第29話 分からないこと
リヴェラ、BCC拠点の出入口。
行き交うプレイヤーを眺めながら、イオは壁際に立っていた。
「いーおさんっ」
振り返ると、セラがこちらへ歩いてくる。
「セラ君か。どうした?」
「どうした、じゃないですよ。もうすぐ会議ですけど」
「ああ、分かっている。刹那君たちを迎えようと思ってな」
セラはイオの隣に並び、建物の前へ目を向けた。
「わざわざ外で待ってるんですか?」
「観測班から報告は聞いた。刹那君には、直接礼を言いたくてな」
「……そうですか」
「刹那君は昔から、考えるより先に動く時がある。今回は、それに仲間が救われたよ」
イオの声は穏やかだった。
セラはその横顔を見上げた。
少し身を寄せ、ガスマスクの奥を覗き込む。
「……どうかしたか?」
視線に気づいたイオが、セラに顔を向けた。
セラは目を逸らし、唇を小さく噛んだ。
もう一度イオを見上げ、口を開きかけた。
けれど、何も言わずに笑った。
「いーえ、なんでもないですよ」
「大丈夫か?」
「はい! じゃ、先に行ってますねー。遅れたらサジさんにドヤされますよー」
軽く手を振り、セラは拠点へ入っていった。
入れ違うように、通りの向こうから声が聞こえた。
「イオさん、こんばんはー」
振り返ると、ARCADIAの三人が歩いてきた。
先頭の美咲が手を振っている。
「やあ。早かったな」
「こいつが、早くしろってうるさいんですよ」
刹那はアリスを顎で示し、くたびれたような表情を浮かべた。
「貴女が怠けているからでしょ」
「ゆっくりしてても間に合っただろ」
「そういう問題じゃないわ」
二人の言い合いが続く中、美咲が声を張り上げた。
「ストーップ!」
アリスと刹那が口を閉じ、美咲へ視線を向ける。
「お二人はここに来たら、喧嘩をしないといけない呪いにでもかかってるんですか?」
「そんな珍妙な呪いにはかかってないわ」
美咲は二人を一瞥すると、イオの前まで歩み寄って頭を下げた。
「イオさん、すみません……」
「いや、気にしないでくれ。仲が良くていいことだ」
「仲が良すぎて、困っちゃいます」
イオは小さく笑うと、刹那へ向き直った。
「刹那君。観測班を助けてくれてありがとう」
「……ああ。全員戻れたなら、それでいいですよ」
刹那は居心地が悪そうに頭を掻いた。
「昨日は散々な目にあったようだな。作戦会議前に少し話を聞いてもいいかな?」
「高いですよ?」
「友人料金で頼む」
軽口を交わしながら、四人は拠点へ入った。
ロビーの奥から来たメンバーが、三人に気づいて足を緩める。
「あ、刹那さん。腕、もう大丈夫なんですか?」
「ん? あ、ああ……その日に、治したよ」
刹那は一瞬だけ自分の腕へ視線を落とし、それから思い出したように答えた。
「よかった。昨日の話、聞いてたんで」
安心したように頷く相手へ、刹那も軽く手を上げた。
エレベーターを待つ間にも、別のメンバーがイオに声をかけ、三人の姿を見て表情を和らげる。
「こんばんは。今日は会議ですよね」
「そうだ。三階まで案内する」
「アロマさんたち、もう集まってますよ」
扉が開き、四人はエレベーターに乗り込んだ。
「ずいぶん顔を覚えられたな、私たち」
刹那が言うと、アリスは隣から一瞥を寄越す。
「貴女が目立つことばかりするからでしょう」
「訓練場ではお前も目立ってただろ」
「私は、彼に絡まれただけよ」
「はいはい」
「その返事、聞いていないでしょう」
美咲は二人の間で、小さく息を吐いた。
「会議が始まる前から、元気ですね……」
「私は普通だぞ」
「私もよ」
揃って返ってきた声に、美咲はイオを見上げた。
ガスマスクの奥から、笑いを含んだ声が返る。
「本当に仲がいいな」
「イオさんまで……」
三階で扉が開く。
イオを先頭に廊下を進み、一行は会議室の前で足を止めた。
そこへ、廊下の向こうからクルツが歩いてきた。
「お、来たな。姉御、腕はもういいのか?」
「あ? 誰が姉御だ」
「ん」
クルツは刹那を指さした。
その指先を刹那が睨みつけた。
「良かったわね。弟分ができて」
アリスの言葉に、刹那が振り向いた。
「お前、根に持ってるだろ」
「何のことかしら」
アリスは涼しい顔で会議室の扉へ向かった。
「ちびっ子もサンキューな。手当してくれたんだってな」
「いえ、私にできることをしただけです。……ちびっ子じゃないですけど」
美咲が付け足しても、クルツは気にした様子もなく笑った。
イオは四人のやり取りを見届けると、口を開いた。
「緊張せず、気楽に参加してくれ」
イオの言葉に、美咲は反射的にサジの顔を思い浮かべた。
「が、頑張ります……」
やっとの思いで出した声は、少し震えていた。
イオが扉を開け、三人を迎え入れる。
クルツもその後に続いた。
会議室には、すでにアロマとロックが座っていた。
見知った顔に、美咲は安堵の息を吐く。
アロマは三人に気づくと、軽く手を振った。
「こんばんは。今日はよろしくね」
「よろしくお願いいたします」
アリスが律儀に頭を下げた。
アロマは柔らかく微笑むと、思い出したように手を打った。
「そういえば、刹那さん。うちですごい話題になってるわよ」
刹那が露骨に眉をひそめた。
「何ですか……話題って」
「昨日助けた子たちが、あなたのことを言って回ってるのよ。あ、もちろんいい意味でよ?」
刹那の口元が引きつった。
アロマは気にする様子もなく続ける。
「死ぬと覚悟してたら、目の前にどこからともなく現れたんですって。で、助けてくれたらしいわ」
刹那が額に手を当てた。
「かっこよかったって。『お前たちは死なない、私が助ける』って」
そんなことを言ったのか。
美咲が意外に思って刹那を見ると、視線が合った。
「言ってねーよ」
「いや、まだ何も聞いてませんって」
「今じゃ、ちょっとした人気者よ」
アロマは楽しそうに肩をすくめ、刹那は大きく息を吐いた。
「どうしてそんなに嫌そうなの? 良い行いで良い噂が広まる。いいことじゃない」
「目立つのが嫌なんです」
刹那は呻くように言った。
アロマは美咲へ視線を送った。
「美咲ちゃん、彼女の言っていることは本当かしら?」
美咲はアロマと刹那の顔を交互に見る。
「えっと……あんまり得意ではないのかもしれません」
「もったいないわねー。堂々としてればいいのに」
からかうアロマを無視して、刹那が空いている席に腰を下ろした。
「いいから早く入れよ」
入口で足を止めていた美咲たちの後ろから、クルツがぼやく。
「あっ、すみません」
美咲は慌てて刹那の隣に座り、その横にアリスが座った。
美咲が部屋を見渡した。
サジとハルはまだ来ていなかった。
そして、もう一人足りない気がした。
数日前、セラはエリア41で《Zorn》の監視をしていた。
てっきり今回の会議にも参加すると思っていたが、まだセラの姿はなかった。
会議のあと時間があれば、刹那への誤解を解くために、少しでも話がしたかった。
聞いてみようと口を開きかけたとき、勢いよく扉が開いた。
「セーフ!」
髪を乱したセラが、中腰で立っていた。
時計に目を向けたクルツが、悔しそうに指を鳴らす。
「惜しい!」
「何よ、惜しいって……」
セラは眉間に皺を寄せ、クルツを睨みつけた。
「もう少しで、サジさんとハルさんに怒られるセラが見れたのになーって」
「なにそれ、思考が最低」
セラは言い捨てると、イオの隣に座って髪を整えた。
「先に行っていたと思っていたが、ぎりぎりになったな。どうかしたか?」
イオが気遣わしげに問いかける。
セラは刹那を一瞥し、冗談交じりに口を開いた。
「メンバーの子が『刹那さんってどんな人? 会議の感想教えて!』って離してくれなくて大変でしたよ。私もよく知らないっての」
セラは刹那から視線を外し、何でもないように肩をすくめた。
「悪かったな。私のせいで迷惑かけて」
頬杖をつきながら、刹那が謝る。
セラは目を細め、にっこりと笑った。
「いーえ、人気者は大変ね」
刹那が眉をひそめる。
言葉を返す前に、扉が開いた。
「こんばんはー。おっと、皆さんお揃いですねー」
ハルが入ってきて、室内を見渡した。
「あれ? 皆さん緊張してます?」
誰も答えなかった。
「緊張しすぎじゃないですか……?」
ハルが苦笑したところで、扉がゆっくりと開いた。
白髪の男が姿を見せた。
「揃ってるな」
それだけで、空気が締まる。
サジが席に着き、視線が一巡する。
ハルに視線が止まると、ハルは小さく頷いた。
「始めましょうか」
壁際のモニターに、エリア41の地図が映し出された。
「昨日、観測班の三名は全員帰還しました。捜索に協力してくれた皆さん、ありがとうございました」
ハルが頭を下げる。
美咲もつられて背筋を伸ばした。
「まずは《Zorn》について。アロマ、頼む」
サジに促され、アロマが立ち上がった。
「刹那さんと観測班から話を聞いたわ。今回確認されたのは、以前の人型とは姿も大きさも違う、四足歩行の個体よ」
画面に、《Zorn》の姿が映し出された。
瓦礫の間に立つ、二本の歪んだ角を持つ巨体。
「会議前にイオに改めて偵察してもらったわ。その時の映像よ」
クルツが驚いたような表情をイオに向けた。
「なんだ」
「一人でっすか?」
「ああ。サジに頼まれてな」
「この短時間で行って帰ってきたんすか?」
「行って帰ってきただけだ」
当然のようなイオの口調に、クルツが苦笑いを浮かべた。
「同一個体なんですか?」
セラが眉を寄せた。
「変わる瞬間は誰も見ていないわ。ただ、角の形は以前の個体と一致している。場所も含めて考えれば、同じ《Zorn》と見るのが妥当ね」
「あの腕についてた角が、今度は頭についてんのか」
クルツが画面を見上げた。
アロマは画像をログに切り替える。
刹那が後脚を切断した際の記録が表示された。
「もうひとつ。前回は攻撃しても手応えがなかったけれど、今は損傷を与えられる。刹那さんが後脚を一本、断っているわ」
「脚を失っても、止まりませんでしたけどね」
刹那が苦笑する。
「攻撃は突進が中心です。向きを変えては何度も繰り返してきました。動きは単調でしたけど、身体がでかい分、周りの建物ごと壊してくる」
ロックが腕を組んだ。
「盾で受ける相手じゃないな」
「ええ。それに、突進だけではありません」
アロマの言葉を引き取り、アリスが立ち上がった。
「刹那の戦闘ログを確認しました。あの音が発生する直前、《Zorn》の角が振動しています」
画面に時刻を揃えた二つの記録が並ぶ。
角の振動と、音の発生。
それぞれの記録時刻が示されていた。
「昨日、確認できた範囲では二度とも同じ順番でした。角の振動は、音を発する前兆と考えられます」
「あの音って、なんなんだ?」
クルツが身を乗り出した。
「言葉に表しづらいわ」
刹那が頷く。
「耳で聞く音とは違った。身体の内側から揺さぶられるような……うまく言えねえけど」
「私も、立っていられませんでした」
美咲が口を開くと、アロマとロックも頷いた。
「個人差はあっても、動きを止められると思っておいたほうがいいわね」
アロマが言った。
「角が振動したら、全員に知らせる。そこまでは決められるわ。ただ、どう防ぐかはまだ分からない」
サジは画面を見たまま頷いた。
「次だ」
ハルが地図へ表示を戻した。
「観測班の通信が途絶えた件です。捜索に向かった五人も、エリア内で通信できなくなっています」
「《Zorn》の能力なのか、誰かが妨害したのか。そこはまだ分かっていないわね」
アロマが地図の一角を指す。
「ただ、通信以外にもプレイヤーの介入を疑う理由がある。観測班の一人が足を撃たれているのよ」
美咲は、手当てをした女性の傷を思い出した。
「私が見た傷も、銃創でした。《Zorn》につけられた傷には見えません」
「観測班を撃ったやつがいる、ってことだよな」
クルツの声が低くなった。
「その可能性が高いわ。でも、誰が、なぜ撃ったのかは分からない」
「もう一人、いるかもしれない」
刹那が地図に目を向ける。
「私が《Zorn》と戦っていたとき、離れた建物から援護射撃を受けた。位置はこの辺」
アロマが指された建物に印をつけた。
「観測班を撃った人と、刹那さんを助けた人は……同じなんでしょうか」
美咲の問いに、すぐ答える者はいなかった。
「現時点では、どちらとも言えません」
アリスが言う。
「撃った位置も、観測班の負傷時刻も、照合するには情報が足りないわ。まして、援護の意図までは」
「助けたのに姿を見せない。妙なやつだよな」
刹那が呟く。
「礼を言う相手も分からねえ」
「礼は後だ」
サジの短い声に、刹那が顔を上げた。
「観測班を撃った者を探す。同時に、援護した者についても情報を集める。同一人物と決めつけるな」
サジはハルへ目を向けた。
「現地の監視は続ける。ただし、通信が途絶える範囲へ入る者は必要最小限だ。人の動きが分かるまでは、討伐に向けた大人数の投入はしない」
「分かりました。観測班の報告と、周辺で確認されたプレイヤーの記録を整理します」
ハルが答える。
「《Zorn》については、こちらで戦闘ログを共有します」
アリスが言うと、サジが頷いた。
「頼む。角の動きは役に立つ」
アリスは会釈して席に着いた。
美咲は隣の横顔を見た。
アリスは背筋を伸ばしたまま、机の下で一度だけ指を握り直す。
「ほかに報告は?」
サジが一同を見渡した。
誰も口を開かなかった。
「なら、今日はここまでだ」
サジが席を立つ。
張り詰めていた空気が緩み、室内のあちこちで椅子を引く音が重なった。
美咲が話しかけようと席を立つが、セラは足早に扉に向かっていった。
追いかけなきゃ。
美咲が一歩踏み出そうとしたとき、その横を刹那が通り過ぎた。
「刹那さん?」
刹那は返事をせずに、セラの後を追って会議室を出た。
美咲も慌てて後を追った。
廊下へ出ると、少し先で二人が向かい合っていた。
刹那の声が聞こえる。
「……あんたが私に当たりが強い理由だよ」
セラの顔には、先ほど会議室で見せていた笑みはなかった。
「……強いからって、偉そうにしないでよ」
「別にそんなつもりないけど」
「は? 本気で言ってんの?」
セラが信じられないと言いたげに鼻で笑う。
「なこと対戦したとき、いたぶるようなことをしてたくせに」
「してないっての」
「なこ、泣いてたじゃん!」
違う。
刹那さんは、なこさんをいたぶるために戦ったんじゃない。
セラさんが勘違いしているだけ。
美咲は、胸の前で組まれた指に力を込めると口を開いた。
「本人に聞いたのかよ。なこが、私にいたぶられたって言ったのか?」
けれども、美咲より先に刹那が問い返すと、セラの顔がこわばった。
「あんたに何が分かるの!? 私となこがどれだけ付き合い長いと思ってんのよ! 聞かなくたって分かるってば!」
美咲は開いた口を、何も言わずに閉じてしまった。
「じゃあ、それが理由か?」
「……ッ」
セラは言葉を失った。
刹那は少し間を置いてから、声を落とした。
「私の態度が気に入らないんだな」
「そうよ。なこがあんなふうに貶められたのに、みんなちょっと何かあっただけでチヤホヤして……本当に気に入らな――」
美咲の背後から足音が近づき、イオが隣で足を止めた。
セラの言葉が途切れる。
刹那の肩越しに、こちらを見ていた。
イオに気づいたのか、目をわずかに見開いて唇を噛む。
刹那が振り返った。
美咲は胸の前で両手を組んだまま、動けなかった。
「……なんで私ばっかり」
セラはそう呟くと、二人から顔を背け、足早に廊下を去った。
刹那はその背を追わなかった。
「刹那さん……大丈夫ですか?」
「ああ」
刹那はセラの消えた廊下へ視線を戻した。
「ただ、謝り損ねた」
「謝り損ねた?」
「何が気に入らないのかは分からんけど、私の何かが引っかかってるのは確かだろ。理由を聞いて、謝ろうと思ったんだがな」
刹那は小さく息を吐いた。
その横顔は、どこか寂しそうに見えた。




