第55話 私にできること
銃声が、ビルの隙間を抜けてきた。
美咲は息を吸い込み、アリスの背中を追った。
耳元では、ハルの声が続いている。
『クルツ君が重傷。今はイオさんとアロマさんで引きつけています。でも、回収はできてません』
「承知しました。こちらは、そのままレイド分隊へ合流します」
アリスは返答を待ち、通信を切り替えた。
「走りながら聞いて。《Zorn》により、クルツが瀕死。《BCC》が撤退できない状況にあるわ。私達が《Zorn》を引き受け、撤退を援護する」
アリスは一度言葉を区切ると、こちらを一瞥した。
「……いいわね」
美咲は、その横顔を見つめた。
前方で、また咆哮が響く。
足を止めずに、頷いた。
「お二人と一緒なら、大丈夫です。私はできることをします」
アリスの視線が、前へ戻る。
「急ぐわよ」
「はい!」
アリスは携帯端末を取り出すと、短く操作した。
「刹那、戦闘時の指定地点を送るわ。合流する前に、頭に叩き込んでおきなさい」
『りょ……って、碁盤のやつかよ。私これ苦手なんだけど』
「文句を言わないで」
『はいはい』
美咲も端末を取り出し、文字と数字で区切られた地図に目を落とした。
ビルの角を曲がると、広場が見えた。
────────
切断された前脚が、路面に落ちた。
《Zorn》の巨体が傾く。
残った脚が地面を掻き、鉄の顎が路面を削った。
刹那は既に、その脇を抜けていた。
赤い刃を引き戻し、振り返る。
途切れた脚の断面で、鉄が軋んだ。
骨組みが押し出されるように伸び始める。
先端が路面を突き、沈んでいた胴を持ち上げた。
元の脚より細い鉄の支柱。
それが地面を蹴った。
《Zorn》が、刹那から離れる。
赤い閃光が、その後を追った。
巨体が頭を巡らせるたび、刃が横から走る。
火花が散った。
止まりかけた四肢が、再び動く。
セラは、立ち尽くしていた。
目の前に落ちた鉄の脚と、遠ざかる赤い光。
その横へ、美咲が滑り込んだ。
「セラさん、大丈夫ですか?」
セラの顔が、美咲に向く。
開いた唇から、声は出なかった。
美咲はその先に倒れているクルツを見た。
駆け出した美咲の横を、アリスが通り過ぎる。
『撤退を進言』
通信に入った声は、冷たく澄んでいた。
『時間がありません』
美咲はクルツのそばに膝をついた。
脇腹を押さえた手の下から、血が流れている。
バッグを下ろし、医療キットを開いた。
『イオ、アロマ、残弾は』
サジの声。
『予備は使い切った。補給が要る』
『私も長くは持たないわね』
『セラ』
『……回復弾が、もうほとんどありません』
『ロック』
『弾薬と、盾の交換が必要だ』
わずかな間。
その間にも、広場の奥で金属音が続いていた。
『……10分だ。補給を済ませ、戻る』
『はい』
アリスの返事に、迷いはなかった。
『ロック、クルツを──』
『必要ありません。こちらで対処します』
美咲はクルツの腕を取り、デバイスへ目を落とした。
総合状態は〈緊急〉。
呼吸は危険域、意識は混濁。
画面を送ると、胴体の表示が濃い赤に染まっていた。
右脚には、骨折の表示がある。
『こちらにも、優秀なサポーターがいます。ご心配なく』
美咲はデバイスから顔を上げた。
すぐそばで、セラが唇を噛み締めている。
「……お願い」
「はい」
美咲は短く答え、クルツへ向き直った。
「戻ってくるからね」
クルツへ投げられたセラの声に、顔を向けずに頷いた。
足音が、離れていく。
美咲はクルツの身体を支え、傷を確認できるように姿勢を整えた。
目の前に広がる赤。
指先に、温かいものが伝う。
脇腹の傷は、押さえた手だけでは覆いきれなかった。
美咲は込み上げる吐き気を飲み込み、キットへ手を伸ばした。
広場の端で、アリスが足を止めた。
ライフルを肩へ引き寄せる。
『それで、これからどうする?』
刹那の声が聞こえる。
『私の合図と共に、指定ポイントへ移動。美咲達に近づけさせないで』
『了解。その後は?』
『無いわ。そこから先は、貴女の速度と私の精度次第。致命傷さえ受けなければ合格よ』
『私向けって事だな』
金属音が、ひときわ強く響いた。
クルツの身体が震える。
呼吸は浅く、唇の間から細い息が漏れていた。
「大丈夫、落ち着いて」
美咲は小さく呟き、鎮痛剤を取り出した。
『A1』
アリスの声。
顔を上げると、刹那が広場を斜めに横切っていた。
《Zorn》がその後を追う。
刹那の足が止まる。
鉄の頭が、上がった。
『美咲から距離を離して』
『……わかってる』
刹那が一歩、後ろへ下がる。
地面が震えた。
金切音が、頭の中を満たした。
美咲の指が強張り、鎮痛剤が滑り落ちる。
視界が滲む。
クルツの手に触れたまま、動けなかった。
視界の奥で、刹那も止まっている。
《Zorn》が地面を蹴った。
近づく角。
刹那の身体が、沈んだ。
次の瞬間、赤い光が巨体の脇を抜ける。
銃声。
鉄の頭が横へ振れた。
美咲の指先が動いた。
「……焦っちゃだめ」
鎮痛剤を拾い上げる。
クルツが弱々しく呻き、苦痛に顔を歪ませた。
「すぐに良くなります。もう少し、頑張ってください」
震える声を投げかけ、鎮痛剤を打ち込んだ。
傷へ止血材を当てる。
指の間へ、血が滲んだ。
手を離しかけ、もう一度、押さえ直した。
「順番通り、できる」
美咲は包帯を手に取った。
『B3』
短い指示に、駆動音が重なる。
美咲はクルツの背へ包帯を通した。
巻いた端を引き、固定する。
傷の縁から滲む血を確かめ、もう一枚、止血材を重ねた。
銃声。
金属の砕ける音。
そのたびに、美咲の肩が揺れた。
けれど、手は離さなかった。
『……ッ』
刹那の押し殺した声が、指を止めた。
『被害報告』
『問題ない。まだやれる』
『欲張らないで、私を信じなさい』
美咲は思わず、視線を前線へ引き上げた。
刹那の肩口に、赤い筋が走っていた。
《Zorn》の前で身体を低くし、刃を構えている。
巨体が向きを変える。
その先には、銃を構えたアリスがいた。
『C4』
刹那が走る。
《Zorn》の頭が刹那を追い、角が震え始めた。
アリスは銃口を動かしていた。
まだ、撃たない。
刹那が距離を離す。
咆哮が響いた。
美咲の腕が止まる。
包帯の端を握りしめたまま、顔を上げていた。
赤い目が、こちらを捉える。
《Zorn》が走り出した。
刹那が、足を踏み直した。
けれども、追わない。
クルツを庇おうとしても、美咲の腕は動かなかった。
銃声が響く。
弾丸が、《Zorn》の頭部を穿った。
巨体の進路が折れる。
アリスへ向かって、鉄の脚が地面を蹴った。
それと同時に、刹那が動いた。
巨体の側面へ追いつき、赤い刃を振るう。
《Zorn》が首を巡らせる。
既に、アリスは射撃位置を離れていた。
美咲は大きく息を吐いた。
動きを取り戻した指で、包帯を留める。
クルツの腕を取り、デバイスを確かめた。
まだ、赤い。
呼吸の表示を見て、脇腹の動きへ目を戻す。
浅い息が、少しずつ長くなっていた。
「クルツさん、聞こえますか?」
返事はなかった。
だが、指が動いた。
美咲の袖を、弱く掴む。
「ここにいます。動かなくて大丈夫です」
美咲はその手に触れ、もう一度、傷を確認した。
地点を告げる声と銃声を聞きながら、美咲は処置を続けた。
薬剤の空容器が、キットの隅に増えていた。
交換した止血材をまとめ、濡れた手を拭う。
右脚の固定具を締め直す頃には、額から流れた汗が目に入っていた。
『E8』
美咲は袖で目元を拭った。
また、銃声。
地面を叩く鉄の音が、先程より遠くで響いている。
クルツの唇が動いた。
「……っ、あ……」
「クルツさん?」
まぶたが、わずかに開く。
視線は定まらない。
それでも、美咲の声に顔が向いた。
「……ち、ちび、っこ……?」
「はい。ちびっ子ですよ。もう少しだけ、そのままでいてください」
美咲は回復剤を取り、顔を覗き込んだ。
「少しずつ、飲めますか?」
小さく頷くのを待って、口元へ運ぶ。
喉が動いた。
一度離し、呼吸を待つ。
もう一度。
飲み込むのを確かめ、容器を下ろした。
クルツの手から、力が抜ける。
美咲は息を止め、デバイスへ目を落とした。
呼吸は、安定。
総合状態の表示が、〈危険〉へ変わっていた。
脇腹へ視線を戻す。
新しく巻いた包帯に、赤は広がっていなかった。
美咲は顔を上げた。
「クルツさん、バイタル安定しました!」
『感謝する』
サジの声が返る。
『動かせるか』
「運ぶことはできると思います。ただ、まだ戦える状態ではありません」
『承知した。こちらで引き取る』
美咲は深く息を吐いた。
キットへ手を戻すと、指先が震えていた。
両手を一度、強く握りしめる。
前線から、また地点を告げる声がした。
アリスが、弾倉を交換していた。
その前を、刹那が駆けていく。
赤い刃が鉄の骨を叩き、巨体の頭がそちらへ向いた。
美咲は回復用のハンドガンへ手を伸ばした。
その時、背後から足音が近づいてきた。
「美咲ちゃん」
振り返ると、セラが膝をついていた。
クルツの顔を覗き込み、その腕へ触れる。
「……おかえり、なさい」
美咲の声に、セラが頷いた。
「ありがとう」
ロックが、二人のそばに屈む。
美咲は固定した脚を示し、身体を支える位置を伝えた。
ロックが、クルツを抱きかかえる。
その横を、イオとアロマが走り抜けた。
『待たせた、こちらも前線復帰だ』
サジの声。
遠くで鳴ったライフルに、アロマの連射が重なる。
美咲はハンドガンを握り直し、前を向いた。




