第34話 置いていく側、残される側
向かった先の建物は、半分ほど崩れていた。
上の階の床が斜めに傾き、折れた柱の間に挟まっている。
窓のあった場所から、細かな破片が落ちてきた。
セラが足を速める。
建物の前で足を止め、顔を上げた。
「イオさん!」
返事はなかった。
美咲は建物の奥を見た。
崩れた壁と床が重なり、通路を塞いでいる。
「イオさん! 聞こえますか!」
セラの声が、ひび割れた壁に響いた。
そのあとに、微かな音がした。
美咲は息を止め、耳をすました。
「……セラくんか」
籠った声だった。
セラが中に入り、瓦礫へ駆け寄る。
「イオさん!」
「三人とも、無事か?」
「はい! 今、そっちへ……」
セラがコンクリートの塊へ手をかけた。
刹那が、その腕を止める。
「待て。上まで崩れる」
セラは顔を上げた。
刹那も瓦礫の上を見て、それから通路脇の壁へ目を向けた。
「イオさん、怪我は?」
「大したことはない。ただ、出口が塞がってな。こちらからは動かせない」
隣でセラが胸を撫で下ろした。
美咲は積み重なった瓦礫を見上げた。
小さな隙間はある。
けれど、人が通れるほどのものはなかった。
「横の壁を切ります。そっち、空いてますか?」
刹那が壁を軽く叩いた。
少し間を置いて、向こうから音が返ってくる。
「ここだな。空いている」
「少し離れててください」
刹那はナイフを一本抜き取り、柄のボタンを深く押し込む。
刃が強く赤く発光した。
壁に差し込む。
刃は抵抗なく沈んだ。
横へ引き、そのまま下へ。
赤い光が、壁に四角い線を刻んでいく。
最後の辺を切り終え、刹那がナイフを抜いた。
「押しますよ」
壁へ手を当てる。
切り離された一枚が、奥へ傾いた。
鈍い音とともに倒れ、粉塵が舞う。
美咲は袖で口元を覆った。
向こうに、ガスマスクが見えた。
「助かったよ」
イオが身を屈め、開いた穴を通り抜ける。
服も髪も、灰色の粉に覆われていた。
「イオさん……」
セラがそばへ寄った。
その顔を見上げ、服の袖を掴む。
イオはセラの喉元へ目を落とした。
「……何があった?」
「ここを離れてから話します」
刹那が建物の奥へ目を向けた。
上から、小さな破片が落ちる。
イオが頷いた。
四人で通路を戻り、建物の外へ出た。
美咲は、まだ袖を掴んだままのセラを見た。
それからイオへ顔を向ける。
「さっき、撃ってくださったのは……イオさんですよね?」
イオが足を止めた。
「何の話だ?」
「私たちが襲われていたとき、外にいた一人を、誰かが狙撃してくれたんです」
イオは崩れた建物を振り返った。
「私は、ずっとあの中にいたよ。狙撃はしていない」
セラの手が、袖から離れた。
刹那が周囲を見渡す。
「……じゃあ、誰だよ」
美咲も建物の屋上へ目を向けた。
人影は見えなかった。
────────
男は、柱に縛られたままだった。
入口のそばに倒れた二人を見て、イオが足を止める。
美咲と刹那は、起きたことを順に話した。
セラは少し離れたところに立ち、床へ目を落としていた。
話を聞き終えたイオが、男の前で屈んだ。
「所属と名前を聞こう。それから、目的だ」
男は答えなかった。
俯き、肩を強張らせている。
「端末の情報を確認すれば、身元は分かる。自分から話した方がいい」
男は、ますます顔を伏せた。
イオが刹那へ顔を向ける。
「この二人は?」
「所属はなし。赤ネームです。あと、外のも」
イオは男へ視線を戻した。
「囮を使い、建物を爆破して私を分断した。その間に、こちらの三人を襲う。……計画的な犯行だな」
男の肩が動いた。
「誰が指示している?」
顔が上がった。
男の唇が震える。
顔から、血の気が引いていった。
「あの人の……役に立たなきゃ……」
イオが男を見た。
「あの人?」
「見捨てられる……」
「誰のことだ?」
「見捨てられる……見捨てられる……」
同じ言葉を、何度も繰り返す。
美咲は男の顔を見た。
その目はイオへ向いているのに、焦点が合っていなかった。
刹那が、イオの隣へ屈んだ。
「おい、落ち着け。誰に言ってんだよ」
男の視線が、わずかに動いた。
目を見開き、さらに身体を震わせ始めた。
「ど、どうして……俺は──」
銃声が響くと同時に、男の頭が跳ねた。
柱へ打ちつけられ、ゆっくり前へ垂れる。
「伏せろ!」
イオが立ち上がった。
美咲は身を縮めた。
イオが、向かいの建物の二階へ銃口を向けた。
美咲も、同じ場所を見た。
開いた窓の奥に、人影があった。
姿を確かめる間もなく、人影は暗がりへ消えた。
刹那が入口を飛び出した。
「刹那くん!」
イオが呼んだときには、その姿は通りの向こうへ消えていた。
美咲は男へ目を戻した。
頭から血が流れている。
腕に触れ、バイタルデバイスを確認した。
もう、間に合わなかった。
美咲は男の腕から、そっと手を離した。
イオは窓から離れず、向かいの建物を見ていた。
しばらくして、靴音が戻ってきた。
「……逃がしました」
刹那が入口に立った。
通りを振り返り、小さく舌を鳴らす。
「いったい……何が目的なんだよ」
イオは男を見た。
それから、三人へ顔を向ける。
「これ以上は危険だ。刹那くん、二人をリヴェラまで届けてくれ」
「イオさんは?」
美咲が尋ねた。
「通信妨害の装置を破壊してから戻る」
「そんな! 一人でなんて……!」
セラが顔を上げた。
「本来、私は一人の方が動きやすい。それに、三人は消耗しているだろう」
美咲の腹部に、ガスマスクのレンズが向いた。
セラの喉元を見て、それから刹那を見る。
「付き合わせてしまって、すまなかった」
美咲はイオを見上げた。
調査に付き合わせたことを、謝っているのだろうか。
自分たちも、引き受けてここへ来た。
けれど、イオの顔は俯いたままだった。
「……イオさん、勝手すぎません?」
刹那が言った。
イオが顔を上げる。
「一人で最後までやるのはいいですけど、連れてきた責任は最後まで持ってくださいよ」
「刹那さん……」
美咲が声をかけると、刹那はセラへ目を向けた。
「こいつ、めちゃくちゃ心配してたんですよ。また一人にするんですか?」
セラが、刹那を見た。
口を開きかけて、閉じる。
刹那は頭を掻いた。
「まあ、私も人のこと言えないですけど……だから、放っとけないんですよ」
イオは何も言わなかった。
美咲は一度、入口の向こうを見た。
まだ、誰かがいるかもしれない。
誰が助けてくれたのかも、誰が男を撃ったのかも、分からない。
ここで、また別れるのは嫌だった。
「あの、一度皆さんで戻って、やり直しじゃ駄目なんですか?」
イオが美咲を見た。
少し間を置いて、息を吐く。
「いや……駄目じゃない。そうだな、そうしよう」
セラの肩が、わずかに下がった。
イオは入口へ歩き、通りを確かめた。
「戻ろう」
美咲は頷き、バッグを背負い直した。
刹那がそばへ来る。
その向こうで、セラがイオの背中を追っていた。
美咲も入口へ向かった。
四人分の足音が、通りに重なった。




