第40話 セラ
セラがまだ、《Code:VIR》を始めて一年も経たない頃。
初心者と呼ばれるには慣れすぎていて、初級者と胸を張るには、何もかも足りなかった。
暇つぶしのつもりで始めたはずだった。けれどもこの世界は、片手間で居続けることを許してはくれなかった。
「セラ! 四時の方角から来てる。カバー!」
横から聞き慣れた男の声がした。
セラは咄嗟に体を捻った。銃口を持ち上げ、そちらを探る。
何もいない。
「そっちじゃねぇって、逆だよ! 俺から見てだよ!」
怒鳴り声に、胃が痛くなる。
「ごめん……!」
謝罪を漏らしながら、セラは後ろを振り返った。
────────
帰り道の細かなやり取りは、よく覚えていなかった。
視界を流れていく地面と、男の呆れた声。そればかりだった。
周りを見ろ。
判断が遅い。
考えて動け。
声がするたび、セラは小さく頷いた。
もう一人のメンバーは、少し先を歩いていた。男の言葉にも、セラの謝罪にも、振り返らなかった。
「できないなら、お前向いてないよ」
リヴェラに着き、二人と別れても、その言葉だけは耳に残った。
ゲームを始めてから、しばらくは一人で続けてきた。
けれども、それには限界が来て、固定パーティーに参加した。その二人とは、何度か任務に出ていた。
ただ、誰かと楽しくできたらいいと思っていた。
それなのに、残るのは呆れた声と怒声ばかりだった。
向いていない。
セラは通りの端へ移動し、しゃがみ込んだ。
次の任務までに、物資を補充しなければ。
軽くなったバッグを足元に置き、開いた。
空の弾倉。
使い古され、汚れた包帯。
使えるものは、ほとんど残っていなかった。
今日の報酬を補充に回せば、キャッシュは残らない。
ため息が漏れた。
次も、同じなのだろうか。
痛い思いをして、物資を使い切って、怒られて帰ってくる。
なんとなく始めただけなのに、こんな姿になってまで続ける意味があるのだろうか。
「……向いてないのかな」
誰に向けた言葉でもなかった。
口にすると、鼻の奥がつんとした。
セラは鼻をすすり、開いたバッグへ顔を近づけた。
「大丈夫か……?」
張りつめた耳に、柔らかく届く声。
セラは弱々しく顔を上げた。
目の前には、顔を覆うガスマスクを着けた男性プレイヤーが立っていた。
見たこともない、紺色の軍服。でも、一目で分かる上質な装備。
セラは視線を落とし、弾かれたように立ち上がった。
「い、いえ……何でもないです!」
その拍子に、足元のバッグを蹴ってしまった。
開いたまま横倒しになり、中身が地面に散乱する。
「あぁ……。すみません……! すみません……!」
慌ててしゃがみ込み、口の中で何度も謝罪を転がしながら、中身をかき集めた。
空の弾倉を掴む。けれど、震える手から滑り落ちた。
向いていない。
またその言葉が耳元で囁かれた気がした。
目の端に涙が滲む。
男性は屈み、弾倉を拾い上げた。
セラの手を取り、その手のひらに弾倉をそっと置いた。
「何もしない……落ち着け」
「……ありがとうございます」
小さく言葉を落とし、セラは俯いた。
情けない姿を見られた。もう、顔が上がらなかった。
「……困ったな」
男性は少し黙っていたが、やがて立ち上がった。
早足で去っていく足音が、街の喧騒に紛れる。
セラは弾倉を握りしめたまま、俯いていた。
しばらくして、再び声がかかった。
「良かった……まだ居たか」
男性が屈み、セラの視界へ缶入りの飲み物を差し出した。
セラは視線を上げ、眉を下げたまま首を傾げる。
「君にだ、落ち着くと思ってな」
セラは弾倉をバッグに戻し、両手で缶を受け取った。
缶は温かかった。
男性は立ち上がり、顎に指を添えた。
「何があったかは分からないが、独りで思い悩まない方がいい」
セラは缶を包み込むように持ち、男性を見つめた。
「居住区に《BCC》という名を掲げたクランがある。そこに、ハルと名乗るプレイヤーがいる。彼に相談してみるといい」
何のために、そんなことを教えてくれるのだろう。
「後は、君次第だ」
セラが考える間もなく、男性は踵を返した。
セラはその背中を見つめた。
怪しげな見た目なのに、優しい声。知らない自分に、飲み物まで買ってきてくれた。
手の中の温もりが、胸の奥へ静かに染み込んでくる気がした。
────────
二日後、セラは居住区にある二階建ての建物を訪ねた。
入口には《BCC》の名が掲げられていた。
来る前に、少し調べていた。
レイドを中心に活動し、今、勢いに乗り始めているクランだという。
「私、どうしてこんな場所にいるんだろ」
中へ入ると、ロビーに受付があった。
奥に立つ女性は、手元の端末を見つめていた。
「あの……」
恐る恐る声をかけると、女性が顔を上げた。
表情を和らげ、小さく首を傾げる。
「こんばんは。本日はどのようなご用件でしょうか」
「ハルさんって方を紹介されまして」
「どなたからでしょうか?」
名前は、聞いていなかった。
二日前に出会った男性を思い浮かべる。
「ガスマスクをつけてる人なんですけど」
女性は納得したように口を開いた。
「ああ。イオさんからですね。承っております。どうぞこちらへ」
イオ。
セラはその名前を、頭の中で繰り返した。
受付を済ませ、個室の前へ案内される。
女性は去り際に振り返った。
「いい返事、待ってます」
女性の笑顔の意味が分からず、セラは首を傾げた。
扉をノックすると、「どうぞ」と声がした。
「失礼します」
白い壁に囲まれた部屋の中央に、椅子が二つ置かれていた。
片方に座っていた男性が立ち上がり、頭を下げる。
「サブマスターのハルです。イオさんから伺ってます。どうぞこちらへ」
手のひらで、向かいの椅子を示した。
セラは落ち着かないまま席に着いた。
正面にハルも腰を下ろす。
「さてと、早速ですけど、お名前からお聞きしていいですか?」
「セラです」
ハルは微笑んだ。
「セラさんですね。始めて間もないって感じですけど、どうですか、このゲームは」
相談をしやすいように、質問してくれているのかもしれない。
「えっと……大変だけど、意外と悪くないですね」
ハルは細めた目をわずかに開けた。
「の割には……表情が暗いですね。本当にそう思いますか?」
セラの背筋が伸びた。
「え、いや……」
そんなわけがなかった。
毎日の任務は苦痛だった。
でも、ログインしなければパーティーメンバーに怒られる。
抜ければいいとも考えた。けれど、向いていない自分が、別の人に迷惑をかけるわけにはいかない。
彼らは、そんな自分と組んでくれる。
そして、一人になるのは嫌だった。
「私をNPCだと思って、今の気持ちをぶつけてみてください。無論、口外はしませんので」
ハルは返答を待っていた。
セラは目を落とし、ぽつぽつと現状をこぼした。
一人では限界があったこと。
パーティーでも上手くいかないこと。
何をしても迷惑をかけている気がすること。
ハルは、話が途切れても急かさなかった。
最後まで聞くと、小さく頷いた。
「もう少し視点を変えましょう。セラさんが責任を感じにくくなる、個々ではなくて、もっと大きな集団ならどうですか?」
「え?」
「ここなら、毎回同じ人と任務に出る必要もありません。いろんな人と組んでみて、自分に合うやり方を探すこともできます」
ハルは微笑んだ。
「どうですか? お試しで加入してみては」
「私がここに加入するんですか?」
「はい」
もっと多くの人に、迷惑をかけるのではないだろうか。
あの二人には、なんて説明しよう。
セラは膝の上で手を握った。
でも、もし上手くいくなら。
ここへ来れば、何かが変わるかもしれない。
顔を上げると、ハルは無言で微笑んだ。
「よ、よろしくお願いします」
思った以上に小さな声だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。拠点内を案内しますね」
ハルが立ち上がり、扉へ向かった。
「一つだけ、聞かせてください」
振り返ったハルに、セラは顔を向けた。
「なんでしょう?」
「……私で良いんですか?」
ハルは顎に手を添え、首を傾げた。
「と、言いますと?」
「こんなに簡単に決めて良いのかなって……」
ハルは眉を下げて笑った。
「こんなに簡単に決めたら、怪しいですかね?」
冗談交じりの口調に、セラは慌てて首を横に振った。
「いや! そういう意味じゃ……!」
ハルは片目をつむった。
「私、人を見る目あるんです」
その言葉の真意は、よく分からなかった。
セラは胸を押さえ、ハルの後を追った。
ロビーでは、先ほどまでいなかった数人のプレイヤーが、装備を調整したり、戦果を話したりしていた。
笑い声。
軽口。
何気ないやり取り。
知っている光景のはずなのに、どこか遠かった。
「皆、いい人たちですよ」
「は、はい……」
赤茶色の髪の女性が、こちらを見て軽く会釈した。
セラも慌てて頭を下げる。
それだけだった。
「それから、こちらが倉庫です」
ハルは白い扉の前で立ち止まった。
電子ロックが解除され、扉が開く。
素材や弾薬、装備品が、雑多に積まれていた。
棚に収まったものもあれば、床に仮置きされたままのものもある。
「基本的には、任務帰りに各自置いていく形で……」
説明を聞きながら、セラは一歩中へ踏み出した。
知らないカスタム。
使ったことのない道具。
用途も状態もばらばらだった。
それでも、どれもが誰かの結果だった。
成功した任務。
失敗した戦闘。
生き残った証。
セラの胸が、少しだけざわついた。
「ここは、まあ……そのうち整理する予定です」
ハルは苦笑した。
セラはしばらく倉庫を見渡してから、彼を追いかけた。
────────
クランに加入して数日。
劇的に何かが変わることはなかった。
場所が変わった。
ただ、それだけだった。
何度かメンバーと任務に出た。
助言をもらえば慌てて謝り、手伝ってもらえば申し訳なくなった。
誰も怒鳴らなかった。
大丈夫だと、笑ってくれる人もいた。
優しさだと分かるからこそ、また気を遣わせたようで、居心地が悪かった。
次の誘いに返事をためらううち、一人で過ごす時間が増えた。
今日も、セラは倉庫へ向かった。
ここには、知らないものが沢山ある。
自分のものではないと分かっていても、眺めたり、手に取ったりするだけで満足だった。
棚の前で足を止めた、その時だった。
「ねえ。セラさんだよね」
肩がわずかに跳ねた。
一呼吸置き、笑顔を作って振り返る。
赤茶色の長い髪をいじりながら、女性がこちらを見ていた。
ロビーで会釈をしてくれた人だった。
その後ろには、黒い短髪の男性が、頭の後ろで手を組み、仏頂面で立っていた。
「はい、そうですけど……何か?」
何か、失敗しただろうか。
思い当たることを探すセラに、女性は肩を竦めた。
「そんなに警戒しないでよ。私はことね、後ろのがクルツ。よろしくね」
「よろしくお願いします……」
ことねはセラの肩に手を乗せ、笑いかけた。
「これから、クルツと任務に行く予定なんだけど、一緒に行くよね?」
「え? いや、えっと……」
返事が出る前に、ことねが手を取った。
「おっけー、行くって事ね! パーティーバランスも良いし、そんなに難しい依頼でもないから気楽に行こう!」
ことねは振り返り、歩き始めた。
セラは戸惑ったまま、手を引かれて倉庫を出た。
任務は、何事もなく終わった。
正確には、終わらせてもらったという方が近かった。
セラは援護を控えめにし、二人が被弾すると回復に専念した。
できることだけを選び、淡々と繰り返した。
帰り道、ことねはセラに話しかけ続けていた。
ゲームのこと。
それ以外の、好きなものや嫌いなもの。
些細な雑談だった。
セラにとって、帰り道は反省会をする時間だった。
でも、今は違う。
それが、少しだけセラを混乱させた。
けれども、なるべく笑顔で応えた。
廃施設を抜け、森林に差し掛かったところで、先頭を歩くクルツの足取りが鈍った。
さっきから何度も振り返っていたクルツが、ついに足を止めた。
「どったの?」
ことねも立ち止まった。
クルツが見ているのは、その後ろを俯き気味に歩いていたセラだった。
「あのさ、なんて言うんだ……」
この感じに、覚えがある。
ダメ出し。
呆れ声。
続く言葉を想像して、胃が痛くなった。
「べ、別にそんなに悪くないんじゃねーの?」
「へ?」
想像とは違った言葉に、セラは目を丸くした。
クルツは視線を上げ、頭を掻いた。
「そりゃ、上手い人に比べたらあれだけど、頑張ってるしさ。周りも見えてるじゃん」
ことねが眉をひそめた。
「なに急に?」
「だから! 上手くいかなくて、落ち込んでるならそんな事ないし」
クルツは頭を掻きむしり、言葉を探していた。
セラは、すぐには返事ができなかった。
不器用な言葉。
それでいて、真っ直ぐな言葉。
それがどうしようもなくむず痒くて、向けられたこと自体が、恥ずかしかった。
「ふっ」
思わず口に手を当て、吹き出した。
クルツが眉をひそめる。
「んだよ! 人がせっかく慰めてやってるってのに!」
「ご、ごめんなさい」
笑いを抑えながら謝ると、クルツは不服そうに睨んできた。
「……嬉しくて、ありがとう」
セラは柔らかく笑った。
「うっ……笑うんじゃねーよ!」
クルツの顔が赤くなる。
二人を見ていたことねが、目を伏せて口元を緩めた。
「そうなのよー。うちのクルツちゃんは、口は悪いけど良い子なのよー」
「ことね、お前まで! 茶化すんじゃ」
ことねはハンカチを取り出し、目に当てて泣き真似を始めた。
「心配だから、誘ってやろうぜって。クルツちゃんがそんな事言うなんて、お母さん嬉しくて……」
「ちげーだろ! 誘おうって言ったのはお前だろ!」
「……あれ? そうだっけ?」
ことねは泣き真似をやめ、とぼけた顔で首を傾げた。
真っ赤になって叫ぶクルツと、笑ってあしらうことね。
セラは二人の言い合いを見ながら、笑っていた。
──この場所なら、もう少し頑張れそう。




