第36話 ケルヴィナ
ケルヴィナ。
その名が部屋に響くと、室内の空気が淀んだ。
美咲が全員の顔を順に見た。
アリスは普段と変わらないが、刹那とクルツは露骨に口元を歪めていた。
自分以外、その名前を知っているようだった。
「確かな情報なのか?」
イオが聞き返すと、アリスは頷いた。
「《知らぬが仏》から得た情報よ。間違いないわ」
「なるほど」
それだけでイオは納得し、黙った。
「目的はなんだよ。うちがあそこのクランに、なにかしたなんて聞いたことねえぞ」
アリスがクルツを見る。
少しの間を置き、首を横に振った。
「本人から直接聞いたわけではないのだから、そこまでは分からないわ。可能性があるとすれば──」
「ただの嫌がらせだろ」
背もたれに寄りかかった刹那が言った。
「あの性悪女が、目的を持ってなにかするわけないだろ」
「そうとは言いきれないわ。勝手な憶測で判断すれば、痛い目を見るわよ」
「いいや。絶対に面白半分で手を出してきてるだけだよ」
刹那が呆れたように息を吐くと、黙って視線を落としていたハルが顔を上げた。
「ですね。僕もそう思います。彼女の性格からして、きっと娯楽の一環でしょう」
ハルが腕を組んで、続けた。
「それと、気になるのは彼女が何を知っているかですね」
アリスが口元に指を添えた。
「私達以上に《Zorn》を知ってる可能性があると?」
美咲は話に耳を傾けるが、声がどんどん遠くなる。
ついていけない。
ケルヴィナという、女性プレイヤー。
性悪女。
娯楽の一環。
単語を一つ一つ拾い、整理をするが、ケルヴィナの輪郭すら浮かんでこなかった。
「ちびっ子がついてこれてねーっすよ」
クルツの言葉に美咲はハッと顔を上げた。
視線が集まる。
美咲は気まずくなり、視線を落とした。
「……すみません」
美咲が呟くと、ハルが困ったように笑った。
「いやいや、謝らないでください。僕たちが勝手に話し始めたのがいけないんですから」
「私達の整理も兼ねて、美咲が気になったことを聞いてくれないかしら。彼女を知らない、客観的な意見が聞きたいわ」
アリスの言葉に美咲は首を傾げた。
そう言われても、難しい。
そもそも、何を聞けばいいのかすらわからなかった。
「どんなことでも良いですよ」
ハルが穏やかに言うと、クルツが手を挙げた。
「はーい」
「なんでお前が手を挙げるんだよ」
刹那が笑い混じりに言った。
クルツが肩をすくめた。
「だってちびっ子が何も聞かないし」
「今考えてて……」
「ケルヴィナを知らねーのに何を考えるんだよ。直感だよ直感」
直感。
美咲はもう一度少し考え、すぐに口を開いた。
「そもそも、どんな方なんですか?」
刹那とクルツが視線を交えた。
「性悪」
「ヒステリック」
「嫌な奴」
「でも頭はキレる」
二人が交互に言った。
半分以上は悪口で、美咲が苦笑いを浮かべた。
「いやぁ……それだとちょっと……」
アリスが小さく息を吐き、口を開いた。
「ケルヴィナは《Steel Night》というクランのメンバーの一人よ。性別は女性。性格は自分勝手でわがままと言われてるわ」
美咲は頷いた。
刹那とクルツは、不満げに唇を尖らせていた。
「他者の感情を気にもとめず、自分が楽しい、面白いと思った行動をとるタイプね。無論、今回もそうなのかは、もう一度精査する必要があるけれども」
「ちょっと待ってください。それって、友人や仲間にもですか?」
「そうね。悪い意味で、等しく平等よ」
美咲はますます分からなくなった。
《Zorn》に襲われてるときに、足を撃たれた観測班。
刹那が助けなければ、今頃どうなっていたのか考えるまでもなかった。
そして、こちらを狙ってきた三人と、最後に怯えながら撃たれた男。
誰かが傷つき、怯える。
それが、彼女にとっては楽しいことなのだろうか。
胸の奥で、チリチリと何かが燃え上がる。
「そんなことをして、何が楽しいんですか?」
美咲は言葉を漏らしていた。
誰もすぐには答えなかった。
「それがケルヴィナだよ。考えるだけ無駄」
最初に口を開いたのは刹那だった。
怒ってるわけでもなければ、呆れてもいない声。
ただ、事実を告げるだけの言葉だった。
これ以上話すと、止まらなくなる気がして、美咲は俯いた。
「てか、援護射撃もケルヴィナの仕業なのか?」
空気を変えるように刹那が聞いた。
「それはまだ分からないわ」
「分からない? ヨタに聞いたんだろ?」
「ええ。その日、私以外のスナイパーライフル持ちはいなかったと断言したわ」
「そいつが、適当いってるとか?」
クルツの言葉に、アリスはすぐさま首を横に振った。
「ないわ。それも本人が断言してる」
「ケルヴィナさんの取り巻きが、途中で武器を変えたとかは考えられませんか?」
「距離は400と言ったな」
アリスが頷くと、イオが続けた。
「動く対象に、的確に同じ箇所……。その援護者は、かなりの練度がある」
部屋が静まり返った。
一つ分かれば、一つ分からないことが増える。
ここ数日間、美咲の周りはずっとそれの繰り返しだった。
ハルが顔を上げた。
「いつまでも終わらないので、一旦まとめましょう。その内容をサジさんに報告して、今後の判断を仰ぎます。いいですか?」
アリスが頷いた。
「まず、ケルヴィナさんが関わってる。そして、《Steel Night》全体が関わってる可能性も捨てきれない。援護者は未だ不明。いい話としては、ケルヴィナさんの取り巻きは一旦撃退してる」
そこで言葉を切ると、もう一度全員の顔を見渡した。
「他になにか伝えたい内容はありますか?」
誰も言葉を発しなかった。
「では、時間も遅いですし、この辺で終わりましょう。お疲れ様でした」
クルツが立ち上がる。
そして、一言も発しなかったセラの背中を軽く叩いた。
「ほら行くぞ」
「うん」
セラは首の傷に触れ、クルツと共に部屋を出ていった。
美咲はその後ろ姿を目で追った。
ケルヴィナのことは気になる。
けれども、それよりも先に、美咲にはやらなければいけないことがあった。
「帰る前に少しいいですか?」
ハルがこちらに歩み寄る。
三人の前で足を止めると、深く頭を下げた。
「ちょっ……え?」
「なんですか急に」
ハルはそのままの体勢で口を開いた。
「セラさんと刹那さんの仲を何とかしようと、今回の件を提案したのは僕なんです。相手が誰だかも分からないのに、刹那さんとイオさんが居るなら大丈夫だろうと、二人を危険な目に遭わせてしまって、申し訳ありませんでした」
「いや……えっと……頭をあげてください」
美咲はどう応じたらいいのか分からず、刹那を見上げた。
刹那は気まずそうに頭をかいていた。
刹那も同じらしい。
ハルは頭を下げたまま、一向に上げようとしない。
それだけ、今回あったことを重く受け止めているのかもしれない。
「こちらは気にしてませんから……。ね? 刹那さん」
「まあ……危険覚悟で受けたのはこっちだし」
「美咲くんに関しては、私の要望だった。上手く、場を和らげてくれるかもしれないと誘ったんだ。すまなかった」
ハルがまだ頭を上げていないのに、横でイオまで頭を下げた。
「アリスさぁん……」
アリスに助けを求めると、アリスが小さく息を吐いた。
「お二人の謝罪は受け取りました。今後改めてくだされば、こちらは気にはしません。それと、彼女達が困っています」
二人がやっとのこと顔を持ち上げた。
美咲と刹那は何度も頷く。
「なんか……情けないですね。僕たち」
ハルが小さく笑った。
「そうだな」
びっくりした。
美咲は胸を押さえて、肩を少し下ろした。
アリスの視線が美咲に向いた。
「けれども、彼女に関しては、いい加減解決すべきね」
美咲はアリスの視線を正面から受け止めた。
そして、イオとハルに向き直った。
「あの、私に任せては貰えませんか」




