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第32話 居ない狙撃手

 アリスがティーカップをソーサーに置くと、刹那がソファーから立ち上がった。


「美咲、いつまでかかってるんだよ」


「すぐ行きまーす……!」


 美咲の声が、補給室から聞こえてくる。


 しばらくして、慌ただしい足音が近づいてきた。


 ティーカップに残った紅茶の水面が、わずかに揺れる。


 補給室から出てきた美咲は、バックパックを背負い直すと、小さく頭を下げた。


「お待たせしました」


「デートに行くんじゃないんだからさ」


 呆れ気味の刹那に、美咲が唇を尖らせる。


「備えあれば憂いなしですよ」


「言いたいだけだろ」


「そんなことないですよ」


 言い返す美咲をあしらうように、刹那が片手を振って歩き始めた。


 これからエリア41へ向かうとは思えない二人を、アリスは横目で見ていた。


 扉の前で、美咲が振り返る。


「じゃ、行ってきますね」


「気をつけて」


「はい!」


 美咲は返事をすると、刹那のあとを追っていった。


 扉が閉まり、静けさが戻る。


 アリスはホログラムウィンドウを開いた。


 表示したのは、何度も目を通したログだった。


 未だに、妨害者と援護者のつながりは見えない。


 こちらの通信を妨害した者が、刹那を助ける理由。


 それとも、別の誰かがあの場にいたのか。


 答えが出ないまま、数日が過ぎていた。


「ログからでは、これが限界ね」


 アリスはウィンドウを閉じた。


 ティーカップに残った紅茶を飲み干し、立ち上がる。


 壁に掛かった外套を手に取ると、仮拠点を後にした。


────────


 リヴェラ東部、クラン居住区。


 見慣れた通りを進むと、ツタの絡まった建物が見えてきた。


 ひびの走ったコンクリートの壁に、曇った窓ガラス。


 廃屋のような外観も、扉の上に掲げられた《知らぬが仏》の看板も、以前と変わらない。


 アリスは迷わず、木の扉を押した。


 耳障りな軋みとともに、古い紙の匂いが流れてくる。


 中は相変わらず薄暗かった。


 壁際では、だらしのない格好をしたヨタが、本棚を漁っていた。


「これじゃないし。これか? ちげーわ……。くっそ、イラつくわぁ。あの馬鹿、どこにしまったんだよ」


 本を一冊ずつ、出してはしまう。


 よほど集中しているのか、苛立っているのか。


 こちらに気づく様子はなかった。


「こんばんは」


 アリスが声をかけると、ヨタは大きく舌を鳴らした。


 こちらを見ないまま、一冊の本を棚から抜き取る。


「これ、捨てろって言ったろうが」


「依頼よ」


 もう一度声をかけると、ヨタの手が止まった。


「あのなぁ……。忙しいんだよ。見てわかんねぇのか」


 低い声が返ってくる。


「私も急いでいるの。この時間が無駄だとは思わないかしら」


 本が乱暴に棚へ押し込まれた。


「お前が──」


 振り返ったヨタが、口を開いたまま動きを止める。


 アリスの姿を認めると、眉間に刻まれた皺が、ゆっくりと解けた。


「お嬢!」


 床に散らばった紙を踏みながら、こちらへ歩み寄ってくる。


 アリスの前に来る頃には、ヨタは腰を低くし、胸の前で両手を揉み合わせていた。


「お嬢が来るなんて珍しいですね。今日はどのようなご要件で?」


「その前に、『お嬢』呼びはやめるように何度も言っているはずよ」


「そんなこと言われてもなぁ……。慣れ親しんだ呼び方だし、そうそう直りませんで?」


 ヨタは、だらしなく笑った。


「てかお嬢。何度も言って直らんなら、直らない、直す気がないってことなんで、諦めた方が合理的ではないです?」


「……それは、貴方が言うことではないわ」


「でもそうでしょ?」


 アリスは小さく息を吐くと、額に指を添えた。


「そうね。もう貴方には、期待しないことにするわ」


「そこまで飛躍します?」


 ヨタは笑顔を崩さないまま、眉根を下げて首を傾げた。


「できるのにやらない。貴方が望んだ結果でしょう?」


 アリスが言い切ると、ヨタの笑顔が固まった。


「わかりました! わかりました! すぐは無理ですけど、なるべく善処しますって!」


「わかったならいいわ」


「すんませんねえ。お嬢には敵わんですよ」


 結局、呼び方は変わらないまま、ヨタが奥へ歩いていく。


 アリスは床に散らばった紙を避けながら、そのあとを追った。


「空いているところに座ってください」


 別室へ通すと、ヨタは再び廊下へ出ていった。


 アリスは辺りを見渡した。


 この部屋もロビーと同じく薄暗い。


 そして、至る所に本と紙が積まれている。


 空いているところなど、ひとつもなかった。


 中央のテーブルへ歩み寄り、椅子の上にまで積まれた書類に視線を落とす。


「椅子の上の資料を移動させるわよ」


 廊下へ向けて断りを入れ、それらを机の上へ移した。


 空いた椅子に腰を下ろす。


 息を吸うと、古い紙の匂いが鼻腔を通った。


 そのとき、視線を感じた。


 もう一度周囲を見回すと、視界の端で黒い影が動く。


 部屋の隅に、深紫の髪を腰まで伸ばした女性が座っていた。


 こちらから身を隠すように、開いた本で顔を覆っている。


「クロニカ、居たのね」


 声をかけると、クロニカは本の上から目を覗かせた。


 薄く開いた目が、アリスを見つめる。


「朔夜は元気かしら」


 クロニカが、小さく一度頷いた。


「貴女はヨタにこき使われていない?」


 少し間を置いて、首を横に振る。


「そう。それは良かったわ。貴女も元気そうで何より」


 今度はすぐに、三度頷いた。


 アリスが視線を前へ戻そうとしたとき、「あ……」と、か細い声が部屋に落ちた。


「お待たせしました」


 ヨタが扉を足で開け、部屋へ入ってきた。


 それと同時に、クロニカは再び本に顔を隠した。


 ヨタは気にする様子もなく歩み寄ると、アリスの前に湯呑みを置いた。


 向かいの椅子と机の上に積まれた書類を乱雑に床へ落とし、腰を下ろす。


「さてと。早速、仕事の話といきましょうか」


「単刀直入に聞くわ。三日前、エリア41を出入りしたプレイヤーを一通り探ってほしい」


 ヨタは驚いたように笑った。


「エリア41? また辺境の地の情報を知りたがりますねー。一応、理由を聞いても?」


「理由を話す前に、貴方がどこまで知っているか、私が把握する必要があるわ」


 ヨタの細められた目が、わずかに開く。


「お嬢は、今急いでるんでしょ? 腹の探り合いはやめましょうよ。タイムイズマネーですよ」


 アリスはヨタを見つめた。


 タイムイズマネー。


 こうしている間にも、美咲と刹那はエリア41の調査を進めている。


 あの場所にいる脅威は、Zornだけとは限らない。


「《BCC》が関わっている件は知っているわね」


「実物は見てないけど、ある程度は」


「それに、私達も関わっているのよ。その際、プレイヤーの仕業と思わしき通信妨害を受けた」


「それが誰の仕業か、特定するために知りたいと」


「ええ。プレイヤー名、所属、そして所持している武器も一緒に。できるかしら」


 最後まで聞くと、ヨタは静かに立ち上がった。


「無論ですよ」


「調べ上げるのに、どれほど時間がかかるのかしら?」


「さっきも言ったけど、エリア41は辺境の地。《BCC》を除けば、出入りするプレイヤーなんて月でも数人。すぐですよ」


 ヨタが部屋を出ていく。


 扉が閉まると、紙をめくる小さな音だけが残った。


 アリスは湯呑みを手に取った。


 机の上には、先ほど椅子から移した書類が積まれている。


 その一番上にある文字が、ふと目に留まった。


【注意喚起:未登録研究所内の捕食個体について】


 見覚えのある題名だった。


 湯呑みを置き、書類を手に取る。


 そこに記されていたのは、ゲーム内掲示板への投稿をもとにした、調査の記録だった。


 投稿に記載された座標にて、研究所を確認。

 朔夜、ヨタ、クロニカの三名で調査。

 施設内にエネミーの姿はなし。

 数日間、現地へ出向いたが変化なし。


 外部から研究所内へエネミーを誘導し、内部で破壊。

 その後、出現した捕食個体を観察。

 通常の捕食個体との差異は確認できず。


 投稿の真偽は不明。

 注目を集めることを目的とした投稿の可能性あり。


 今後の調査は朔夜に一任。


 以上。


 アリスは、題名へ視線を戻した。


 自分が投稿した、注意喚起だった。


 どこまで書くべきか、送信する直前まで考えていた。


 情報を出しすぎれば、興味本位で向かう者が出る。


 伏せすぎれば、誰にも信じられない。


 実際に足を運び、確かめた者はいた。


 それでも、あの場所で自分達が見たものは、確認されていない。


 真偽は不明。


 その一文に目を落としていると、扉が開いた。


「終わりましたで」


 ヨタの声に、アリスは顔を上げた。


 手にしていた資料を、机の上へ戻す。


「端的に述べると、《Steel Night》が関わってますよ」


 アリスの眉間に、小さく皺が寄った。


「お嬢、面倒事に顔突っ込んでますね」


「そのようね」


 ヨタは一枚の紙をアリスの前に置き、正面に座った。


「お嬢のクランと《BCC》の他に出入りしていたのは、《Steel Night》のケルヴィナですね。あと四名いましたけど、こっちはケルヴィナの取り巻き。いつもの赤ネームたちです」


 紙には、五人のプレイヤー名が記載されていた。


「武器種は?」


「ケルヴィナはサブマシンガン。取り巻きは、アサルトが三人、ショットガンが一人ですね」


 その中に、アリスが知りたい武器を持つ者はいなかった。


「スナイパーライフルを使っていたプレイヤーはいなかったのかしら?」


「お嬢以外はいませんでしたよ。お嬢たちと《BCC》を除けば、その日に確認できたのは、この五人だけです」


「確かなのね?」


 ヨタの動きが止まった。


 紙に向けていた視線が、ゆっくりとアリスへ移る。


「お嬢……俺を疑うのか?」


「貴方のことだから、真偽を混ぜる可能性もあるでしょう」


「お嬢にはしませんよ」


 ヨタは目を逸らさなかった。


 アリスも、視線を返したまま動かない。


 部屋の隅で、何かがぶつかる鈍い音がした。


 二人がそちらを見ると、クロニカが片手で頭をさすっていた。


「何やってんだよ、お前」


 ヨタが呆れたように息を吐く。


 クロニカは俯きがちに、二人を見た。


 アリスは、その手元へ目を落とした。


 本を握る指先に、力が込められている。


 視線をヨタへ戻し、口を開いた。


「話を戻しましょう。依頼する立場なのに、余計なことを言ってしまったわ。ごめんなさい」


「ん? いやいや。普段の行いが悪い俺にも責任ありますよ。お嬢が疑うのも無理ない」


 ヨタは頭を掻くと、紙へ目を落とした。


「なんでまた、そこまで武器種にこだわるんです?」


「その日、刹那が私以外からスナイパーライフルでの援護射撃を受けているの。ケルヴィナとその取り巻きがするかしら?」


「普通に考えたら、しないですね」


「ケルヴィナの陽動……」


「あるいは、俺でもわからん第三者ですね」


 アリスは、並んだ名前を見つめた。


 通信妨害と、援護射撃。


 同じ者の仕業なら、助けることで何を狙ったのか。


 別の者なら、どこから現れ、何のために刹那へ手を貸したのか。


「これ以上の調査は?」


「できることにはできるけど……」


 ヨタがクロニカを横目で見た。


 クロニカは身を縮め、まだ片手で頭を押さえていた。


「俺とクロニカが現地に行く必要があるんで。そのうえ、朔夜にも同行してもらわないと……これ以上は勘弁してほしいですね」


「朔夜ではなく、私が同行するのでは駄目かしら?」


 ヨタは首を横に振った。


「すみません。お嬢じゃダメなんですよ」


 アリスは、ヨタの顔を見た。


 その口元には、先ほどまでの笑みがなかった。


「そう。わかったわ」


 紙を手に取り、椅子から立ち上がる。


「助かったわ。ありがとう。請求は、私個人に送ってもらえるかしら」


「この程度ならいらんですよ」


「そういう訳にはいかないわ」


「じゃ、後で送りますね」


 アリスは頷き、部屋の隅へ顔を向けた。


「クロニカ。また会いましょう」


 クロニカは顔を上げると、何度も頷いた。


 アリスは椅子を戻し、扉へ向かった。


「無理せんといてくださいね」


 背後から、ヨタの声が聞こえた。


 アリスは何も返さず、部屋を出た。


 薄暗いロビーを抜け、木の扉を押す。


 外へ出てから、手元の紙にもう一度視線を落とした。


 ケルヴィナと、その取り巻き。


 名前を知ることはできた。


 けれども、あの援護射撃につながるものは、何ひとつ見つからなかった。


 《知らぬが仏》ですら把握しきれない誰かが、あの場所にいたのかもしれない。


 美咲と刹那は、今もそこにいる。


 出がけの二人のやり取りが、頭をよぎった。


 アリスは紙を折り畳み、外套の内側へしまった。


 仮拠点を出たときよりも、足は速くなっていた。

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