第50話 届いた一発
美咲はログインを終えると、昨晩のことを思い返した。
イオによる、百分の一秒以内の着弾。
日付が変わり、他のメンバーが次々とログアウトしていく中でも、イオは《Zorn》に銃口を向け続けていた。
美咲は、セラと共にログアウトのぎりぎりまでその姿を見届けていた。
その間、イオが成功させることは一度もなかった。
美咲がシミュレーションルームから出る瞬間、背後からイオの呟く声が聞こえてきたのを覚えている。
『……これは、折れるな』
現在時刻は二十時。
あれから、もう夜になってしまった。
イオは、成功したのだろうか。
美咲がロビーの扉に手をかけたとき、紅茶の香りが漂ってきた。
「私より早いなんて、珍しいな」
扉を開けると、ロビーのテーブル席にアリスが座っていた。
背筋を伸ばし、手元にはティーカップ。
それを口元に近づけた。
美咲が挨拶をしようと口を開きかけたとき、アリスの目だけが、ゆっくりこちらに向いた。
それだけで、心臓がひゅっと縮んだ。
開かれた口から、情けなく息が漏れる。
なにかやらかしただろうか。
美咲は思考を高速で回転させて、アリスがシミュレーションルームから出ていく直前を思い出した。
だが、身に覚えはなかった。
それより前も、邪魔にならない位置でアリスとイオのやり取りをただ見ていただけ。
「なにをぼーっとしているの?」
顔を上げると、アリスの顔がこちらに向いていた。
先ほどの、背筋が凍るような冷たさは感じない。
でも、気になる。
「あのぉ……。私、なにかやらかしました?」
恐る恐る問いかけると、アリスの視線がティーカップに落ちた。
「貴女じゃないわ」
アリスはそう言い切り、ティーカップを傾けた。
「私じゃない……」
自分ではなく、アリスを怒らせる人。
一人しか心当たりがなかった。
その顔を思い浮かべたとき、後ろの扉が開いた。
そこから、思い浮かべた本人が現れた。
「おっすー。……何突っ立ってんだよ」
「いえ。えっと、こんばんは」
刹那は口ごもる美咲を一瞥し、足取り軽やかにソファーに向かった。
その姿をアリスが目で追っている。
刹那はソファーに腰を下ろすと、あくび混じりに身体を伸ばした。
「眠そうね」
「昨日ちょっと夜更かししてな」
アリスはわずかに目を細め、ティーカップを置いた。
「そういえば、イオは安定するようになったそうよ」
「できるようになったんですか!」
美咲は目を輝かせ、アリスの元に歩み寄った。
「ええ。あれから深夜遅くまで挑戦して、朝方にはできるようになったみたいね」
イオはできないと腐らずに、あの後もずっと挑戦していた。
その努力が報われて、美咲は自分のことのように嬉しくなった。
「流石ですね!」
美咲が振り返ると、刹那はこちらに背を向けたままだった。
「刹那さん?」
「驚かないのね」
刹那は片手を振った。
「別に驚くことでもないだろ。あの人なら遅かれ早かれ、できるようになるだろうし」
「それもそうね」
アリスがティーポットから、紅茶を継ぎ足した。
「それと、その間に《Zorn》から追加の情報を得たそうよ」
あんな凄技を習得するだけではなく、さらに追加の情報まで。
美咲が感心していると、刹那が咳き込んだ。
「どうかしたかしら?」
アリスの声が、一瞬冷たくなった。
「いや、なんでもない」
刹那は、一向にこちらへ顔を向けようとしなかった。
アリスの何かを探るような、淡々とした口調。
そして、刹那の反応。
なにか隠している。
美咲にも、それだけは分かった。
美咲は刹那の元に近寄り、横から顔を覗き込んだ。
「何しでかしたんですか……」
小声で囁くと、刹那は顔をしかめた。
「私のせいじゃないっての……」
「刹那、こっちに来てお話をしましょう」
刹那の肩が跳ね上がった。
あからさまな刹那の反応に、美咲は苦笑した。
「理由があるなら、正直に話した方がいいですよ」
刹那は小さく息を吐くと、重々しく立ち上がった。
「最初に言っておくけど、私は巻き込まれただけだから」
そう前置きして、刹那は昨夜のことを話し始めた。
イオに呼び出され、エリア41へ向かったこと。
途中でクルツが合流し、観測班から《Zorn》の位置を教えてもらったこと。
そして、三人で実物と戦ったこと。
「何してるんですか……」
「だから、巻き込まれただけだっての」
刹那が椅子の背もたれに身体を預けた。
美咲も隣へ座り、アリスを見る。
彼女は眉ひとつ動かさず、話を聞いていた。
「それで、その後は?」
「何度か試したら、イオさんが一発合わせたんだよ。百分の一秒以内に。それで距離を測って、すぐに撤退して、シミュレーションルームに向かった。んで、再現できるかのテスト」
「再現……」
「同じ距離にして、さっきと同じように撃ったら、一発目からできたんだ。そこからは、ほぼ全弾百分の一秒以内。たまにズレるけど、一回だけ千分の一秒たたき出してたっけな」
昨夜、何度もライフルを構え直していたイオの姿が浮かぶ。
一度も届かなかった数字に、帰ってからは何度も届いた。
「何がきっかけだったんですか?」
「イオさんいわく、フレーム消費みたいなもんだってさ」
「フレーム消費?」
聞き馴染みのない言葉に、美咲は首を傾げた。
「あー……アリス」
刹那が視線を横へ逃がす。
アリスは小さく息を吐き、ティーカップから手を離した。
「一定の時間がかかる動作を挟んで、次の行動のタイミングを揃えるのよ」
「動作、ですか?」
「イオの場合は、コッキングしてから照準を合わせるまでね。普段から繰り返している動作だから、余計なことを考えなければ、ほぼ同じ速さで行える」
美咲は、自分が銃を構えるときのことを思い浮かべた。
どの位置を握るのか。
どこへ頬を寄せるのか。
初めはひとつずつ確かめていたことも、今は意識せずにできる。
「角の振動を合図に動作を始めて、構え終わったら撃つ。距離も同じなら、弾が届くまでの時間も揃うわ」
「数える代わりに、動作で時間を測ったんですね」
「そういうことよ。あとは、その動作で間に合う距離を保てばいい」
美咲は、刹那へ顔を向けた。
「それだけで、急に上手くいくようになるものなんですか?」
「それがいくようになるんだよ。不思議とな」
刹那は片方の肩を上げ、息を吐いた。
「ってな感じだよ。別に誰も怪我はしてないし。イオさんが上手くいくようになったし、万々歳だろ。てか、なんでお前が知ってるんだよ」
「ハルさんから聞いたのよ。貴女たち三人が、昨夜エリア41に向かって実戦を行ったと」
「クルツか……あいつ……」
「違うわよ」
「は?」
刹那が口を閉じた。
しばらく考え込んだあと、眉を寄せる。
「サジさん?」
「いいえ。イオが直接報告に行ったそうよ。できるようになったと。そのとき、ついでに追加の情報を得たともね」
「何してんだよ……あの人」
刹那が額を押さえた。
美咲は、二人を交互に見た。
「なんでそれで、バレちゃったんですか?」
「シミュレーションに、ハルさんや私が知らない追加の情報なんてないのよ。知ることができるとすれば、本体しかない」
「あ……」
昨夜、イオが向き合っていたのは、ハルが作った《Zorn》だった。
そこから得られるものは、ハルが組み込んだ情報しかない。
美咲が納得する隣で、刹那が椅子に深く沈んだ。
「成果は得られたけど、無断行動は見過ごせないわ」
「だから! それを言うなら、私じゃなくて、イオさんに言えって!」
「貴女なら、イオを止めることもできたはずよ?」
「それは……そうだけど」
「一度イオを落ち着かせ、ハルさんがログインした後でも良かったんじゃないかしら?」
刹那が顔を上げた。
「お前はできるから、そう言えるんだろ」
アリスの手が止まる。
「あの人、何時間も同じことやって、ずっとできなかったんだぞ。明日できなきゃ別の案だって言われてて、どうにかしなきゃって焦ってたんだよ」
「焦っているのなら、なおさら一度休むべきでしょう」
「それで納得できるなら、あんな時間まで残ってねえって。ほかに確かめることがあるかもしれないって、やっと思いついたんだぞ」
「だから、すぐに実物へ向かっていいという話にはならないわ」
「待てって言って帰すだけなら、私じゃなくてもできるだろ」
刹那が、背もたれから身体を起こした。
「無理をしないで、様子を見て帰る。そのために私を呼んだんだよ。だったら、付き合うくらい――」
「二人とも、落ち着いてください」
美咲が口を挟むと、二人の視線がこちらに向いた。
テーブルの下で、膝に置いた手を握る。
危険なことをしてほしくない。
それは、美咲も同じだった。
けれども、昨夜のイオの声も覚えている。
扉を閉める間際に聞こえた、あの呟き。
「イオさんは、安全を第一に考えていたんですよね?」
刹那が頷いた。
「ああ。危なくなる前に引くって、何度も念を押された。私も、逃げられないと思ったら付き合わねえよ」
「それで、実際に確かめたら、すぐ戻ってきたんですよね」
「そうだよ」
美咲はアリスに顔を向けた。
「そのために刹那さんを頼ったんでしたら……無茶をするつもりだったわけじゃないと思います」
アリスの唇が、わずかに引き結ばれた。
「意図だけで、安全になるわけではないわ」
「はい。でも、何も考えずに行ったわけじゃないってことは、分かってあげてもいいんじゃないでしょうか」
隣の刹那は、何も言わなかった。
美咲は一度息を吸い、続けた。
「だから、次からは出発する前に連絡する、というのはどうですか?」
今度は刹那を見る。
「何かあったとき、どこにいるか分からなかったら、助けに行くこともできませんから。黙って行くのは、やめてくださいね」
刹那は美咲を見つめ、やがて視線を落とした。
「……分かったよ」
その返事を聞いても、アリスはしばらく黙っていた。
カップの持ち手に添えていた指が、ゆっくり離れる。
「次は、先に連絡を入れなさい」
「お前が寝てるときでもか?」
「ええ」
「起こしても怒るなよ?」
「その程度で、怒らないわよ」
刹那が小さく鼻を鳴らし、背もたれへ身体を戻した。
美咲も、ようやく肩の力を抜いた。
そのとき、アリスの端末が鳴った。
画面を確かめたアリスが、通話を繋ぐ。
「はい。……ええ。すぐに向かいます」
短いやり取りを終え、端末をしまう。
「ハルさんですか?」
「ええ」
アリスは残っていた紅茶を飲み、立ち上がった。
「すぐに準備をして、《BCC》に向かうわよ」
────────
シミュレーションルームへ入ると、ハルとサジがホログラムの前に立っていた。
ハルが振り向き、三人を迎える。
「皆さん、早かったですね」
「ちょうど三人とも揃っていたので」
アリスが答える横で、美咲はガラス張りの壁に目を向けた。
見慣れた街並みを、黒い巨体が駆けている。
「今、ちょうど始まったところですよ」
ハルの声に重なるように、銃声が響いた。
ロックが盾を斜めに構え、《Zorn》の突進を受け流す。
靴底が地面を擦った。
その脇へクルツが踏み込み、ショットガンを撃つ。
少し離れた場所から、アロマとセラも射撃を重ねていた。
美咲は、端末の画面へ目を移した。
そこには、イオが映し出されていた。
ライフルを抱えたまま、街路を走っている。
《Zorn》がロックを追って遠ざかると、その分だけ前へ出る。
向きを変えて近づけば、今度は後ろへ下がった。
立ち止まって構え、撃つ。
すぐに銃を下ろし、また走る。
遠くから動かずに狙いを定める姿を想像していた美咲は、画面を目で追った。
忙しい。
クルツたちが走るたびに、イオも位置を変えていた。
「ずっと、距離を合わせてるんですね」
「ええ。彼は、あの距離を選んだのよ」
アリスの視線も、端末へ向いていた。
巨体が足を止める。
角が細かく震え始めた。
『くるわよ』
アロマの声が届いたときには、イオの右手は動いていた。
流れるような手つきでボルトを引き、戻す。
身体を低くし、頬を寄せる。
スコープを覗いたイオの銃口が、光った。
――轟音。
銃声が、その音に紛れた。
《Zorn》の胸部に、ひときわ大きな火花が散った。
美咲は息を止めた。
昨日、アリスが見せた一発と同じだった。
巨体が向きを変え、イオへ走り始める。
イオは構えたまま動かない。
その進路の脇で、クルツが顔を上げた。
すぐに踏み込み、近づいてきた巨体へショットガンを撃ち込む。
一発。
続けて、もう一発。
《Zorn》が急停止し、クルツへ向き直った。
美咲の口から、細く息が漏れた。
クルツは横へ抜け、巨体を引きつける。
その間にイオが銃を下ろし、走り出した。
追ってきた分の距離を、再び離していく。
画面の隅へ、ログが重なった。
サジが、無言で端末を操作していた。
音の発生と、胸部への命中。
二つの時刻の差は、百分の一秒より短い。
サジが端末を、アリスへわずかに向けた。
その口元が、小さく緩む。
アリスは数字を見つめ、静かに頷いた。
美咲は近くの椅子に腰を下ろし、画面へ視線を戻した。
画面では、ロックのマシンガンが弾を送り続けていた。
クルツを向いていた巨体が、今度はロックを捉える。
盾が持ち上がる。
突進を受け流したところへ、再び全員の射撃が重なった。
咆哮の前も、銃声は途切れなかった。
全員の動きが鈍る、その瞬間まで。
胸部に大きな火花が散り、《Zorn》がイオへ向かう。
クルツが引き受け、ロックへ繋ぐ。
イオは走り、アロマとセラもそれに合わせて位置を変えた。
それぞれが動いているのに、誰かの進路を塞ぐことはない。
ロックの足取りが重くなれば、セラが回復弾を送る。
クルツが大きく離れれば、アロマが射撃を重ねてその間を埋める。
サジが短く位置を指示すると、五人が動きで応えた。
美咲は、ホログラムから目を離せなくなっていた。
昨日も、綺麗だと思った。
けれども、音が響くたびに待っていた時間が、今はほとんどない。
五人が立て直したときには、もう次の射撃が始まっていた。
外殻の一部が、浮いた。
続く銃撃に押されるように、大きな破片が剥がれ落ちる。
黒い装甲の奥に、赤いコアが露出した。
「あ……!」
美咲は思わず声を上げ、端末へ顔を向けた。
経過時間を確かめる。
まだ、二十分しか経っていない。
昨日は三十分経っても、見ることのできなかったものが、そこにあった。
『見えたぞ』
イオの声が響く。
五人の射撃が、露出した一点へ集まり始めた。
《Zorn》が走る。
ロックが受け流し、クルツがその脇を駆け抜ける。
角が震えれば、イオの右手が動いた。
繰り返す動きは、先ほどまでと変わらない。
けれども、火花が散る場所には、もう外殻がなかった。
美咲は膝の上で手を握った。
もう少し。
あと、少し。
胸部で、硬いものが砕けた。
《Zorn》が一歩踏み出す。
その脚が、折れた。
巨体が前へ傾き、地面へ崩れ落ちる。
重い音が響き、砂埃が巻き上がった。
射撃が止まった。
美咲は、まだ巨体を見つめていた。
次に起き上がったら、またロックへ向かう。
そのときには、イオも距離を変えなければならない。
そう考えたまま、待つ。
けれども、《Zorn》は動かなかった。
角も、脚も。
五人が銃口を下げた。
「……倒した」
美咲の口から、言葉が漏れた。
椅子の背もたれに身体を預けると、隣からサジの低い声が聞こえた。
「フェーズワンは問題ないな」




