログだけ」
「だから提示できなかった。それだけよ」
テーザーガン。
麻痺。
キャッシュ減少。
その文字が、ひどく冷たく見えた。
「このゲームで重要なのは、何が起きたかだけではないわ」
アリスの声が、少しだけ低くなる。
「誰が、それを観測していたか」
「そして、それがログにどう残るかよ」
美咲は、息を呑んだ。
ログはただの記録だと思っていた。
でも、違う。
美咲は、ホログラムに浮かぶ文字列を見つめた。
戦闘の結果。
ダメージ。
経験値。
倒した敵の名前。
それだけだと思っていたものが、急に違って見えた。
それは、誰かを守るための刃にもなる。
そして、誰かを追い詰める証拠にもなる。
バトルログ。
その言葉の重さを、美咲は初めて知った気がした。




