プロローグ 姿なき断罪者
崩れた街並みを、二人の男が走っていた。
後ろを走る男は、建物のあちこちへ忙しく目を向けた。
割れたガラスの奥。
屋上の縁。
路地の隙間。
人影はない。
「くそっ……どこにいんだよ!」
「足止めんな! 撃たれるぞ!」
前を走る男が、振り返らずに怒鳴った。その右腕から、血が滴っている。
「それも捨てろ!」
後ろの男が抱えたバッグを見下ろした。口の開いたそこから、銃床が突き出している。
「せっかく奪ったのに――」
「そんなもん抱えて逃げ切れるか!」
男は舌を鳴らし、バッグを放り出した。重い音が背後で跳ねる。
振り返らずに、仲間の背中を追った。
通路を左へ折れる。先を走る男が開いた扉へ飛び込み、もう一人もその後に続いた。後ろから来た男が扉を閉めた。
二人は窓から見えない壁際へ身を寄せ、その場に座り込んだ。
荒い呼吸が、室内に重なった。
銃声は、聞こえない。
足音もなかった。
とりあえず逃げ切った、はず。
「よ、傭兵クランの奴らか?」
「分からん。あいつらはチームで動くし、違う気がする」
「じゃあ! 誰が何のために――」
「うるせえな……でかい声出すんじゃねえよ」
睨まれた男が、口を閉ざした。
負傷した男は、垂れ下がった右腕へ目を落とした。袖は血を吸い、指先まで赤く染まっている。
左手で傷の上を押さえた。痛みに、奥歯を噛み締める。
「的確に当ててきやがって……姿を見せたら殺してやる」
「これからどうする?」
「やられっぱなしは、性に合わねえ。やり返す」
男は壁へ背をつけ、立ち上がった。窓の前を避け、扉へ向かう。
背後から、声がした。
「で、でもさ」
「んだよ。こっちは二人だぞ。ビビってんのか?」
「いや……断罪者だったら、どうする?」
男の足が止まった。
「……断罪者?」
「知らないのかよ。狙われたら絶対に逃げられないって噂の、赤ネーム狩り」
「はっ。逃げられないって……今、俺らは逃げ切っただろ」
男は扉へ耳を寄せた。外にも、動く気配はない。
「遠距離からコソコソ撃たれて、不意打ちを食らっただけだ」
「……すごい自信」
聞こえた呟きに、男は鼻を鳴らした。扉の取っ手へ、左手を伸ばす。
「陰キャには負けねえよ」
「姿すら、まだ一度も見ていないのに?」
呆れたような声に、指が止まった。そして、ゆっくりと扉から手を離した。
左手が、腰の位置で吊るされたアサルトライフルに伸びる。
振り返った。
壁際に座っていたはずの仲間が、床に横たわっていた。
顎の下に、赤い線。
押さえた指の隙間から、血が溢れている。開いた口からも血がこぼれ、身体がわずかに痙攣していた。
伸ばした手で、アサルトライフルを引き寄せた。
右腕を動かしかけ、激痛に顔を歪めた。銃床を脇へ挟み、銃口を室内へ向ける。
誰もいない。
机の下も。
壁の陰も。
仲間の、すぐそばにも。
「出てこいよ……!」
返事はなかった。
引き金へ添えた指が、震える。手のひらに汗が滲んだ。
仲間の喉が鳴った。
男の銃口が、そちらへ揺れる。
その背後で、扉が開いた。
男は身を捩り、銃口を向けた。引き金を引く。
弾丸が、開いた扉の向こうへ吸い込まれた。壁の欠片が弾ける。
肩へ返る反動に、歯を食いしばった。
喉元に、冷たいものが触れ、男は息を吸った。
吸えなかった。
「ゴホッ――」
咳と共に、口から血がこぼれた。
銃声が途切れる。銃口が下がった。
左手を首へ持っていこうとして、足から力が抜けた。膝が床を叩く。
滴る血が、足元へ広がっていく。
そのまま、自らの血溜まりへ倒れ込んだ。
「お前……いつ……」
掠れた声が、血に混じった。
薄れていく視界の中で、空間が歪んだ。
扉の前。
何もなかったはずの場所に、黒い輪郭が浮かび上がる。
長く垂れたマントの裾が、床のすぐ上で揺れていた。
フードの奥は、見えない。
「……息づかい、うるさかったよ。道路を走ってた時から、ずっとね」
その言葉を最後に、男の意識は途切れた。




