第1話 いつもの私で、初めまして
ベッドの上には、何着もの服が並んでいる。手には、先ほど脱いだばかりのブラウス。
鏡に映る自分と、ベッドの上を交互に見比べる。
「……何を着ていけばいいんだ」
呟いても、答えてくれる人はいない。
仕事に行くときなら、こんなに悩まない。けれど、今日は違う。
あの二人と、現実で会うのだ。
────────
昨晩。
仮拠点で、美咲が装備の手入れを終えた頃だった。
「そういや明日、暇か?」
刹那が、何気ない調子で尋ねてきた。
美咲は顔を向ける。
「明日ですか? はい、特に予定はないですけど」
「急に仕事がオフになってさ。飯でも行かないか?」
「ご飯……ですか?」
「ああ。この前話してた、行きたいって店でさ」
手にしていた布が、膝へ落ちた。
「えっ。明日ですか!?」
「そう言ってるだろ」
刹那は笑い、アリスへ視線を向けた。
「お前もどうだ?」
「急ね」
「無理強いはしないけど」
アリスは手元のティーカップをソーサーに置いた。
「……そうね。構わないわ」
あまりにも簡単に、話が進んでいく。
美咲は二人を見比べ、背筋を伸ばした。
「わ、私も! ぜひ、ご一緒したいです!」
「おう。じゃ、決まりな」
胸の奥が、ふわりと浮いた。
いつも一緒にいる二人と、ゲームの外で会う。同じテーブルを囲んで、本物のご飯を食べるのだ。
何を話そう。
どんなお店なんだろう。
考えているうちに、美咲はふと首を傾げた。
「そういえば、お二人は普段どんな感じなんですか?」
「どんなって?」
「その……見た目、とか」
刹那は、自分の髪を指でつまんだ。
「どうって言われても……ゲーム用の補正はあるとはいえ、今とそんなに変わらんけどな」
刹那がアリスに目を向ける。
「そうね。システム上、極端に変えることはできないものね」
「……え?」
美咲の笑顔が止まった。
二人の視線が、こちらを向く。
「変えられるとしたら、どれぐらい変えられるんですか?」
「キャラメイクのときに、自分でやったろ?」
「そうですけど……あんまり覚えてなくって」
美咲は、膝の上で両手を重ねた。
刹那は少し考え、指を折る。
「顔のパーツだったり、身長を気持ち変えたり、髪の色とか」
「長さも変えられるわ。あとは目の色。基本的には、脳が処理できる範囲に限られるけれど」
アリスが、淡々と補足した。
美咲は、重ねた自分の手を見下ろす。
小さな手。
細い指。
ログインするたびに見てきた、すっかり馴染んだ身体。
「えっと……じゃあ、大人が子供になったりとかは……」
声が、少しずつ小さくなる。
「できなくはないはずよ」
美咲は顔を上げた。
できなくは、ない。
なら――。
「でも、脳の処理が追いつかず、まともに動けないそうね」
続いた言葉に、浮きかけた安堵がしぼんだ。
「私の知り合いが試したときは、気分は悪くなるわ、まともに歩けないわで、散々だったらしいな」
刹那は、呆れたように肩をすくめた。
美咲は、何も言えなかった。
頭の中に、クルツの顔が浮かぶ。
ちびっ子。
何度否定しても、そう呼んできた。
《BCC》の受付で、手を振ってくれた女性。
マリアが向けてくれる、妙に優しい眼差し。
ばらばらだった記憶が、ひとつずつ繋がっていく。
もしかして。
本当に、子供だと思われていたのだろうか。
からかわれているだけだと、思っていたのに。
「明日は忙しくなるから、先に失礼するわ」
椅子の動く音がした。
美咲が顔を上げると、アリスが立ち上がっていた。
「あ、はい……お疲れ様です」
「ええ。また明日」
アリスがティーカップとソーサーを手に部屋を出ていく。
刹那も大きく伸びをして、椅子から腰を上げた。
「詳しい場所は、後でグループの方に送るな」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、お疲れ」
扉が閉まった。
美咲は、その扉を見つめる。
「あっ……」
聞けなかった。
何歳に見えているのかも。
自分は、本当は――という話も。
一人になった部屋で、美咲は両手を頬へ当てた。
そこで、もうひとつの言葉が蘇る。
今と、そんなに変わらない。
「えっ……あの感じの二人が、来るの?」
黒髪の刹那と、銀髪のアリス。
あの整った顔立ちも、現実の二人の面影なのだろうか。
その二人と、自分が一緒に食卓を囲む。
そこまで考えて、美咲は瞬きをした。
銀髪の少女。
家電量販店で見かけた、あの横顔。
初めてアリスに声をかけられた時も、同じことを思った。
けれど、確かめられないまま、今日まで来てしまった。
「……やっぱり、あのときの子?」
今さら確かめようにも、二人はもういない。
自分は、どう見られていたのだろう。
明日、現実の自分を見たら、何と言われるだろう。
考えがまとまる前に、次の疑問が浮かんでくる。
美咲は小さく息を吐き、ログアウトした。
現実に戻っても、頭の中は落ち着かなかった。
その時、机の上のスマートフォンが鳴った。
手に取り、画面を開く。
グループに届いた刹那のメッセージ。
待ち合わせの時刻と一緒に、お店の名前が記されていた。
《Re:na’s》
美咲は地図を開き、自宅からの経路を調べる。
三十分ほどで行けそうだった。
「……何を着ていけば」
────────
そして、今に至る。
鏡の前で、美咲は白いニットを身体へ当てた。
派手すぎず、地味すぎず。
気合を入れすぎたと思われるのも、困る。かといって、適当な格好で行きたいわけではない。
「……これに、しよう」
白のニットに、プリーツスカート。
結局、着慣れた組み合わせに落ち着いた。
着替えを済ませ、栗色の髪を整える。
鏡の中には、いつもの自分がいた。
いつもの、自分。
美咲は一度唇を結び、バッグを手に取った。
財布とスマートフォン。
忘れ物がないか確かめてから、もう一度時計を見る。
待ち合わせまで、あと二時間。
お店までは、三十分。
まだ家にいても、十分に間に合う。
それでも、じっと待ってはいられなかった。
玄関で靴を履き、扉を開ける。
鍵をかけたことを確認し、美咲はマンションを出た。
早いに越したことはない。




