第28話 それぞれの気遣い
リヴェラに戻った三人は、まず医療施設へ向かった。
刹那の壊死した腕の治療を済ませ、仮拠点に辿り着く頃には、時刻は二十三時に迫っていた。
木々に囲まれた仮拠点は、いつもと変わらず静かに佇んでいた。
アリスが扉に手をかざすと、電子ロックが解除される。
ロビーに足を踏み入れた三人を、机の中央に浮かぶホログラムと、小さな電子音が迎えた。
美咲は椅子まで歩くと、腰を下ろすなり机に突っ伏した。
刹那も定位置のソファへ倒れ込み、クッションに顔を埋める。
「「つ、疲れたぁ……」」
声が重なった。
互いに顔を向ける余力もなく、そのまま動かなくなる。
アリスは二人を一瞥すると、外套を壁に掛け、補給室へ向かった。
「刹那、ログアウトする前に《Zorn》とのログをアップロードしておいて」
補給室から届いた声に、刹那はクッションを抱え直した。
「もう23時だぞ? 明日で良いだろ……」
ティーセットを手に戻ってきたアリスが、ソファの前で足を止めた。
「貴女が後回しにして、その通りになった覚えがないわ」
刹那は顔を埋めたまま、返事をしない。
「今すぐ起きて、アップロードをして」
「……ったく」
刹那は渋々身体を起こし、机へ向かった。
途中、突っ伏している美咲の頭を軽く叩いた。
「おい美咲、寝るならログアウトしてから寝ろよ」
「……ふぁい?」
目を閉じたまま顔だけを上げた美咲に、刹那の口元が緩んだ。
刹那は椅子に腰を下ろし、机のコードを携帯端末に繋いだ。
ホログラムにアップロードの進捗が表示される。
アリスは刹那の向かいに腰を下ろし、ティーカップに紅茶を注いだ。
「ありがとう」
刹那は片手をひらつかせ、進んでいく数字を眺めながら背もたれに身体を預けた。
「さっきも説明した通り、あいつには何か違和感がある」
アリスが顔を上げる。
「上手く説明はできないけど……多分面倒なタイプ」
気だるげな姿勢のままでも、その目から眠気は薄れていた。
アリスはカップを置いた。
「それを調べるのが、私よ」
「無理しないでくださいね」
美咲が顔を上げていた。
まだ眠たげな目で、アリスを見つめている。
「ええ」
短い返事に続いて、アップロードの完了を知らせる音が鳴った。
刹那は端末を外して立ち上がると、軽く身体をほぐした。
「んじゃ、寝るわ。私からも言っとくけど、しっかり寝ろよ」
念を押してから、刹那の姿が消える。
美咲も椅子から立ち上がり、小さく頭を下げた。
「私も今日は、これで失礼しますね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
返事を聞き届け、美咲もログアウトした。
静かになったロビーで、アリスは受け取ったログを開いた。
刹那の戦闘開始から、撤退まで。
一度最後まで通すと、最初に戻す。
再び文字列を追い、途中でスクロールを止める。
少し戻して、同じ箇所を読み直した。
カップに手を伸ばした頃には、紅茶はすっかり冷めていた。
一口飲んでカップを置き、しばらくそれを見つめた。
そして、立ち上がると補給室へ向かった。
ほどなくして、ロビーにコーヒーの香りが漂い始める。
席に戻り、淹れたばかりのコーヒーを口に含んだ。
強い酸味と、わずかな苦味。
カップを置くと、ログに再び目を通した。
視線は文字列を追い続ける。
やがてアリスは顔を上げ、目頭を軽く押さえた。
小さく息を吐く。
もう一度、先ほどの記録までスクロールを戻した。
────────
翌日の正午。
昼休みを告げるチャイムが鳴り、オフィスのあちこちで話し声が上がった。
今日の昼食を思い浮かべながら美咲が席を立つと、スマホが震えた。
手に取って画面を開く。
『Alice:本日21時より、BCCとの合同作戦会議を実施するわ。参加が難しい場合は、事前に連絡を。』
絵文字も、余分な挨拶もない。
用件だけを記した短いメッセージだった。
画面の上には、十二時ちょうどの時刻が表示されている。
昼休みに入るのを待って、送ってくれたのだろう。
文章も、そのタイミングも彼女らしくて、美咲は自然と笑みをこぼした。
「柊さん、楽しそうじゃない。どうしたの?」
「ひゃいっ!」
咄嗟にスマホを胸に抱く。
振り返ると、マグカップを手にした先輩社員が、怪訝そうにこちらを見ていた。
「……なんでそんなに驚いてるのよ」
「きゅ、急に話しかけられたらびっくりしますよ!」
「ふ〜ん」
先輩の視線が、美咲の抱えたスマホに落ちた。
「にしては、えらい動揺してるじゃん……やっぱ彼氏?」
美咲は前のめりになった。
「ち、違いますって! なんで毎回そんな話になるんですか!」
「ほんと?」
「友達です!」
先輩はからかうように笑うと、美咲に背を向けて歩き出した。
「まあまあ。そういうの、案外そのまま恋人になるんだから」
「違うんですってばー!」
その後を追う美咲の声が、昼のオフィスに響いた。
────────
二十時、美咲がログインすると、刹那が机に頬杖をついていた。
「こんばんは。刹那さん早いですね」
「ん? ああ。つい10分前だけどな」
刹那は片手を上げ、欠伸を噛み殺した。
「昼間、アリスから連絡があってな」
「参加できるなら、1時間前にはログインしとけってさ」
「あいつは、私の母親かよ」
美咲は昼のメッセージを思い返した。
自分には、そんな時間の指定はなかった。
刹那の不満げな顔を見ていると、つい苦笑がこぼれる。
ほどなくして、アリスがログインしてきた。
「よお」
「こんばんは」
アリスは二人に目を向けた。
「……こんばんは、集まってるわね」
「20時30分までには出るわ。準備、しておいて」
そう告げると、補給室へ向かう。
やがて漂ってきた香りに、美咲は首を傾げた。
戻ってきたアリスの手には、コーヒーの入ったカップがあった。
「アリスさん……今日は、コーヒーなんですね」
「たまには……気分転換よ」
アリスはカップに視線を落とした。
美咲は、昨夜の「ええ」というアリスの生返事を思い出し、一歩近づいた。
「何かしら?」
「昨日、徹夜……しましたね?」
「何を根拠に……」
美咲は、アリスが口元へ運びかけたカップを指差す。
「それです。アリスさん、普段はコーヒーなんて飲まないじゃないですか」
「身に覚えがないわ」
言い切ったアリスの視線は、カップに落ちたままだった。
美咲も引き下がらず、その前に立ち続ける。
「アリス、あの後寝たの何時だ?」
刹那の声に、二人が振り向いた。
「はっきりとした時間は覚えてないわ」
「何時だ?」
声が一段低くなる。
アリスはカップを机に置いた。
「……まだ、睡眠は取っていないわ」
やっぱり。
美咲が息を吐くと、刹那のため息と重なった。
「無理しないでくださいって、言ったじゃないですか……」
「中止だ中止。アリス、今すぐログアウトして、寝ろ」
アリスは視線を落としたまま、答えた。
「頻繁にやっていることでもないわ。今日一日程度なら、心配いらない」
美咲は刹那と顔を見合わせた。
刹那はしばらくアリスを見つめていたが、やがて背もたれから身体を起こした。
「会議終わったら、速攻でログアウトして寝ろよ。その約束ができないなら今日は中止」
「ええ、わかったわ」
美咲は、すぐに言葉を重ねた。
「アリスさんがログアウトするまで、私がちゃんと見てますからね!」
アリスの指が、カップの取っ手から離れた。
「……約束するわ」
ようやく上がったその視線を、美咲はまっすぐに受け止めた。




