第30話 約束
イオはセラが去った廊下へ目を向け、刹那の横を通り過ぎた。
「すまなかった」
それだけを言って、セラの後を追う。
刹那はその背中を見送っていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……帰るか」
美咲は頷き、刹那の隣に並んだ。
仮拠点に戻るまで、三人の会話は少なかった。
刹那はいつもと変わらない足取りで、美咲たちの少し前を歩いていた。
何度か声を掛けようとしたが、横顔を見ているうちに、拠点へ着いてしまった。
部屋に入ると、アリスは椅子に腰を下ろした。
テーブルの中央に、ログのホログラムウィンドウが開く。
「アリスさん、約束と違います」
「おい、約束と違うだろ」
二人の声が重なった。
アリスは視線だけを二人に向けた。
「二人で声を揃えなくても分かっているわ。冗談よ」
ウィンドウが閉じる。
美咲は、隣の刹那と顔を見合わせた。
アリスが、自分から冗談を言った。
けれど、アリスは立ち上がらなかった。
椅子に座ったまま、さっきまでウィンドウがあった辺りを見つめている。
刹那がナイフポーチを外すと、その手元へ視線が動いた。
また、何もない空間へ戻る。
普段と変わらない表情からは、何を考えているのか読み取れなかった。
「……寝ろって」
刹那が言った。
アリスの顔が、ゆっくりと刹那に向く。
もしかして。
美咲は空いている椅子に手を掛けた。
「ちょっとだけ、お話してからにしませんか」
「は? さっきと言ってることが違うじゃねーかよ」
「ちょっとだけ。ね、アリスさん」
アリスは美咲を見た。
それから、引かれた椅子へ目を落とす。
「……何を話すのかしら」
美咲は椅子に座った。
何か、普通の話を。
会議のことでも、セラのことでもない話。
「アリスさんって、現実でも、普段は紅茶なんですか?」
「そうね。紅茶か水よ」
「へえ。家でも?」
刹那も椅子を引き、二人の間に腰を下ろした。
「ええ」
「ちゃんと淹れるのか?」
「ちゃんと、の基準によるけれど」
「茶葉から」
「そうね」
「私、ティーバッグばかりです」
美咲が言うと、アリスは小さく顔を傾けた。
「それでいいのではないかしら。手間を掛ければいいというものでもないでしょう」
「まあ、飲みたい時に飲めるのが一番だな」
刹那は椅子の背にもたれた。
会話が途切れる。
「ああ、そういえば。駅の近くに、新しいカフェができてたんだよ」
「刹那さんのお家の近くですか?」
「仕事に行く途中。前は空き店舗だったところにさ」
「もう行ったんですか?」
「いや。気になってたんだけど、まだ行けてない」
刹那は少し考えてから、店の名前を口にした。
「Re:na’s、だったかな」
「リーナズ?」
「ああ。窓の外から見ただけだけど、雰囲気はよさそうだった。店員のおねーさんが、楽しそうに働いててさ」
美咲は、その店の窓を思い浮かべようとした。
刹那が普段歩いている道も、使っている駅も知らない。
ゲームの中では毎日のように顔を合わせているのに、その道を歩く刹那の姿は、うまく浮かばなかった。
「……行ってみたいですね」
「ん? じゃあ、場所送るよ」
「あ、いえ」
美咲は膝の上で指を重ねた。
「よかったら、三人で……なんて」
自分で言ったのに、どこか気恥ずかしくなって冗談めかした。
刹那が美咲を見る。
向かいで、アリスの視線も上がった。
「現実で?」
「……はい。もちろん! 皆さんのお時間が合えばですけど。いつもこうしてお話してますし、一度くらいは、いいのかなぁって」
「いいんじゃねーの」
刹那の返事は、あっさりしていた。
「私も行こうと思ってたし。アリスは?」
アリスは二人を順に見た。
少し間を置いて、口を開く。
「予定を合わせられるなら」
「本当ですか?」
「私から条件を出したところで、貴女達が合わせられるとは限らないでしょう」
「そこは相談だな。私も仕事次第だし」
「私も、平日はちょっと難しいです」
「じゃあ、日が決まるのは先だな」
美咲は頷いた。
先でも、いい。
叶うのなら、いつでもいい。
「落ち着いたら、予定を相談しましょう」
「そうね」
「店が休みじゃないかも調べとくよ」
「お願いします」
美咲が頭を下げると、刹那は少しだけ口元を緩めた。
「カフェ行くだけで、そんなかしこまるなって」
「だって、お二人と会うんですよ」
「今も会ってるだろ」
「それは、そうですけど……」
言いながら、美咲も笑ってしまった。
刹那の言う通りだった。
何度も一緒に出掛けて、同じ部屋で話している。
それでも、今決まった約束は、いつものものと少し違った。
「アリスさんは、カフェでも紅茶ですか?」
「メニューを見てから決めるわ」
「私は、先に悩んじゃいそうです」
「今から悩むのかよ」
「何があるのかなって、気になるじゃないですか」
「まだ誰も行ってないんだから、分かんねーって」
刹那の声に笑いが混じった。
アリスが片手で口を覆っていた。
閉じられた目が、ゆっくりと開く。
美咲は声を落とした。
「寝れそうですか?」
アリスの動きが止まった。
口元に添えていた手を下ろし、美咲を見る。
少しの間を置いて、短く答えた。
「ええ」
椅子が静かに引かれる。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい、アリスさん」
「またな」
アリスはそのまま、部屋を後にした。
────────
刹那たちと別れたあと、イオが声を掛けても、セラは足を止めなかった。
少し距離を空けて追い、階段の前でもう一度呼ぶ。
「セラくん」
ようやく、セラが振り返った。
顔を見ると、言おうとしていたことが喉に留まった。
「……少し、話せないか」
「ごめんなさい。今日は、もう落ちます」
セラはイオを見なかった。
「そうか」
「お疲れ様です」
「ああ。お疲れ様」
階段を下りていく足音を聞きながら、イオはその場に立っていた。
足音が聞こえなくなってから、会議室へ戻る。
ハルが一人、残っていた。
「どうかしました?」
イオは近くの椅子を引いた。
腰を下ろしても、言葉が出なかった。
ハルは作業を終えると、開いていたウィンドウを閉じる。
「会議の後、何かありました?」
イオは廊下でのやり取りを伝えた。
セラの現状。
なこの対戦のこと。
刹那への言葉。
そして、こちらに気づいたセラが話を打ち切ったこと。
ハルは途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。
「刹那くんは、理由を聞いて謝ろうとしていたらしい」
「なるほど」
「どうしたものかな」
イオが呟くと、ハルは椅子の背にもたれた。
しばらく天井へ目を向けてから、イオへ視線を戻す。
「……二人で一緒に、調査へ行ってもらいませんか?」
「誰と誰が?」
「セラさんと、刹那さんです」
イオは黙ってハルを見た。
「エリア41の妨害源、探さないといけないでしょう。装置があるなら、停止させるか破壊する。お二人にお願いしてはどうかと」
「それはセラくんが可哀想だろ。刹那くんにも、これ以上付き合わせることになる」
「でも、このまま顔を合わせないようにしていたら、何も変わりませんよ」
「やるにしても、私一人で事足りる」
「それじゃ意味ないんですよ」
ハルは困ったように笑った。
「雨降って地固まるって言うじゃないですか。同じ目標を達成すれば、仲良くなりませんか?」
「君は、いつの時代を生きてるんだ」
「そこまで言いますか……」
ハルが背もたれから体を起こした。
名案を思いついたかのように、表情を明るくした。
「じゃあ、クルツ君を同行させるとか!」
「あいつで大丈夫か?」
ハルは眉間に皺を寄せると、首を傾げる。
「……じゃあ、イオさんが行きます?」
イオは腕を組んだ。
セラが刹那を見る時の顔と、先ほど階段の前で見せた顔が浮かぶ。
「今の二人を、現地で組ませていいものか」
「と言うと?」
イオは少し考えた。
何かあったとき、もしセラが刹那の援護を放棄したら。
そうなれば、さらに状態は悪化するのではないか。
「嫌いな相手をわざと貶める。この何年かで、何度も見てきた光景だ」
自分で口にして嫌になる。
「セラさんは、そこまで自分勝手じゃないと思いますけどねぇ」
ハルの声は穏やかだった。
「嫌いだからって、必要な支援をしないような人ですか?」
「……いや」
「刹那さんも、そこは分けてくれるでしょう」
イオは組んでいた腕を解いた。
ハルは返事を急かさなかった。
「……美咲くんも同行させて、四人なら」
「いいですね」
「妨害下での救護も経験している。調査に来てもらう理由は立つ」
「アリスさんは、どうします?」
「彼女には、情報系クランを当たってもらいたい。現地を調べるだけでは、撃った人間までは分からないからな」
ハルは頷いた。
「では、その分担で相談しましょうか」
「まずは、刹那くんたちに確認する」
「お願いします」
イオは立ち上がり、閉じられた扉へ目を向けた。
「……セラくんは、私から話そう」
一歩踏み出して、振り返った。
「まだなにか?」
「いや、助かったよ。ありがとう」
ハルは小さく笑い、立ち上がった。
「お礼は、僕のスナイパーライフルの練習に付き合ってくださいね」
「君のメイン武器はアサルトライフルだったろ? それに、苦手と言ってたではないか」
「さあ? 覚えてないですね」
ハルは肩をすくめると、扉に向かって歩き始めた。
「そうか、なら仕方ないな。約束する」




