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第45話 挨拶から

 待機室の扉が閉まると、賑やかな声が遠くなった。


 刹那は廊下を少し歩いてから、足を止めた。


 美咲も立ち止まる。


 その隣で、セラの足音が止まった。


 振り返った刹那は、何も言わなかった。


 セラに視線を向け、その言葉を待っている。


「……あの」


 小さな声が、静かな廊下に落ちた。


 セラの唇が動く。


 けれども、続く言葉は聞こえなかった。


 胸の前で重ねられた指が、落ち着かない様子で動いている。


 美咲は、隣で待った。


 ここまで、自分で来られたのだから。


 刹那も急かすことなく待っている。


 それなら、少し時間がかかっても大丈夫だと思った。


 セラは一度唇を結び、また開いた。


 刹那が、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、会議のとき、言えなかったことがあったんだわ」


 セラの指が止まった。


 少しの間を置いて、視線が床へ落ちる。


 美咲も、あのときのやり取りを思い返した。


 刹那が謝ろうとしたところで、セラが言い返してしまった。


 結局、刹那は謝罪を口にできなかった。


「顔上げろって。別に怒りゃしねえよ」


「……じゃあ」


 セラが、おずおずと刹那を見上げた。


 刹那は鼻から息を吐くと、わずかに視線を逸らした。


「悪かった。顔合わせる度に、つっかかるようなことして」


 言い終えた刹那は、口を閉じた。


 セラが一瞬目を見開き、それから眉を下げる。


「ううん。刹那さんは悪くない。私が勝手に怒って、当たってただけなの……だから、謝るのは私」


「私の態度も悪かったと思ったから謝ってんだよ」


 刹那はセラへ視線を戻した。


 セラは何かを言いかけ、口を閉じた。


 そして、深々と頭を下げた。


「色々、酷いこと言ってすみませんでした。全部なかったことにして欲しいなんて言いません」


 声は震えていた。


「もし、刹那さんが許してくれるなら。私に、刹那さんを知るためのチャンスをください」


 セラは頭を下げたまま、小さく震えていた。


 美咲は刹那を見た。


 目が合う。


 刹那はどこか困ったように目を伏せ、息を吐いた。


「許すも何も、私は今回お互い様って思ってるし、好きにしろよ」


 美咲は眉をひそめた。


 また、そんな言い方をして。


 半目で刹那を見つめると、その視線に気づいた刹那が、慌てたように顔を背けた。


 美咲はため息をついた。


 けれども、刹那がちゃんと受け止めてくれているのが、分かる。


 だから仕方がないと、思えてしまうのだけれど。


「セラさん」


 美咲は、少し身をかがめた。


 セラが顔を上げ、こちらを向いた。


 その目に、涙はなかった。


「補足すると、恥ずかしいからあんな言い方になってるんです。セラさんの気持ち、ちゃんと届いていると思いますよ」


「おい。勝手に補足すんな」


 美咲は唇を尖らせ、刹那を見た。


 もっと優しく言ってあげられるなら、わざわざ補足する必要もなかったのに。


 セラが、刹那へ顔を向けた。


「好きにしろって言うのは……これからも、話しかけていいってこと?」


「だから、好きにすればいいだろ。一々確認とることじゃない」


「見かけたら、挨拶していい?」


「しつこいな」


 刹那が呆れたように言った。


「またそんな言い方して……」


 美咲は刹那に一歩詰め寄った。


 自分なら、もう分かる。


 けれども、セラは勇気を出して聞いているのだ。


 その返事を、また違う意味で受け取ってしまったらどうするのか。


「前々から気になってましたけど、その言い方なんとかならないんですか!?」


「いつもこんな感じだろ」


「いつもそんな感じだから言ってるんです!」


「はあ? 普段言ってこないのに、なんだよ急に」


「だから! 前々から気になってたって言ってるじゃないですか」


 刹那は片耳を小指で塞ぎ、顔を背けた。


「あーうるさい。小言を言うのはアリスだけにしてくれ」


「アリスさんに、言いつけますからね。刹那さんがまた人に迷惑かけてるって」


 刹那が露骨に嫌そうな顔をした。


 美咲は、じっとその顔を見上げる。


 そのとき、後ろから小さな笑い声が聞こえた。


 美咲が振り向くと、セラが口元を押さえていた。


 目が合うと、セラはこらえきれなくなったように笑い、その場に座り込んだ。


「ほら、笑われてんぞ」


「えっ? 私ですか」


「違う! 違う! 仲良くていいなって思って……」


 セラが慌てて首を横に振る。


「本気で言ってんのか? こっちは小言言われてただけだぞ」


 美咲は、刹那の脇腹を肘で小突いた。


 刹那がこちらを見下ろす。


 セラが、また笑った。


「ちょっとわかったかも」


「今の流れで理解されるの嫌なんだけど」


 セラは口元に手を添えたまま、肩を揺らしている。


 刹那も、困ったように口元を緩めた。


 美咲は、二人を見て微笑んだ。


 時間はかかってしまったけれど、こうして一緒に笑えてよかった。


 後は──。


 今通ってきた、シミュレーションルームに繋がる通路を見た。


「丸く収まったし、戻るか。あんま長く外してると、アリスとイオさんがブチギレる」


「イオさんは、そんなことで怒らないよ」


 刹那の言葉に、セラが顔を上げた。


「そうか? いつまで待たせる気だって言いそうなもんだけど」


「それは、普段からだらしない人にだけ」


「へー。よく知ってるな」


「もちろん」


 セラが得意げに笑った。


「でも、アリスさんに怒られるのは嫌だからね」


 そう言って、立ち上がろうとする。


 刹那が手を伸ばし、セラの腕を掴んだ。


「ほれ」


 そのまま、セラを引き上げた。


 セラは立ち上がった姿勢で、固まっていた。


 刹那の顔を見て、それから掴まれた腕へ視線を落とす。


 刹那は手を離した。


「何ぼーっとしてんだよ。置いていくぞ」


 待機室へ向き直り、片手を上げて、歩き始める。


 美咲はセラの顔を見てから、その背中を追った。


「刹那さん、それ狙ってやってます?」


「何がだよ」


「いや……なんでもないです」


 刹那が首を傾げる。


 美咲が後ろを振り返ると、セラはまだ自分の腕を見ていた。


 その口元が、嬉しそうに緩む。


 顔を上げたセラが、二人を追いかけるように早足で歩き始めた。


 美咲は歩調を緩めた。


 セラが隣に並ぶのを待って、三人でシミュレーションルームへ向かった。


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