第44話 扉の向こうへ
重ねていた手が離れると、セラは背もたれに深く背中を預け、天井を仰いだ。
両腕で目元を覆い、しばらくの間喋らなかった。
セラは頑張ると言った。
だから、美咲は彼女の言葉を待った。
セラが、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
「……よし」
気合を入れるように呟き、体を起こした。
「行けそうですか?」
「うん」
セラが頷き、美咲は微笑み返した。
ことねとなこは、顔を見合わせて口元を緩めた。
美咲たちが立ち上がり、扉に向かおうとしたとき、セラが美咲を呼び止めた。
「美咲ちゃん。その前に一ついいかな」
美咲が足を止めて振り返る。
「はい。なんでしょう?」
セラは美咲を少しの間見つめて、頭を下げた。
「さっきは突き放すようなこと言って、ごめんなさい」
美咲は驚いて目を丸くした。
まさか、自分が謝られるなんて思ってもいなかった。
セラに拒絶されたときは、何もできなかった自分が不甲斐なくて肩を落としてしまった。
でも、今はこうして話ができている。
「気にしてませんので、頭を上げてください」
セラは、美咲の顔色を窺うように頭を上げた。
「でも……なんとかしようって、してくれてたんでしょ?」
「はい。そして、なんとかなったじゃないですか。だから、もう気にしてません」
その言葉を聞いて、セラは困ったように笑った。
「変な子」
───────
四人は会議室を後にすると、その足でシミュレーションルームに向かった。
美咲が刹那たちと別れて、一時間が過ぎていた。
すでに、セラを除いたレイドメンバーが仮想《Zorn》と戦い始めている頃合いだった。
待機室には、刹那とアリス、ハルがいるはず。
それは、セラにとって丁度いい状況かもしれない。
シミュレーションルームに到着すると、セラが扉の電子ロックを解除した。
そして、扉に手をかけ、固まった。
美咲の隣でことねがため息をついた。
セラが動けずにいるうちに、扉の電子ロックが再びかかった。
無理に今日全てを片付ける必要はないと思う。
明日でも、明後日でも、時間はあるから。
「後日にしますか?」
美咲が問いかけると、セラは首を横に振った。
「いや。今日終わらせる」
セラはもう一度ロックを解除して、ゆっくりと扉を開いた。
人が通れる隙間ができると、思い切ったように部屋の中へ駆け込んでいった。
その姿に、なこが後ろでくすりと笑った。
部屋に入った四人が最初に耳にしたのは、床を震わせる衝撃音と、乾いた銃声だった。
部屋を見渡すと、刹那とアリスの姿が見当たらない。
代わりに、《BCC》のメンバーが同じホログラムに視線を向けていた。
美咲は、イオの元に駆け寄った。
顎に指を添えてホログラムを眺めていたイオが、こちらに気づいて顔を向けた。
「戻ってきたか」
ガスマスクのレンズがセラに向いた。
「上手くいったようだな」
「はい。ことねさんと、なこさんのおかげで、何とか」
「そうか。君も、ありがとう」
真っ直ぐなイオの言葉に、美咲は微笑み、頷いた。
「えっと、刹那さんとアリスさんは……」
イオはガラス張りになった壁を指さした。
「あそこに」
指した先には、何度も訪れた街並みが広がっていた。
部屋の中に、あのエリア41がある。
現実ではありえない光景に、美咲は目を丸くした。
先ほどから聞こえていた地響きが、徐々に大きくなっていく。
建物の陰から、刹那が飛び出してきた。
そのすぐ後ろを、巨大な鉄の獣が追いかけていた。
焦げた鉄の色。
歪んだ角。
それは、刹那から聞いた《Zorn》そのものだった。
刹那は開けた場所で足を止め、後ろを振り返る。
《Zorn》は角を下げ、一直線に刹那へ向かっていった。
すれ違う瞬間、刹那のナイフが《Zorn》の装甲を切り裂いた。
《Zorn》は急停止し、前脚を大きく持ち上げた。
美咲が刹那に目を奪われていると、ホログラムから、冷たい澄んだ声が響いてきた。
『刹那、私の合図と共に離脱。音に備えて』
刹那の視線が角に向いた。
『……今』
声の合図と共に、刹那が一瞬で距離を離した。
──轟音。
それに銃声が紛れていた気がした。
《Zorn》の装甲から火花が散る。
刹那は顔を歪め、その場で一瞬よろめいた。
《Zorn》が、刹那とは逆の方向へ走り始めた。
その先にはアリスがいた。
アリスは、スナイパーライフルを構えたまま微動だにしない。
美咲が口を開きかけたとき、刹那が《Zorn》に追いついた。
『お前の相手は、こっちだよ』
刹那の挑発するような声。
《Zorn》が急停止した。
そして、その場で地団駄を踏みながら、角を振り回した。
けれども、角は刹那をかすりもしない。
《Zorn》はひとしきり暴れると、誰もいない場所に向かって走り始めた。
美咲は口を開けたまま、その光景から目が離せなかった。
「……二十分」
ハルが呟いた。
「え?」
美咲は、声のした方へ視線を向ける。
少し離れた場所で、椅子に腰を下ろしていたハルが静かに口を開いた。
「一度も被弾せず、攻撃を当て続けてるんです」
美咲は、視線を戻す。
焦土のようなフィールドを、紅と銀が踊るように駆ける。
美咲の胸が、静かに高鳴った。
『状況終了』
アリスの声と同時に、建造物と《Zorn》が泡のように消え去っていった。
真っ白な空間に、アリスと刹那だけが残る。
二人はぽつぽつと言葉を交わしながら、シミュレーションルームから姿を消した。
それからすぐに、二人は待機室に現れた。
疲れた様子もない二人に、誰もすぐには声をかけられなかった。
美咲が二人に駆け寄った。
「お疲れ様です!」
美咲の声に、二人は足を止める。
「おう。戻ってたのか」
刹那が片手を上げた。
間近で見ても、息は乱れていない。
つい先ほどまで見ていた戦いについて、聞きたいことはいくつもあった。
けれども、その前に。
美咲は、後ろを振り返った。
ホログラムの前では、クルツが身振りを交えて何かを話していた。
ロックが画面を指さし、アロマが言葉を返す。
その少し手前で、セラは立ち止まっていた。
周囲の話にも加わらず、刹那を見つめている。
胸の前で重ねた指が、ぎゅっと握り込まれた。
美咲が刹那へ向き直ると、その視線もセラに向いていた。
刹那は少しの間セラを見てから、美咲に目を戻した。
何を話したのか、聞かれると思った。
けれども、刹那は小さく笑うと、美咲の頭にぽんと手を置いた。
美咲は目を瞬かせた。
その手が離れるまで、何も言えなかった。
「アリスさん。挙動の修正はありますか?」
椅子から立ち上がったハルが、携帯端末を手に歩み寄ってきた。
アリスは頷き、ホログラムに顔を向けた。
「何点かあります。突進後の方向転換と、攻撃対象を切り替える際の動き。それから、角を振り回す動作についても、記録と照らし合わせたいです」
「分かりました。一緒に確認してもらえますか?」
「ええ」
二人がホログラムの前へ向かうと、周囲のメンバーが場所を空けた。
アリスが画面の一角を指し、ハルが端末を操作する。
「えー、まだやるんすか! 早く俺らにもやらせてくださいよ!」
クルツの声に、ハルが顔を上げた。
「一度組み直すから、ちょっとだけ時間ください」
「一時間半待ってるんですけど……」
クルツがぼやくと、その隣から穏やかな声がした。
「それだけ、楽しみが増えていいじゃない」
アロマの言葉に、クルツが肩を落とす。
「待ってるだけじゃ、暇なんすよ」
「何、今回クルツ控えなの? 確かに、刹那さんで事足りるもんねー」
ことねが面白がるように口を挟んだ。
「控えじゃねえよ! それと、姉御たちは別働隊であれとは戦わないっての」
「へーそうなんだ」
「聞いといて興味なさそうにすんな!」
ことねが笑い、周囲からも笑い声が上がった。
美咲も口元を緩めた。
賑やかになった部屋の中で、刹那はホログラムを一度見てから、扉へ向かって歩き始めた。
セラの視線が、その背中を追う。
唇がわずかに開いた。
けれども、周囲の声に混じって、彼女の声が聞こえてくることはなかった。
美咲がセラの側へ戻ったとき、刹那が扉の前で立ち止まった。
振り返り、真っ直ぐにセラを見る。
「私に用事があんだろ?」
セラの肩が強張った。
刹那はそれ以上何も言わず、扉を開けた。
その向こうに、静かな廊下が見える。
「セラさん。行きましょ」
美咲がそっと腕に手を添えると、セラはこちらを見た。
小さく息を吸って、頷く。
美咲が腕を引くと、セラも自分から足を踏み出した。
三人は、賑やかな待機室を後にした。




