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第39話 迷子

 照明が不規則に点滅した。


 椅子に座っていたセラが、美咲に目を向けた。


 冷めきった瞳。


 美咲は息を飲み込んだ。


「……なに」


 薄暗い倉庫の奥に消え入りそうな、小さな声だった。


 まずは、改めて自己紹介。


 それから、彼女を知るために小さな雑談。


 今日一日、何を話そうか考えて、そう決めていた。


 なのに、いざセラを前にすると、頭が真っ白になった。


「えっと……その……」


 美咲は目を伏せた。


 ここで黙ってしまったら、もう何も言えなくなる。


 口を開く。


 何か言おうとするたびに、息だけが漏れた。


「用がないなら出ていってよ」


 セラはそう言うと、顔を背け、再び俯いた。


 用はある。


 ただ、話をしたいだけなのに。


 口の中が乾いて、上手く声が出ない。


 もう、自己紹介じゃなくてもいい。


 最初の一言さえ出れば。


 なんでもいい。


「は……初めてお会いしたとき、助けてくださって、ありがとうございました」


 美咲は、セラから視線を逃すように頭を下げた。


 お礼だけで終わらせたくないのに、その先が出てこない。


 顔を上げると、セラは声が届いていないかのように、無言で机を見つめていた。


「な、なこさんに、共同休憩室のこと聞きました」


 美咲は一度息を吸い込んで、続けた。


「セラさんがデザインしたって、なこさんが楽しそうに話してたんです」


 駄目だ──。


「私も、すごい素敵だなと思いまして」


 止まるな──。


 美咲は顎に指を添えて、首を傾げた。


「あまりに感動しちゃって、どんな風に考えたんだろうとか、モチーフはなんなんだろうって、考えちゃったぐらいですよ」


 小さく笑う。


「良かったら、教えて貰えたらなぁ」


 細めた目を薄く開ける。


 セラは、机を見つめたままだった。


「……なんて」


 何も反応は返ってこなかった。


 美咲はついに、完全に顔を伏せた。


 握りしめた手のひらに、爪が食い込む。


「それで……?」


 美咲が勢いよく顔を上げた。


 セラはこちらを見ていなかった。


「気が済んだなら、出ていって。あなたと話すことはないから」


 どうして──。


 美咲は顔を歪め、唇を噛み締めた。


 目頭が熱くなる。


 何か言わなければと思っても、もう、その先は出てこなかった。


「ごめんなさい……!」


 震える声を抑え、セラに背を向けた。


 背後から、小さなため息が聞こえ、美咲は逃げるように倉庫から出た。


 扉が閉まる音を聞いても、振り返れなかった。


 廊下の照明が眩しい。


 足が思うように前へ出ず、美咲は引きずるように歩いた。


 自分の足音が、やけに大きく、耳障りに聞こえた。


 壁に手をかけ、足を止める。


『ただ、その手を取るかどうかは、彼女が決めること』


 アリスの言葉が蘇った。


 上手くいかないかもしれないと、覚悟はしていた。


 話したくないと言われたら帰ろうと、クルツにも伝えた。


 けれども、実際に拒まれると、胸が張り裂けそうになった。


 美咲は壁からそっと手を離した。


 その手で服の襟を強く握りしめ、床を見つめる。


 頼まれたのに。


 任せてくださいと言ったのに。


 刹那も、アリスも、送り出してくれた。


 胸を張って部屋を出た自分が、随分遠くにいるようだった。


 息を吸おうとしても、胸の奥まで入らない。


 美咲は目を閉じ、小さく息を吐いた。


 何か言えば、何かが変わると思っていた。


 それなのに──。


 エレベーターが到着する音がした。


 美咲は顔を上げた。


 少し離れたところから、二人の話し声が聞こえてきた。


「クルツ殿が放っておけと言ってましたぞ……!」


「私は言われてないもーん」


「そういう意味じゃないですぞ」


 通路の角から、ことねとなこが姿を現した。


 二人と目が合う。


「美咲氏?」


 なこが駆け寄ってきた。


「どうされたのですか?」


 長い前髪の隙間から、心配そうな瞳が向けられた。


 美咲は襟を握っていた手を下ろした。


 これ以上、誰にも迷惑をかけたくない。


 眉尻を下げて笑う。


「迷子になっちゃいまして……。シミュレーションルームってどっちでしたっけ?」


「えっと……」


 なこは言い淀み、後ろから歩いてきたことねに顔を向けた。


「シミュレーションルームは四階だよ」


「ありがとうございます」


 美咲は頭を下げると、エレベーターへ向かって歩き始めた。


「ちょっと待ったー!」


 背後でことねが叫んだ。


 美咲の肩が跳ねる。


「な、なんでしょう?」


 振り返ると、ことねは口元に指を添えて、美咲を見つめていた。


「事件の匂いがする」


 指先を回しながら、歩み寄ってくる。


 美咲が反応に困っていると、なこが小さく息を吐いた。


「そもそも、君がなぜこの階にいるのか。そして、君は今、シミュレーションルームはどっちかと聞いたね」


「え、はい」


「本当に迷子になってるなら、何階か聞くはず……」


 なこが呆れたように言った。


「……ことね氏のせいで、話が迷子ですぞ」


「えぇ……私のせい?」


 ことねは首を傾げた。


 けれど、すぐに指先を止め、美咲を指した。


「つまり! 君は咄嗟に嘘をついたということになる!」


 腕を下ろすと、美咲の前で屈んだ。


「何か目的があってここにいる。そうでしょ?」


 柔らかく笑みを浮かべることねから、美咲は目が離せなかった。


 取り繕う言葉を探したけれど、うまく見つからない。


 ことねの隣に、なこが歩み寄ってきた。


「お困り事があるなら、話してください」


 なこが、美咲の手を取った。


「美咲氏が私にしてくれたように、今度は私がお役に立ちますぞ」


 美咲は小さく深呼吸をした。


 吸った息が、さっきよりも少し深く入った。


「セラさんとお話をしようと伺ったんですけど……話すことはないって言われちゃいまして」


 苦しさを紛らわせるように、なるべく笑顔を保った。


 なこの手を握り返そうとして、指先に力が入らなかった。


「刹那氏のことを話しに行ったのですか?」


 美咲は首を横に振った。


「いえ。本当にただお話がしたかっただけなんです。もちろん、その中で刹那さんの話もできればなって思ってたんですけど、それ以前の問題でした」


 眉を下げて笑う。


「そうですか……話す場すら……」


 なこが俯いた。


 握られた手へ目を落としてから、美咲は口を開いた。


「やっぱり、クルツさんが言うようにそっとしてあげた方がいいんですかね」


 なこは何も言わなかった。


「ダメダメ。てんでダメ」


 美咲となこが、ことねに顔を向けた。


 ことねは立ち上がり、二人を見た。


「クルツも、なこちも、君も、セラのことなーんもわかってない。赤点」


 首を横に振り、続けた。


「頑固モードのあの子が、待ってるだけで口を開くわけないっしょ」


「じゃあ、どうすれば」


 美咲の問いかけに、ことねはさも当然のように言った。


「無理やりにでも、引きずり出すのよ」

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