第27話 見えない意図
美咲はポーチから携帯端末を取り出し、通信画面を開いた。
──No Signal
いまだに通信は戻らない。
《Zorn》はまだこのエリアのどこかにいる。
安全になったわけではなかった。
窓際ではアロマが外の様子を窺っている。
入口の方からは、巡回するロックの足音が時折聞こえた。
けれども、全員が集まったことで、少しだけその場の雰囲気は落ち着いていた。
治療を終えた女性は、座ったまま、改めて刹那に頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
壁際に座っていた刹那は顔を上げ、左手を軽く振った。
「気にすんな。今無事ならそれでいいだろ」
女性は鼻をすすりながら、溜まったものを吐き出すように言葉を続けた。
「怪我した時、本当に痛くて……不安になって……置いていかれるんじゃないかって、すごい怖かったんです」
女性は顔を上げ、同じ観測班の二人を見た。
「二人は、何とかしようとしてくれました……でも、あれは止まらなかったから」
男性二人は気まずそうに顔を伏せた。
刹那はそんな二人を一瞥し、小さく笑った。
「二人がいてくれて良かったな」
「え?」
女性が困惑の声を漏らすと、男性二人も顔を上げた。
「あの二人がいなかったら、間に合わなかったかもしれんし。私の片腕なんてこんなだぞ?」
刹那が、固定された自身の右腕を、肩でわずかに持ち上げた。
「さっきみたいに逃げようとしても、あんたを支えることもできなかっただろうし。だから、良かったなって」
刹那が小さく息を吐いた。
「ちゃんとあの二人にも、礼言っとけよ」
女性は無言で頷き、足を庇いながら立ち上がろうとした。
様子を窺っていた男性の一人が、すぐに手を差し出す。
女性はその手を取り、二人へ向き直った。
小さく頭を下げる彼女を見て、男性たちの強張っていた表情がわずかに緩んだ。
そのやり取りを見ながら、美咲は壁際に腰を下ろした。
怪我は酷かったが、みんな無事で良かった。
肩の力を抜いたところで、治療中に見た傷が頭に浮かんだ。
女性の足には、抉れたような銃創があった。
それ以外に、大きな怪我は見当たらなかった。
時折聞こえていた銃声。
刹那はいったい、何と戦っていたのだろうか。
「帰る前に、簡単な情報共有をお願いできるかしら?」
窓際から戻ってきたアロマが、刹那の前に屈んだ。
眼鏡の奥の目が、剣呑に光る。
刹那は眉をひそめ、首を傾げた。
「後でログでも渡しますよ。そっちの方が、分かりやすくないですか?」
刹那の言葉に、アロマは静かに首を振る。
そして、わずかに微笑んだ。
「サジやイオ……アリスさんなら、そうでしょうね。でも、私は違うの」
そう前置きして、アロマが続けた。
「実際に体験した人の声から、熱が冷めないうちに聞きたいのよ」
「愉悦や恐怖。あらゆる感情は、ログでは見れない。当人の口からでなければ、決して拾えない情報があるわ」
アロマの言葉は止まらない。
淡々と、しかし熱を帯びて、続いていく。
「だから……包み隠さず、すべて教えて。あなたが彼女らを救ったとき、何を見て、何を感じ取ったのか」
そこまで言うと、アロマは満面の笑みを刹那に向けた。
「必要なら……身振り手振りも加えて」
まるで無邪気な子供のようなその笑みに、刹那の顔は引きつる。
そして、観念したかのように話し始めた。
「多分、《Zorn》は成長してます。しかも、形を変えて」
「形?」
「最初に会った時は、アンドロイド型でしたよね」
アロマが頷いた。
「今日会ったあいつは、バカでかい牛みたいな見た目になってました」
「変態したということ?」
「実際にその瞬間を見たわけじゃないですけど、あの角は……アンドロの腕についていたので間違いない」
それから刹那は《Zorn》との戦闘を思い出すように語った。
直線的な攻撃。
圧倒的な破壊力。
耐久性。
単調な突進なら対処できると思ったこと。
傷ついた後脚を狙って踏み込んだこと。
その直後、音と衝撃に吹き飛ばされたこと。
刹那は固定された右腕へ一度目を落とした。
「……それと、音。あれには、説明しづらい違和感がありました」
刹那は、言葉を探すように一瞬だけ視線を彷徨わせた。
アロマは頷きもせず、遮ることもなく、黙ってその話を聞き続けた。
美咲もまた、銃創について考えながら耳を傾けていた。
「とまあ、そんな感じで。あと──」
刹那が続けようとしたとき、アロマは勢いよく立ち上がった。
「素晴らしいわ!」
あまりの大声に、美咲と刹那は同時に肩を跳ねさせた。
アロマは握り拳を作り、目を閉じたまま、興奮気味に語った。
「未知なる敵に立ち向かう勇気! 負傷者を気遣う優しさ! 自身の強さから来る驕り! 正体不明の力への恐怖と不安!」
興奮したまま、アロマは刹那の肩を掴んだ。
「これよ! 私は、これが聞きたかったの! ログからじゃ、この生の情報は得られないわ! 戦うプレイヤーはロボットじゃない。何を見て、何を感じたのか、それが戦術のさらなる核心に――」
「……その辺にしとけ」
入口に戻っていたロックの、低く短い声が場を切った。
アロマは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、刹那の肩から手を離した。
「……ええ、そうね。ごめんなさい」
その場に、ようやく静けさが戻る。
アリスは端末から目を離さないまま、小さく呟いた。
「……非合理的ね」
アリスに一瞬だけ目を向けると、アロマは楽しそうに肩をすくめて笑った。
「非合理的、結構じゃない。合理だけじゃ、人は動かないもの」
「あの、続けてもいいですか?」
刹那がアロマを半目で見上げた。
「あら。まだあるの?」
「ここからは朗報」
刹那が腰のナイフポーチに目を向けた。
「アンドロイドの時は、全くダメージが入ってる感じなかったですけど、今のあいつには確実にダメージが入ってました」
「ふむ……破壊不能オブジェクトから、討伐可能なエネミーになったってことね」
「どういう意味です?」
「私の予測だけれども。アンドロイドの形態は、システムに守られてる状態。それが段階を踏んで、攻撃できるようになった。そういうことね」
アロマの言葉に、刹那は鼻で笑った。
「えらい長い無敵ですね」
「そうとも言うわね。でも、本当に朗報ね。これで私たちも動けるようになる……いえ、動かざるを得ないって言った方が正しいかしら」
アロマは外を一度確かめてから、観測班の三人を手招きした。
今度は彼らが逃げてきた経緯を聞くつもりらしい。
入れ替わりに刹那が腰を上げる。
美咲は視線を落とした。
《Zorn》の問題が一つ解決したのは嬉しい。
けれども、妨害者の影が気になる。
「あー……美咲さん?」
考えていると、突然頭上から声が落ちてきた。
美咲が顔を上げた。
いつの間にか、刹那が目の前に立っていた。
刹那は気まずそうに視線をさまよわせていた。
アリスに怒られ、反省はしているらしい。
「……何ですか?」
普通に返そうと心がけたはずが、思った以上に低い声が出てしまった。
そんな美咲の声色に、刹那の顔が引きつった。
「怒ってる?」
「どうでしょうね」
美咲はわざとらしく顔を背け、横目で刹那を見た。
「えーっと……その、なんだ」
刹那は頭を掻きながら、何度も口を開けては閉じていた。
そんな刹那の仕草に、美咲の口元が自然と緩んだ。
そして、大きな息を吐いて立ち上がった。
「……本当に、もう怒ってませんよ」
刹那は一瞬目を見開いた。
「まじ?」
「まじです」
あまりに率直な反応に、美咲は呆れながら続けた。
「刹那さんが一人で突っ走るのは、もう慣れました。あと、今回は刹那さんのおかげで観測班の方もあの程度で済んでますし」
美咲は手を後ろで組むと、少しだけ困ったように笑った。
「あんまり、心配かけないでくださいね」
刹那はようやく表情を緩め、がくりと頭を下げた。
「でも!」
美咲は指を立て、刹那へ一歩近づいた。
刹那は条件反射のように、一歩後ずさった。
「次は、許しませんからね!」
「あー……善処します?」
曖昧な刹那の返事に、目を細める美咲。
「何ですか! 善処って!」
「約束はできないって……!」
二人の話を遠巻きに聞いていたアリスは、目を伏せた。
「安心したかしら?」
観測班から話を聞き終えたアロマが、楽しげに問いかけた。
アリスは首を横に振った。
「最初から、心配などしていません」
アリスが歩み寄ると、刹那が顔を向けた。
「そういや。私が《Zorn》から逃げる時の援護射撃、お前じゃないんだよな?」
「なんのこと?」
美咲がアリスの顔を見つめる。
銃声が聞こえてる間も、アリスは一緒にいた。
途中から聞こえたあの銃声は、刹那を助けるための音だったらしい。
誰が。
何の目的で。
観測班の女性の足を撃った相手が、刹那を助けたのだろうか。
理由が繋がらない。
そもそも、刹那を援護したプレイヤーと観測班を撃ったプレイヤーは同一人物なのか。
急な情報に美咲の頭は混乱した。
刹那は携帯端末を取り出すと、マップを開いた。
「ここで睨み合ってたときなんだけどさ……この辺の建物からスナイパーライフルで援護貰ったんだよ」
刹那は交戦していた位置を指した後、マップを滑らせた。
指先が止まった建物は、そこから四百メートルほど離れていた。
「しかも、同じ場所を的確に数発」
「銃声の種類は?」
「知らん」
即答する刹那に、アリスはマップを見つめていた顔を上げた。
「……貴女は、いつになったら銃声を聞き分けられるの?」
「いや、聞き分けられるやつの方が少ないだろ。なあ?」
そう言いながら、刹那は美咲を見た。
美咲は顔をひきつらせた。
聞き分けられるはずないのに、同意を求めないで欲しい。
いや、聞き分けられないとわかってるから、同意を求めているのかもしれない。
それはそれで癪だった。
「ま、まぁ……はい」
そんなことないと言い切れない自分に、美咲は肩を落とした。
「まあいいわ」
アリスはそれだけ言うと、黙り込んだ。
数秒の沈黙の後、アリスはアロマに顔を向けた。
「アロマさん。少しいいでしょうか」
「何かしら」
「今《Zorn》に関わっているプレイヤーが私達以外、何組いると考えていますか?」
アロマは部屋の奥にいる観測班に目を向けた。
「最低でも一組。妨害犯がいるのは確定したわね」
「先ほど、刹那が、逃げるまで援護射撃を貰ったと言っていました。イオやその他の《BCC》メンバーの可能性はありますか?」
「ありえないわ」
アロマは即答した。
「今回は、私とロックに一任されているの。私たちが要請しない限り、それ以上はないわ」
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
口火を切ったのは刹那だった。
「まあ、その辺にいたプレイヤーがたまたま助けてくれた可能性もあるし、考えすぎもな」
楽観的に言う刹那に、アリスが視線を送った。
「まだ、同一犯の可能性は捨てきれないわ」
「なんであいつら撃った後に、わざわざ助けるような真似すんだよ」
「それが分からないから、考えているのでしょ」
結局誰も答えを口にすることはできなかった。
観測班は全員見つかった。
けれども、このエリアには、彼らを襲った誰かと、刹那を助けた誰かがいる。
それが同じ相手なのかさえ、分からない。
問題を一つ解決し、また一つ問題が増えた気がした。




