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第28話 勉強代

 返事をしようとしても、喉がうまく動かなかった。


 肺が浅く上下するたび、胴体の奥に残った痺れがじくじくと痛む。


 指先に力が入らない。


 脚も、まだ自分のものじゃないみたいに重かった。


 目の前では、しゃがみ込んだ女性プレイヤーがにこやかに笑っている。


「ねえ、聞いた? こんにちは! だってさ……ほんと、面白い子」


 静かな声だった。


 それが余計に、耳の奥に気味悪く残る。


「純粋すぎるのよ。あんな簡単に信じて、のこのこ出てきちゃうんだもん」


 美咲は声にならない息を漏らした。


 視界の端で、男性が退屈そうに無言で肩をすくめる。


「かわいいもの見せてもらったから、お礼にキャッシュだけで勘弁してあげる」


「私たちに目をつけられて、むしろ運が良かったね。他のプレイヤーなら、そのまま殺されてるよ」


 女はそう言って、美咲の顔を覗き込んだ。


 美咲は何も言えない。


 悔しいのに、痺れた喉からはかすかな音しか漏れなかった。


 その時、男の視線が美咲の装備に止まる。


「……にしても、初心者にしちゃ、いいもん持ってんな」


「銃も、バイタルデバイスも」


 その言葉に、女が目を細めた。


「あー……なるほど」


 納得したように、小さく笑う。


「どっかのお人好しのバカが、中途半端に甘やかしてたんだ」


「このゲームの怖いところも教えずに放っておくとか、ほんと信じられない」


 その瞬間、美咲の喉がわずかに鳴った。


 自分が馬鹿にされるのは、別によかった。


 不用心だったのは、事実だから。


 でも。


 その言い方だけは、聞き流せなかった。


「……ち、ちが……」


 掠れた声。


 喉は開かない。


 体もまだ言うことをきかない。


 それでも、女は美咲の反応を見て、ふっと笑う。


「じゃあ、君も被害者か」


「可哀想に」


 女は美咲のバッグを漁ると、キャッシュの束をそこから抜き取った。


「痺れはすぐ引くから、頑張って帰りなよ」


「今回は、いい勉強になったね」


 女が立ち上がる。


「勉強代、もらってくね」


 男もそれに続き、無言で美咲を一瞥し、歩き始める。


 二人はそのまま、何事もなかったように去っていった。


 静寂だけが残る。


 しばらくの間、美咲は動けなかった。


 痺れが残っているからじゃない。


 もう、立ち上がれる。


 それなのに、体は地面に縫い止められたみたいに重かった。


 悔しかった。


 あんなふうに笑われたことも。


 騙されたことも。


 何も言い返せなかったことも。


 でも一番腹が立つのは、何も言い返せなかった自分だった。


 ほんの少しでも声が出せていたら。


 ほんの少しでも、ちゃんと動けていたら。


 俯いたまま、拳を握る。


 その時、背後から静かな声が落ちてきた。


「こんな所で、何をしてるのかしら」


 美咲の肩が跳ねる。


 ゆっくり顔を向けると、そこにはアリスが立っていた。


 銀髪が風に揺れ、淡い瞳がまっすぐ美咲を見下ろしている。


 美咲は慌てて口元に笑みを作った。


「……こんにちは」


 アリスは挨拶を返さなかった。


「私は、何をしているのかと聞いているの」


 その声は低くも強くもない。


 けれど、美咲の取り繕いを許さない冷たさがあった。


 美咲は視線を泳がせる。


「えっと……ちょっと、気になって入ってみたら……」


「プレイヤーさんに撃たれちゃって。まだ、ここは早かったですね」


 苦笑いを浮かべる。


 うまく笑えている自信はなかった。


 アリスの視線が、ゆっくり美咲の体をなぞる。


 そして、その視線は美咲の瞳を捉えた。


 全て見透かすように。


「貴女を襲ったプレイヤーは、どこへ?」


 美咲は答えない。


 答えたくない、というより、答えたらまた迷惑をかける気がした。


「……」


「答えなさい」


 今度は少しだけ、声が冷える。


 美咲は唇をきゅっと結んでから、ゆっくりと二人が去っていった方向を指さした。


 アリスはそちらを一瞥すると、美咲に視線を戻す。


「そう」


 それだけ言って、アリスは背を向けた。


「私が戻ってくるまで、その家の中にいなさい」


「外には出ないこと。いいわね」


 美咲は小さく頷く。


 アリスはそのまま、迷いのない足取りで道路を進んでいった。


 美咲は言われた通り、近くの家の中へと身を滑り込ませた。


 崩れかけた壁。


 割れた窓。


 乾いた埃の匂い。


 外の様子は見えない。


 聞こえるのは、自分の呼吸だけだった。


 やがて、その呼吸に混じって。


 ズドンッ──


 少し間を置いて、また一発。


 鈍い銃声が、遠くで短く響いた。


 美咲は息を呑む。


 何が起きているのかは見えない。


 でも、その音だけで十分だった。


 しばらくして、外が静かになる。


 風の音だけが戻ってきた頃、家の前で足音が止まった。


 美咲が窓から顔を覗かせる。


 入口に立っていたのは、アリスだった。


 表情は変わらない。


 何があったのかも語らない。


 ただ、美咲を見て、静かに言った。


「帰るわよ」

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