第43話 重ねた手
美咲は、空いていた会議室の椅子に腰を下ろし、虚空を見つめていた。
「大丈夫でしょうか……。心配ですぞ」
少し離れた位置の椅子に座っているなこは、度々独り言を呟いていた。
美咲は、携帯端末を取り出すと時刻を確認する。
ことねがセラを無理にでも連れてくると言ってから、十数分がたっていた。
嫌がるセラに、そんなことをしてもいいのだろうか。
ことねを利用したと思われて、余計に距離を取られるんじゃないか。
待っているだけだと、ネガティブなことばかり思い浮かべてしまう。
美咲は、不安を振り払うように首を振った。
大丈夫。
ことねは任せなさいと言っていた。
必ず話の場を整えてくれると約束してくれた。
今は、それを信じて待つしかない。
美咲がなこに顔を向ける。
なこは腕を組み唸っていた。
「あの、なこさん」
「はい! なんでしょう!」
なこが顔を向けてきた。
「ことねさん、大丈夫でしょうか」
自分より、ことねの方がセラを知っている。
彼女にどう接すればいいかも、よくわかってるはず。
けれども、聞かずにはいられなかった。
「セラ氏と、一番仲が良いのはことね氏です。心配には及ばないと思いますが……」
なこはそこで言葉を切り、口をへの字に曲げた。
やっぱり、なにか不安に思うことがあるのだろうか。
美咲がなこの言葉を待っていると、部屋の外から声が聞こえてきた。
「ちょっと、離してよ」
「離したら逃げるでしょー」
ことねがセラを連れて戻ってきた。
美咲となこは顔を見合せた。
なこが困ったように笑った。
「ことね氏は、少し強引なんですぞ……」
なこが落ち着かない理由が少しわかった気がして、美咲も苦笑した。
美咲は表情を引き締め、一度深呼吸をした。
これがラストチャンスかもしれない。
今度こそ、自己紹介から。
扉がゆっくりと開いた。
「お待たせー。この子ってば、自分で歩かないもんだから、引きずってくるのに手間取っちゃった」
最初に入ってきたのはことねだった。
笑顔を浮かべて、部屋の外に片腕をのばしている。
その手は、扉の陰にいる誰かの手首を掴んでいた。
二歩目を踏み出そうとしたとき、ことねの伸ばした腕が引っ張られた。
「ちょちょちょ……」
ことねは、扉の向こうへ顔を向けた。
「もーここまで来たんだから、観念しなさいって」
セラの声は聞こえない。
「観念しろー!」
ことねが、両手でセラの腕を掴んで引っ張る。
けれども、腕より先は一向に見えてこなかった。
「……なこち!」
ことねが叫ぶと、なこが勢いよく立ち上がった。
「はい!」
「セラを後ろから押して!」
なこは慌ただしく扉の影に消えた。
それからすぐに、セラが二人に引きずられて姿を現した。
セラは両足で床を踏ん張り、なおも抵抗していた。
「扉!」
なこが勢いよく扉を閉める。
「鍵!」
「内鍵はありませんぞ!」
「ご苦労!」
なこは右手を額に当てて、ことねに敬礼をした。
そして、元の席に戻った。
慌ただしい二人の登場に、笑ってはいけないと分かりながらも、美咲の表情がわずかに和らいだ。
「あー疲れた……」
ことねが空いている椅子に腰を下ろした。
セラは居心地が悪そうに俯いたまま、その場から動かなくなった。
美咲は、鍵のかかっていない扉を一度見て、立ち上がった。
小さく息を吸って、吐き出す。
セラを見つめ、頭を下げた。
「改めまして、美咲です。今日はセラさんとお喋りがしたくて、ことねさんに、この場を用意してもらいました」
顔を上げると、セラが眉をひそめながらこちらを見ていた。
私は、もう逃げない。
美咲はセラの視線に微笑み返した。
セラは顔を背けた。
「……刹那さんのため?」
「い、いえ!」
セラの声は、つぶやくように小さかった。
セラの方から、問いかけてくれた。
それが嬉しくて、思いのほか大きな声がでてしまった。
「刹那さんは関係ないです。私が、セラさんとお喋りしたいんです」
嘘偽りない本音。
どうか、届いて。
「私は、セラさんがどんな方なのか知りたいです。そして、私のことも知って欲しい」
セラが小さく息を吐いた。
その音が、美咲の胸に響いてくる。
でも、目はそらさなかった。
「ちょっとぐらい話してみたら?」
半目でセラを見つめながら、ことねが言った。
「女子会ですぞ!」
なこも嬉しそうに口元を緩めていた。
「……気分悪くなったらすぐ出てくから」
セラはこちらに歩み寄り、椅子に座った。
机に頬杖を付き、そっぽを向いた。
美咲は何度も頷き、すぐに座った。
「で、なにか話す話題とか決めてるの?」
最初に口を開いたのはことねだった。
美咲が頷く。
「はい。これも何度も言っちゃってるんですけど、ちゃんとお礼が言いたくて」
エリア41で助けてもらったときも、先ほどの倉庫でも言った言葉。
でも今は、状況が違う。
セラが耳を傾けてくれている。
「セラさんたちのおかげで、あの時怪我なく帰ることができました。ありがとうございました」
「……ハルさんに指示されただけで、別にあなたたちのために動いた訳じゃないから」
「もし仮にそうだとしても、助けてもらった事実は変わりませんから。ちゃんと言いたかったんです」
「その時にうちのメンバーが銃口向けて、刹那さんがブチ切れたんだっけ?」
ことねにはそう伝わっていたのかと、美咲は苦笑した。
「ブチ切れたわけじゃないですけど……私も刹那さんも、びっくりしたから理由が知りたかっただけなんです」
「にしては……言い方が強かったけどね」
「あの人、ちょっとムカついただけで、すぐに喧嘩腰になるので、ごめんなさい」
「……あなたに謝って欲しいわけじゃないから」
「じゃあさ。美咲ちゃんからしたら、《BCC》の第一印象って最悪だったの?」
美咲はことねに顔を向けて、視線をあげた。
「どうでしょう。銃口を向けられたときは、ちょっと怖かったですけど……結局は助けてくれましたし、刹那さんの言い方にも問題があったので最悪ってわけじゃなかったですね」
印象が良くはなかったが、それ以上に疑問の方が多かった。
なぜセラの当たりが強いのか。
あのアンドロイドはなんだったのか。
そのときは、その事で頭がいっぱいだった。
「近寄り難い感じですかな?」
なこに言われ、美咲は頷いた。
「それが近いですね。でも、なこさんやイオさんは大会で知ってたので、触れないようにしよう、とまではいきませんでしたね」
「今はどうなの? 結構頻繁に顔出してるでしょ」
以前、シミュレーションルームで、クルツにも似たようなことを聞かれた。
もちろん、その時の答えは今も変わらない。
「皆さんとても良い人ばかりで、お知り合いになれて良かったと思ってます」
美咲は、拠点内ですれ違う人達の顔を思い出した。
「すれ違う人達は、みんな楽しそうで。少し深く覗けば、誰もが誰かのために動いている……今は、そんな印象です」
セラは頬杖を解くと、椅子の背もたれに背中を預けた。
美咲が、この数日間で見てきたもの。
もちろん、今目の前にいるセラもそうだと思いたい。
「って言っても、まだ数日間しか経ってないので……浅いですけど」
美咲は、少し照れたように笑った。
「あってるよ。あなたの言う通り、みんな優しいの」
セラが美咲を見つめながら言った。
「誰か困ってたら手を差し伸べて、泣いてたら庇ってあげる。昔からそう、どんなにメンバーが増えても、そこだけは変わってない」
セラの視線が、一瞬だけことねに向いた。
ことねはそれに気づいたのか、目を伏せて、わずかに口の端をあげた。
美咲には、そんな二人の姿に、刹那とアリスの姿が重なって見えた。
ことねとセラの間にも、強い何かがあるのかもしれない。
自分にはないもの。
それが、少しだけ羨ましく感じてしまった。
「なのに……なこが大会で負けて落ち込んでいたとき、みんな刹那さんの話ばっかり」
セラはそのときのことを思い出したのか、少しだけ顔をしかめた。
「刹那さん。刹那さんって。誰もなこの気持ちを考えようともしてなかった」
「それは……! 私が気にしないと言ったのです」
「なこは自分がどうあれ、そう言うでしょ」
「それは……」
なこが俯いた。
「じゃあ、セラはそんなみんなにムカついてたの?」
ことねの口調は優しかった。
セラは首を横に振った。
「違うよ。そのときは、なこを泣かした刹那さんが嫌だったの。やりすぎだって思ったから」
以前、なこと話したとき、《BCC》の中にもやりすぎだと、刹那を悪く言う人がいたと言っていた。
それが、セラだった。
「刹那さんを否定する私がおかしいみたいに扱われたから、なんで私がそんな言われ方しないといけないのって、納得がいかなかった」
「そんなふうに思ってたなら、言ってくれればよかったじゃん」
「あの時は……! すぐに話題は落ち着いたし、別に会わない人だから、気にするだけ無駄って思ったの」
会わない人だからと忘れようとしたのに、その後セラはエリア41で刹那と出会ってしまった。
「実際に会ったら……すごい口が悪いし、怖いしで、やっぱりそういう人なんだなって思ったの」
あの時の出会いで、セラの中の刹那のイメージは、固まってしまったのかもしれない。
「イオさんに、それとなく言ったら『昔からそうなんだ、悪気はない。許してやってくれ』って言われて……それが余計に腹が立った」
セラは言い捨てると、唇を噛み締めた。
沈黙が落ちる。
「今でも刹那さんが嫌いですか?」
気づけば美咲は口を開いていた。
最初の印象が悪くても、刹那はそれを正そうと、何度かセラに歩み寄っていた。
変わる機会は何度かあった。
そして、エリア41でマスクの集団に襲われたとき、刹那はセラを助けた。
不安そうにしているセラを気遣って、イオに最後まで送り届けろと言った。
あのときのセラは心が揺れていた。
美咲にはそう見えた。
だから、聞きたかった。
その気持ちに変わりがないかと。
セラは一瞬目を開き、顔を歪めた。
「わかんないよ……だって、私の知ってる刹那さんとあの人は違うんだもん」
セラは声を震わせて続けた。
「もっと冷酷な人だと思ってたのに……全然違った。刹那さんは、悪い人じゃなかった。もう、私が何に怒ってたのかわからないの」
セラの目から涙がこぼれ落ちた。
「イオさんは刹那さんと話すとき、楽しそうだし。みんなは、刹那さんと仲良くなってて……気づいたら、私だけ一人に──」
セラは顔をあげると、目を見開いた。
ことねも、なこも、セラを見つめたまま待っていた。
美咲も口を挟まず、セラの次の言葉を待った。
セラは視線を落とすと、小さく息を吐いた。
彼女は刹那への見方が変わっても、どう接すればいいのか分からずにいるのかもしれない。
なら、手を引いてあげたい。
セラが安心できる場所まで、連れて行ってあげたい。
「セラさんは、どうしたいですか?」
セラは俯いた顔を上げた。
美咲を見つめ、ことね、なこへと視線を移していく。
誰も急かさない。
静かに流れる時間の中、次の言葉を待った。
「謝って、できることならもう一度最初からやり直したい。私の偏見の刹那さんじゃなくて、刹那さんと話がしたい」
美咲の口から息が漏れた。
セラの本音を聞くことができた。
それが彼女の願いなら、その一歩を一緒に踏み出したい。
「セラさん。もう一度、刹那さんと今の私たちみたいにやり直しましょう。一人で行くのが怖ければ、私も一緒に行きます」
セラは唇を強く結び、鼻をすすった。
「私は、他の方たちと同じようにセラさんにも笑って欲しいです。その顔を見てみたいです。だから──」
美咲は立ち上がり、セラに手を差し伸べた。
「一緒に行きましょう」
セラは差し出された手を見つめ、涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。
「でも、私、刹那さんにいっぱい当たっちゃった」
「お互い様です。なんなら、あの人はそんなに気にしてないと思います」
セラは俯いてしまった。
まだ、心の準備ができないのかもしれない。
それなら、ゆっくりでもいい。
落ち着いたら、また──
「ほいっ」
ことねの声と共に、美咲の差し出した手の上にセラの手が置かれた。
「え?」
美咲の口から、間の抜けた声が出た。
セラも何が起きたのか分からず、目を瞬かせていた。
「美咲ちゃーん。さっきも言ったでしょ。こういう時は手を差し出すんじゃなくて、手を取ってあげないといけないの」
ことねはそう言うと、笑った。
なこが立ち上がり、こちらに歩み寄ってきた。
そして、重ねられた二人の手に自身の手を重ねる。
「私も怖かったですが、一歩進めました。セラ氏ならきっとできますぞ」
セラは、三人の重ねられた手の上に、逆の手を置いてそっと包んだ。
「ありがとう……頑張ってみるね」
セラが笑った。
それは、美咲がセラと出会ってから初めて見た、笑顔だった。




