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第30話 フレンド欄の余白

 アリスに手を引かれ、美咲は正門前の喧騒から離れていった。


 人の声が、少しずつ遠ざかる。


 さっきまで自分たちに向けられていた視線も、囁き声も、今はもう聞こえない。


 それでも、美咲の手にはまだ、アリスの指先の冷たさが残っていた。


 しばらく歩いたところで、アリスは足を止めた。


 大通りから外れた、人気の少ない広場の端。


 街灯の淡い光が石畳を照らし、遠くからプレイヤーたちの笑い声が聞こえてくる。


 アリスは美咲の手を離すと、先ほど取り返したキャッシュを差し出した。


「確認しなさい」


「……あ」


 美咲はそこでようやく、受け取っていなかったことに気づいた。


 慌てて両手で受け取り、キャッシュの枚数を確認する。


 奪われた分は、全部戻っていた。


「……あります。全部」


「そう」


 アリスは短く答えた。


 それだけだった。


 責める言葉も、慰める言葉もない。


 その静けさが、かえって美咲の胸を締めつけた。


「あの……アリスさん」


「何かしら」


「すみませんでした」


 美咲は頭を下げた。


「また、迷惑をかけてしまって……私が不用心だったから、こんなことになって……」


「貴女が謝る必要は無いわ」


 アリスの声は、いつも通り静かだった。


 美咲が顔を上げると、アリスはまっすぐこちらを見つめていた。


「貴女は不用心だった。それは事実よ」


「……はい」


 美咲は俯き気味に、次の言葉を待った。


「けれど、騙した側の責任が消えるわけではない」


 美咲は言葉を失った。


 怒られると思っていた。


 自分が悪いのだと、そう言われると思っていた。


 けれど、アリスの言葉は違った。


 厳しいのに、突き放してはいない。


 冷たいのに、どこかでこちらを庇っている。


 そんな、不思議な言葉だった。


「それと」


 アリスは視線を少しだけ横へ向けた。


「今日、見たでしょう」


「……何を、ですか?」


「私に向けられる視線を」


 美咲は息を呑んだ。


 正門前で聞こえた声が、頭の中に蘇る。


 また揉めてる。


 怖い。


 珍しい。


 嫌悪と、呆れと、好奇心。


 そのどれもが、アリスに向けられていた。


「私をよく思わない人間は少なくないわ」


 アリスは、わずかに目を伏せると淡々と続けた。


「今日のような面倒事に巻き込まれることもある。私と関われば、貴女まで同じように見られるかもしれない」


「……」


「それでも関わりたいと思えるほど、私は良い人間ではないわ」


 その声に、感情はほとんどなかった。


 けれど美咲には、それがただの忠告ではないように聞こえた。


 近づくな、と言われている。


 でも、遠ざけたいだけではない。


 アリスはきっと、自分に選ばせようとしている。


 今日見たものを知ったうえで、それでも近づくのか。


 そう問いかけている。


 そんなアリスの言葉が、どうしようもなく寂しく感じてしまった。


 美咲は帽子の端を、ぎゅっと握る。


 手の中のベレー帽が、少しだけ歪んだ。


「私……アリスさんのこと、まだ何も知りません」


 アリスは黙っていた。


「怖いって思う人がいることも、今日みたいなことがまたあるのも……少しだけ、分かりました」


 美咲は顔を上げる。


 碧い瞳が、静かにこちらを見ていた。


 美咲は目を逸らさなかった。


 逸らせなかった。


「でも、それで……『そうですか』って、終わらせたくないんです」


 言葉は、少しずつ震えていた。


 けれど、止めたくなかった。


「アリスさんが、どんな時に笑うのかとか。どんな時に怒るのかとか。何が好きで、何が嫌いなのかとか」


 言っているうちに、自分でも少し恥ずかしくなる。


 でも、もう止まらなかった。


「もっと、知りたいです」


 胸の奥が熱い。


「だから、もう少しだけ、アリスさんのそばにいさせてほしいんです」


 言い切ったあと、ようやく自分が何を言ったのかに気づいた。


 顔が、じわじわと熱くなる。


「あ、えっと……急にこんなこと言われたら、また困っちゃいますよね……あはは……」


 誤魔化すように笑う。


 けれど、視線だけは逸らせなかった。


 言ってしまった言葉を、取り消したくはなかったから。


 アリスは、しばらく何も言わなかった。


 ただ、美咲を見つめていた。


 いつものように、正しい返答を探しているのかもしれない。


 けれど、その沈黙は、いつもより少しだけ長かった。


 やがて、アリスは小さく息を吐いた。


 それは、呆れたようにも、諦めたようにも聞こえた。


「美咲」


「は、はい」


 美咲は反射的に身を縮めた。


「す、すみません。やっぱり変なことを言いましたよね。今のは、その……」


「違うわ」


 アリスは端末を取り出しながら、静かに言った。


「端末を出しなさい」


「……え?」


 美咲は一瞬、意味が分からなかった。


 アリスがこちらに端末を向ける。


「フレンド登録よ」


 無骨な黒い端末が、軽い通知音を鳴らした。


【Alice からフレンド申請が届いています】


 その文字を、美咲はしばらく見つめていた。


「……私と、ですか?」


「他に誰がいるのかしら」


 アリスの声は、いつもと変わらなかった。


 けれど、美咲にはそれが、先ほどまでとは少し違って聞こえた。


 胸の奥に、あたたかいものが灯る。


「……はい」


 震える指で、承認を押す。


【Misaki. と Alice がフレンドになりました】


 ログには、それだけが残った。


 ただの一行。


 けれど、その一行の裏にあった言葉を。


 美咲はきっと、忘れない。


 アリスは端末をしまうと、何事もなかったかのように歩き出そうとした。


 けれど、すぐに足を止める。


「それと」


「はい?」


「今回の件は、まだ終わっていないわ」


 美咲は首を傾げた。


「えっと……キャッシュは戻りましたし、あの二人も……」


「そうではないわ」


 アリスは振り返らずに言った。


「マリアと刹那に、話をしに行く」


 その声は静かだった。


 けれど美咲は、その静けさの中に、ほんの少しだけ怒りが混じっている気がした。


「……え?」


「行くわよ」


 アリスはそれだけ言って、再び歩き出した。


 美咲は慌ててその後を追う。


 胸の奥では、まだフレンド登録の通知が光っているような気がした。


 それが嬉しくて。


 少し怖くて。


 それでも、足取りはさっきよりずっと軽かった。

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