第29話 取り消してください
リヴェラに戻る間、アリスは一度も口を開かなかった。
美咲の前を淡々と歩くだけで、視線すら向けない。
美咲は何度か話しかけようと口を開いたが、言葉は出なかった。
またアリスに迷惑をかけてしまった。
そのうしろめたさが、傷口のように胸の奥に広がっていく。
美咲は俯きながら、アリスの背中を追い続けた。
リヴェラに戻ると、街は普段通りの顔で賑わっている。
門を抜け、数歩進んだ所でアリスが立ち止まり振り返った。
何か言われる──
そう思った美咲は唇を固く結び、視線を落とした。
いやむしろ、何か言われた方がよっぽど気が楽だった。
だが、アリスは何も言わない。
美咲の視界には石畳。
そして、街の喧騒だけが耳に届く。
美咲がゆっくり顔を上げると、アリスの視線は美咲には向いていなかった。
さらに後ろ。美咲の背後。
その時、男の怒声が美咲の鼓膜に突き刺さった。
「──おい! アリス!」
美咲が振り返ると、視線の先には怒りで顔を歪めた男。
その後ろには、女が目に涙をうかべながら腕を押さえていた。
美咲を騙し、去っていった2人。
二人とも、撃たれた腕はもう力なく垂れ下がっていた。
男が荒々しく詰め寄ってきた。
美咲は咄嗟に1歩引き、恐怖で身を縮めた。
その代わりに、アリスが1歩前に出る。
アリスは男の怒りなど気にした様子もなく、静かに口を開いた。
「何かしら?」
「何が『何かしら』だよ! てめぇ、撃ちやがったな!」
男は歯を食いしばり、アリスを睨みつける。
アリスは何かを考えるように視線を下げると、わずかに首を傾げた。
「……なんのことかしら?」
その態度に、男の表情がさらに歪む。
「このクソ女……!」
「見えない距離から腕に2発! おめぇ以外に誰がいんだよ!」
男の叫び声に、周囲のプレイヤーが2人に視線を集め、小声で言葉をとばす。
「なになに? 喧嘩?」
「あの銀髪に男が撃たれたんだとさ」
「こわぁ……」
「アリスじゃん……また揉めてんの?」
呆れと嫌悪の声。
そして視線に、美咲の胸が締め付けられる。
「その程度の事なら、できる人間はそこそこいるでしょ。何を根拠に私だと?」
「そもそも、私が撃ったという証拠でもあるの? それとも他に、私と断言出来る理由があるのかしら?」
アリスが淡々と言葉を並べると、男が視線を逸らし1歩下がった。
「……ッ」
その時、先程まで無言でアリスを睨みつけていた女が、アリスを指さし突然声を上げる。
「こ、こいつ! エリア9.2でPKまがいのことしてるんです!」
その言葉に周りの声が大きくなる。
アリスはまぶたを閉じると、小さく息を吐いた。
「……だから、私がそこに居た証拠はあるのかと聞いてるの」
「じ、実際に私達が撃たれたんだけど!」
「主観の話は聞いていないわ」
アリスは女を冷たい視線で見つめ、ゆっくり腕を伸ばした。
「……ログ、見せてもらいましょうか。そこまで言うのなら、私の名前が記録されているのでしょうね」
女は急いでポーチから携帯端末を取り出すと、画面を操作した。
男が慌ててそれを止めに入る。
そして、女の顔が徐々に青ざめていく。
「どうかしたかしら?」
「勘違いでも、一応見せて欲しいのだけれども。もしかしたら、撃った人間がわかるかもしれないわ」
アリスが腕を伸ばしたまま、静かに2人に詰め寄る。
女は端末の画面を隠すように胸に抱え、1歩引いた。
「私も悪魔じゃない。端末を見せてくれるのなら、勘違いだったことにして、大目に見るわ」
「それとも……見せられない、理由でも?」
女は無言で首を横に振る。
「そう」
アリスは腕を下ろし、振り返ると俯く美咲に歩み寄った。
「お、おい!」
男がアリスを止めようと、慌ててアリスの肩に手を伸ばそうとした時──
アリスの手が勢いよく男の手を弾き返した。
「触らないで」
アリスの声は刃物より鋭く、氷より冷たかった。
その冷えきった声で、周囲の人間も一瞬で静まり返る。
アリスが美咲の目の前まで来ると、手を伸ばした。
「端末、貸してもらえないかしら?」
「……え?」
美咲はわけもわからず端末を手渡した。
アリスは美咲の端末に視線を落とす。
そして、気まずそうに目を伏せる二人へ向き直った。
「貴方達、メイとベンって言うのね」
アリスは二人に歩み寄り、画面を突きつけた。
「私もひとつ聞きたいのだけれども。彼女……美咲をテーザーガンで撃って、キャッシュを持っていった理由は何かしら?」
2人は視線をさまよわせる。
周囲の視線が2人に向く。
「まじ? 初狩り?」
「初狩して逆上とか……」
「アリスが初心者を助けたって事? 珍しっ」
アリスは端末を下ろすと、もう一度二人に手を差し出した。
「奪ったキャッシュ、返しなさい」
女は唇を強く噛み締めると、無言でキャッシュを差し出した。
アリスはその場で枚数を数え、踵を返す。
「……ほんと、気味悪い。ロボットみたいに喋りやがって」
女の言葉に、今まで俯いていた美咲が顔を上げた。
その瞬間、さっき浴びせられた声まで蘇る。
どこかのお人好しのバカ。
このゲームの怖いところも教えずに放置している。
自分が騙されたことは、仕方ないと思えた。
キャッシュを奪われたことも、自分の不注意だと言える。
けれど。
マリアを。
刹那を。
そして、アリスを。
何も知らないまま侮辱されたことだけは、どうしても許せなかった。
アリスは、美咲の元へ歩み寄りキャッシュを差し出す。
「全部あるわ」
美咲は、なおも俯く二人を見つめていた。
「どうしたの」
アリスの言葉にも耳を傾けず、美咲は1歩前に出た。
そして2人の前まで来ると、震えながら息を吐き、口を開いた。
「……取り消してください」
2人は顔をあげる。
「返したんだから、もういいだろ」
男の言葉に、美咲は小さく首を横に振った。
「お金のことじゃありません」
声は震えていた。
けれど、足は下がらなかった。
「騙されたのも、撃たれたのも、私の不注意です。でも……私の友人と、アリスさんを、何も知らないまま侮辱したことだけは、取り消してください」
二人は何も答えなかった。
ただ、気まずそうに視線を逸らす。
その沈黙が、答えだった。
──ッ!
美咲が口を開いたその時、手首に冷たい感触が伝わり、美咲は振り返った。
「行くわよ」
アリスが美咲の手を引き、歩き始める。
それに呼応するように、周囲の人々も散り始めた。
正門前の喧騒は、何事もなかったかのように戻っていく。
その場に残された男女二人だけが、俯いたまま動けずにいた。




